その9 文革以後
長かった文化大革命は、様々な権力闘争をも含みながら、毛沢東の死と重なるようにして終結した。下放のまま各地農村にいた者の多くも故郷に戻っていった。大学に戻れた者もいた。
しかし文賢は、蘇州大学はもとより、遠くもない故郷の牡丹江にすら足を向けなかった。東方紅からさらに過酷な七台河の炭鉱で働いた。
それが、四十歳近くになって突然故郷牡丹江を訪れた。郭明を探しに来たのだ。 郭明は、文賢が大学生となって蘇州に行く頃、小間使いとして文賢の家に住み込んでいた。
蘇州行きが目の前に迫った時、文賢は、自分の家の使用人の中の幼い子の存在に気づいた。名前を尋ねた。「グーミン」と答えるのを聞いた。
まさか「革命」ではあるまい。しかし、この幼い薄汚れた使用人は自分の名前すら書けない。自分らとは無縁の、書く必要など全くない労働生活に従事しているこの子に、文賢は初めて憐憫の情を抱いた。
文賢は親に聞いて「郭明 グオミン」だと分かった。紙に書いて渡した。「お前の名前だ。」その紙切れと一緒に、どこにでもある小さな青龍刀をお守りの積りで握らせた。郭明のひび割れの指がかさかさ鳴った。握らせながら、文賢は「郭明」より「グーミン」が似合うとまた思った。目が可愛かった。賢そうにも見えた。
郭明もまた、この家の息子ではあっても、自分には遠い存在でしかない文賢を初めて意識した。やわらかい手だと思った。私の名前を聞いてくれた。それだけで、距離が縮まった気さえした。
あれから20年近くの月日が流れている。「グーミン」はどうしているだろう。文賢は時々思い出すことのあった「グーミン」の今を知りたい、と言う欲求が膨らんできた。 とにかく牡丹江に行ってみよう。
休暇も取らず、一度として他の地に行くなどして来なかった文賢だ。彼の申し出に、会社は驚きながらも許可を与えた。
牡丹江の実家には兄の普殊が住んでいた。普殊は数学的な才があった。ハルビン理工大学を出ている。普殊にとっても文革は過酷だったはずである。でもお互い一言も触れなかった。
兄の家には、矢張り郭明はいなかった。しかし、牡丹江にいたのだ。
小間使い、子守り、掃除、炊事洗濯、農作業、土木工事、なんでもして転々としていた。体が丈夫で、使っても使い勝手がよかった郭明には、一つの仕事が終わってもどこかで拾われ、仕事の絶えることは少なかった。家族とははるか以前から音信不通になっていた。だからそのまま牡丹江に住み続けることが出来た。
郭明は、文革中も文革後も変わらず転々としながら生きていたのだ。文革中に暴れた一群の無恥なる者たちの仲間に入ることもなかった。
郭明は、文賢に書いて貰った自分の名前の紙は既に失くしていた。小さな青龍刀をかたどったお守りは何度か糸が切れた。が、青龍刀だけは大切な品として、どこの家に行っても手放さなかった。
郭明はいつしか25歳も過ぎようとしていた。しかし、郭明に年齢は関係がなかった。自分の年齢のことを考える時などなかった。
その郭明を突然初老の男が訪ねて来た。李文賢だと言う。
どこかで一度聞いた名前だ。何か大切な名前のような気がした。でも思い出せない。分からないまま、客の前に出た。
汚い姿の男が自分を見ている。誰だろう。目が合った。あっと思った。荒んだ目の中にも瞬間蘇っていた優しい眼差し。私の名前を親しく聞いてくれた人だ。李文賢だ。郭明は思い出した。懐かしさで顔がクシャクシャになりそうだった。
文賢も思った。紛れもなく「グーミン」だ。手を差し出した。手が返ってきた。熱い血が通い合った。それぞれの掌はごつごつしていた。
「おれはね、おれはね、今は何にも持たない。お前と同じ貧乏人だ。ただ一つだけ持ち始めたものがある。それはね、お前の子が欲しいという夢だ。」
郭明は何も応えることができない。この人は何を言いたいのだろう。この私に向かって。気が触れているのかとも思った。
「叶えて欲しい。叶えてくれまいか。貧乏人同士の間に生まれる貧乏人の子。これが私のたった一つの夢になったんだ」
「おれは懸命に働いてきた。これから一層働く。苦労させるだろうが、幸せにしたい。」
子どもだった自分には手の届くことなどない大人であった文賢だった。全く別世界に生きている人だったはずでもある。が、今、このよれよれの男は、自分と同じ位置にいる者として感じられた。
郭明は運命を感じた。地べたを這いずって生きているような女だ。人並みの「結婚」だなんて。縁のない言葉だった。なのに、と可笑しく嬉しくなった・・・。
郭明は長い時間をかけて話した。全て忘れた、と娘に一度として伝えなかった夫のことを昨日のように語った。
亭亭は、親たちの長い物語を聞き終わった。自分の出生の秘密でもあった。自分が生まれてすぐ炭鉱で爆死したお父ちゃんと、お母さんの物語。世の中の動きと関係があるなどとは、想像もしてこなかった。
聞き終わっても何も言えない。しかし、確かなことは感じていた。自分に期待する両親の思いを決して無駄にしないと言うことだ。
蘇州大学は、日本語学部でも大学院募集を始めた。これも何かの縁であろう。勉強した。必ず合格しなければならない。自分を鞭打った。これまで以上に勉強した。周りが亭亭の身体を心配した。それでも疲れを知らないようにひたすら勉強した。
そして合格した。晴れの第一期院生である。
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