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作品名:ざわめき 作者:あるが  まま

第1回   1 福岡空港
その1  <福岡空港> 
 
福岡は今日も暑い。日中は36度を超えている。うだるような日が続く。
福岡空港には数人の報道関係者が待ち構えていた。
外は暑いのだが、飛行場の一階であってもクーラーがよく効いている。涼しい。

搭乗者出口には出迎えの人が大勢いた。少し飛行機が遅れているのだが、よくある話だから驚く者も少ない。第一、飛行機の到着時間はどこの時点を指しているのか定かではない。おまけに外国便の到着だと、税関通過の時間は人さまざまである。気まぐれ的な全所持品検査に遭遇したら、物にもよるが長い時間を要する。

松野一大は、やや太目の鞄を抱えたまま飛行場に向かう地下鉄の中にいた。先ほど日中文化センターに来た人が、何気なく言ったニュースの中身に魅かれての回り道だった。
なんでも「中国の旅から戻ってくる人、この人は別に有名人でもないらしい。だけど、その人を取材するためにテレビ関係の人が数人向かっていた」、と言うのだ。

たとえ忙しくなくてもテレビ取材を見に行くほどの好奇心は既になくなって久しい。年相応の行動力しかない。億劫になっている。しかし、中国がらみと知れば、それが自分の考えと違う人の話であっても、聞きに行く気持はまだまだ保持していた。今度のはどんな内容になるのか、ちょっと想像してみた。分るはずもなかった。昔の限られた中国情報の発信と違って、今は何でもありだからだ。

福岡空港は市街地からすぐの距離にある。あまり近過ぎて市街地での飛行機事故の心配から撤去要求運動も起きていた。

中国の飛行場の多くが市街地から遠く離れていると言う。50q、100q、それ以上もあるらしい。中国を何度か旅した事情通から聞いた話だ。それだと「福岡空港」と呼んではいても、実際には福岡市から「長崎県佐世保市」あるいは「熊本市」以上にも離れた場所まで車で行かなければ飛行機には乗れない話だ。とすれば、地名詐称に近い。それとも中国は一つの地名の指す範囲がとてつもなく馬鹿でかいということなのだろうか。

中国ほどではなくても、日本各地の空港に行くのに、それなりの時間を要する所も少なくない。

退職後であるのに相変わらず忙しい松野にとってこの福岡空港は、自分の事務所から行くのでも30分とかからない。すぐ近くにあるのが一番嬉しいことだった。松野は、日中友好協会福岡支部事務所を出て、天神から地下鉄に乗る。博多駅を経15分で福岡飛行場に着いた。

伊丹二郎は福岡の暑さを飛行機の中で聞いて、やはり気分が重くなった。でも暑くなかった年を思い出す方が難しい。冷夏はよくない。夏は暑いものだと思い直した。痩せ型でいることがせめてものだ。暑さから少し逃れることが出来ているかも知れない。
伊丹は、今回も大連からの戻りだった。最近は、中国各地の大学での仕事をする前ではなく、終わってから丹東に立ち寄ることが多くなっていた。毎回亭亭の回復振りを見る楽しみが膨らんでいた。李亭亭の回復は今順調だと言えるのだろう。

植物人間と見なされていた時、駆け付けて来た母親の声に一度反応したように見えた。その後、次の呼び掛けに応えるまでに、また一ヶ月を要した。しかしその後は、伊丹もだが、医師たちを驚かせる亭亭の回復振りであった。

福岡空港の税関を通り過ぎて出口に向かおうとした時、カメラが近づいて来た。伊丹は思わず後を振り返った。それらしい人はいない。自分のことであることを理解した。自分の出張中東邦大学で何か事件でもあったのだろうか。少し気になった。

カメラが近づくと思わず顔を除ける旅行者も多い。お忍び旅行ならなお更だろう。
高田陽子も顔をそむけた一人だった。

いつもだったら上海空港から日本での自宅にしている東京へ向っているのだが、今回は久し振りに大連の従妹に会い、その流れで、懐かしい福岡訪問を試みていた。加藤紅と会って福岡の話が出来たので、幼い時分の懐かしい場所に行ってみたい気になったのである。

これとて高田陽子には別に隠すことでも何でもないのだが、カメラの対象になることは最近いよいよ嫌いになっていた。老いた顔をわざわざ人前に曝すことなどない。そう思いながら杖をついて出口に向かっていると、若い女性の声が聞こえた。

「高田さーん」。加藤紅だ。約束通り出迎えに来てくれていた。もう安心である。
福岡は初めてではない。それでも、どこでもそうだが新しくなっていく場所は気疲れする。今回は偶然関わり始めた福岡出身の孫のような若い娘の出迎えを受けることになった。実際に本人がそこに来ていることが分ったので、心配がなくなった。

松野もまたその時、高い声で人を呼ぶ声を聞いた。その方向に思わず目をやった。やはり姪の紅だ。夏休みは日本に戻ってバイトしているのだが、今日は仕事空けにしているのだろう。「高田」と聞こえた気がする。が、迎えようとしているのが誰なの分らない。

松野にとって、紅は不思議な子である。姪とは言っても、紅は自分を叔父だと認めたくないのか、いつも他人行儀だった。紅の姉たちは幼い時分から松野を「おじちゃん」と呼んできた。ところが歳の離れた妹の紅だけは、当時は赤ちゃんでしかなかったが長じても口を利かなかった。

それが偶然とは恐ろしいもので、紅があれこれ迷って入学した高校に松野が異動させられたのである。松野は姪の高校が同じだと思いもしなかった。しかも、存在を知る由もなかった紅たち一年生の国語を受け持つことにもなっていた。紅の側からすれば、高校の国語の授業の1時間目に教室に入ってきたのが松野だと分って、嫌だったに違いない。

飛行場がざわめきだした。テレビカメラが的を絞ったのだ。


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