20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第7回   7 卒論と寒山寺
    その7 卒論と寒山寺 
 
 亭亭にとっては、蘇州大学の自分のベッドに眠る初めての夜だ。ハルビン師範大学のも気に入っていた。ここも小奇麗で気持のいい部屋だし、ベッドでもある。亭亭は嬉しくなった。自分の幸せを噛み締めた。

 艶淑は既に眠ったようだった。

 明日、寒山寺に行くことを決めたからだろう。亭亭は妙に興奮して眠れなくなった。睡眠は昨夜十分に取っている。色々なものが頭を占めた。

 三年生から四年生に上がる夏休み、亭亭は早くも卒論のテーマをほぼ決めていた。9月からの教育実習中ではむしろ、このテーマに絡んで、実習先の学生に向かって少しでも

 しゃべることが出来たらいいと思っての早いテーマ設定だった。
どうして『寒山拾得』を選んだのかと商吉郎が尋ねた時のことも思い出した。

 亭亭は、他人にどのように答えたらいいか窮した。

 自分の中のもう一人が「寒山拾得、寒山拾得」と叫んだ気がして、気づいたら、矢張り森鴎外の『寒山拾得』を手にしていたと言うことだったからだ。

 森鴎外は、亭亭が初めて日本人作家として自覚した人である。

 自分たちの教科書『日本近代文学選』は、芥川龍之介の『鼻』から始まっている。亭亭は授業の始まるずっと前に図書館で、教科書と類似の本を3冊手にしていた。その一冊の中に、森鴎外の『舞姫』があった。

 「石炭をばはや積み果てつ。」この冒頭の句の響きに惹かれた。何も知らないまま森鴎外に好感を抱いていた。

 その鴎外作品の中で、中国に関連している作品が『寒山拾得』だったから、と言うのも確かだ。でも、さして問題にされることも少ないこの短編に注目したのは、まさに、短編中の短編であり、周りの人がほとんど知らない作品だったからであった。

 森鴎外の作品は、明治から大正に移ってからも大きく変わったと言われる。明治天皇に殉死した乃木希典の評価に関わってだと言う。しかしその評価も鴎外自身の中で揺れているようにも感じられた。でもそれはいい、と亭亭はその問題には触れないことにした。亭亭には難し過ぎるのだ。

 ただ1915年の「歴史そのままと歴史離れ」と言う論争になったテーマは、一方で面白いと思っていた。そして翌1916年、大正5年に発表された作品は、前年の『山椒大夫』と少し内容が異なる『高瀬舟』だった。

 亭亭ははじめこの『高瀬舟』を中心に論文を書こうとしていた。しかし、これはたくさんの評論文があると言う。それを知った時点で卒論テーマの候補から外していた。

 「安楽死」の是非論も興味ないわけではないが、「足るを知る」話としての方により興味はあった。更に言えば、舟という世間と切れた特殊な環境の中の役人が、批判を許さぬ厳格な公的見解から解放され、自由にものを見ていく筋道、として読めそうな所も面白いと思っていた。しかし、亭亭には、この『高瀬舟』の文章でも、原文は自分に長すぎる気もした。

 もっと短いのでないと読みこなせないと思った。そして『寒山拾得』になった。中国の話であることが何よりも魅力的でもあった。好きなように生きる。あるがままでいい。それを他人がどのように評価しようと構わない。亭亭は自分と異なる寒山拾得の生き方に、どこかで惹かれていることを自覚した。

 これが卒論のテーマ設定の本当の経過だと、卒論の「あとがき」にも書いた。

 もともと亭亭は、卒論を、日本語の原文で読んで書くことに決めていた。友達の多くは、中国語になった訳文を基に内容をまず理解する。それだけで終わる者も少なくない。しかし亭亭は、それはすまい、と決めていたのだ。

 卒業論文について、亭亭には四つの決意があった。
1  あくまで原文だけを読む。読み間違えても構わない。訳本は見ない。
2  ましてやインタネット検索で出てきた他人の文章を利用する考えも一切捨てる。
3  段落(400字〜800字程度)毎に見出しをつける。
4  そして、論文は日中両語を並べて書く。
であった。

 こうした姿勢で書いた文章を、先生方は、内容が浅いと評価するだろうか。逆に高く評価するだろうか。その評価の仕方で、評価する人の、論文を書く学生達の実態の把握度、教員自身の日本語の学力や見識、あるいは誠実さなど人格までが示されるだけだ、と亭亭には気負う部分もあった。

 大学院に進んでの研究テーマとは全く異なる方がいいと思っていた。言語、文学、文化と大きく三つに分けている中国の日本語学部の分け方で言えば、学生時代の卒論で「文学」、院生論文は「文化」にすることも、亭亭は決めていた。経験上、日本語文は、「文化」でも評論文などになるほど読めた。「文学」が最も難しい。だから挑戦する気持になっての選択だった。予定通りと言ってよかった。

 亭亭は、一度『寒山拾得』をインタネット検索で覗いていた。三島由紀夫の評が出ているのを見つけた。「最も小説らしい小説」。

 しかし、彼がどう言ったところで、論文の内容に変化があるとも思われなかった。「最も**」と言った類の断定的評価について、賛否を亭亭が語れないのはこの件だけではない。比較できるほど他の本を読んでいないのだ。このことを亭亭ははっきり自覚していた。

 インタネットの中に、参考にすべきものは何一つなかった。なかったことが亭亭を安心させた。これ以後、自分の卒論に関して検索をすることはない。亭亭はすっきりした気分になっていた。

 書く気が勝ってきた。何を書いてもいいのだ。そして書いた。書き上げた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 186