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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第6回   6 学生寮
その6 学生寮 
 加藤紅の部屋は一人部屋だった。「外国人留学生宿舎」と玄関の壁にあるのを、李亭亭は読んでいた。日本人寮は中国人寮とは違うのだ。大学の教員でも中国人の場合二人部屋に住んでいる人もいた。おまけに調度品も違う。亭亭は一度、ハルビン師範大学で教員の部屋を訪れたことがある。その時の様子を思い浮かべながらその違いを考えていた。

 亭亭は、この三日間充分な睡眠を取ることは出来ないでいた。母親のことは何はさておき思い浮かべたものの、一方で疲れてて、目の前での話もついおろそかになる。ハッと目覚めても、すぐにうとうとしてしまうのだ。招待してくれた日本人に申し訳ないとも思った。

 それでも、お互いの興味関心が重なるところが多いことだけはお互いに分かった。一番のいいことは、大学や大学院終了の論文を書く際に、それぞれが相手にとっていい役割を果たせそうだと言うことだ。
 
 亭亭は、国境線を持たない日本人の意識について考えたいと思っている。加藤紅は、中国人若者のチャイニーズドリーム、出世意識と言ったものに関心を持っていた。

 「あなたは、いつも国境を見て過ごして来ていたのですね。私は中国に来て初めて国境線を見た。不思議な感じがしたわ。」

 紅は、南京の学生だった時に訪れた二つの国境線を思い出していた。

 一番初めは、内蒙古の満州里だった。祖父の妹の艶子の願いにわずかだが応えた格好になった。親兄弟と離れ離れになった艶子の記憶の原点的場所だと聞いた。中国の「国門」とあるその500m先にロシアの「国門」が見えた。ロシアからのバスが着いた時に出会わせた。彼らの登場がいかにも似合っている場所だ、と紅は思った。

 その後が吉林省の図門だった。満州里とは同じ国境でもまるで雰囲気が違っていた。3、400m先だろうか、さして広くはない豆満江の向こう側が朝鮮民主主義共和国である。備え付けの望遠鏡があった。金日成の顔写真が目の前に見えて驚いた。それから紅は橋の所に下り、河に架けられた橋の真ん中、国境線まで歩き、また戻った。白い線が引いてある近くで国境警備兵がのんびりタバコをふかしていた。

 亭亭は面白く聞きながら、虎頭も、川の中に国境線がある。それこそが虎頭であることを話した。亭亭にとっては何の変哲もない景色なのである。

 話しながらも亭亭はもう我慢できない限度にあった。疲れと眠気がどっと襲っていた。

 着替えることもなく、いつしか紅のベッドに沈み込んだ。紅はさほどの疲れがあるわけではないが、寝る準備に入った。亭亭が小柄だから誘ったこともあるけど、小さく丸まって寝ているので、ベッドはまだ充分に余裕があった。安心して横になった。

 朝もゆっくりしていた。亭亭はすっかり元気を回復した。身体は頑強に出来ている。
それから中国人大学院生の寮を探しに行くことにした。元気になった分、重い荷物も気にならなくなっていた。亭亭は小さいけれども、母に仰せつかった仕事で鍛えられていた分、力も子どもの頃から自慢だった。

 大学院生寮と言っても特に変わっているわけではない。6人部屋でなく4人部屋だった。

 インタネットが無料で使えるのが学部生と大きく違う点だと説明がある。と言って、亭亭はまだ自分のコンピュータを持っていない。その内バイトのお金で、出来るだけ早く買いたいと思っている。

 手続きを終えて部屋に向かった。

 部屋には濾艶淑と言う女性が既に入室していた。屈託なさそうな人で亭亭は安心した。亭亭は自分の名前を言うと同時に、簡単に紅を紹介した。

 濾艶淑は入って来た小柄な女性に、瞬時に好感を持った。同行している真面目そうな日本人も気に入った。

 艶淑は笑顔で「濾艶淑です。よろしく。」と言った。紅は軽く頭を下げて応えた。

 艶淑は福建省龍岩市から来たと言う。客家出身だとも付け加えた。

 亭亭は、驚いた。客家のことも歴史の時間で勉強することがあった。世界中に散らばって活躍しているらしい。小平もそうだと聞いたことがある。

 艶淑も、亭亭の驚き、疑問、確かめに、一つ一つ喜んで応じた。

 紅は、黙って二人のやり取りを見ていた。嫌ではなかった。話の中身もほぼ理解できた。面白いテレビを見ているようなものだと思っていた。

 「お昼にしませんか。一緒に。紅さんもいかがですか。」

 紅たちは、昨夜はジュースを飲んだだけで眠りについていた。朝も手持ちのパンやジュースで済ませていた。言われて急にお腹が空いているのが分かった。

 艶淑ははきはきしていた。先に立ってどんどん歩いた。亭亭たちは、時に小走りになりながら後について行った。

 二階が店で一階が食堂だった。手近に別の食堂もある。でもこの食堂が艶淑の好みだ。何人かの学生がいた。まだ授業が始まっていないのでまばらである。

 艶淑はトレイを手にしてご飯と二品のおかずを求めた。亭亭は少し大きめの豚肉だったからためらったが、同じにした。紅も続いた。艶淑はカードを出してみんなの分を払った。二人はそれぞれお金を払おうとしたが、艶淑はさえぎった。

 「私が誘ったのだから今日は特別。歓迎会よ。」と笑った。二人とも好意に甘えることにした。

 席に着くと艶淑が席を離れた。戻って来た時には緑茶を手にしていた。気がつく人だ、亭亭は思った。

 「客家の我が家ではね、最上のお客さんに、ウサギの肉を食べてもらうことにしているの。」と笑った。

 「ここにはないから、豚肉で歓迎の気持を表すわ。」

 艶淑の優しい気持が伝わってくる。三人はそれぞれに、この巡り合わせを噛み締め、暫く黙って食べた。

 不意に亭亭が口を切った。「私、明日寒山寺に行こうと思っているのですけど。」
亭亭は自分の計画を告げた。

 艶淑はすぐ「一緒に行っていいですか。」と聞いてきた。無論嫌なわけがない。

 紅は少しためらった。でも折角の誘いだ。もしここで断ったら次がないかも知れない。彼女たちともっと親しくなっていたいと思った。

 「私もお願いします。」と紅も応えた。


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