20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第3回   ニーハオ蘇州

25日、虎頭の家を出、虎林駅からハルビン、ハルビンから徐州、徐州から蘇州駅へと、車中2泊、10元の安宿1泊を経、やっとの到着である。降りる前、母親が持たせてくれていた菓子を、無理にもお腹に詰め込んだ。亭亭はさすがに疲れていた。車中合計3500q、46時間、全て硬座だった。だから出費は210元で済んだ。徐州行きを促した母親に感謝である。

亭亭は、駅前はどこでも同じだと言う先入観があった。でも蘇州は違った。「獲物」を求める男達の群れがなかった。警察の管理が行き届いていると言うことだろうか。

日本人教員が言ったことがある。「中国で嫌いなことの一つは群れて迫って来ることだ」と。亭亭は仕方ないと思っていた。中国は貧しい。金持ちになった者が勝ちを得る世の中になってしまった。これは簡単に変わるまい。人を騙しても収入を上げる者のいることは仕方ないことなのだ。

それでも蘇州は違っていた。

そう言えば北京も群れては来ないらしい。親友の月餅から聞いていたことを思い出した。彼女は一攫千金を得る「資格」を取るためにも大学に来た、と言った事がある。北京からハルビンまでは千km以上の距離がある。それでも平気だと言った。おとなしく控えめな月餅の淡々とした物言いに驚いたものだった。しかし考えるまでもなく、今、亭亭はその倍以上の距離の地に学びの場を求めているではないか。そんな独り言に自ら苦笑した。

群れては来ないが、スーッと近づいては「どこに行くのか?」と誘いを掛けてくる者はやはり何人かいた。それらをも無視して亭亭は歩き続けた。駅前広場を通り抜けバス停近くまで来た。考えるまでもなかったことなのだが、亭亭はどのバスに乗ったらいいのか分からない。蘇州大学と言っても広く分散していると言う。正規のタクシー乗り場の長い列の後ろに並ぶほかないのかも知れない。

8月も末だと言うのに、日差しがまた応えた。うんざりだ。荷物の重さもどうしようもない。もう限界だと気づいた。

「どこまで行くのか」声が聞こえた。まだいた、と亭亭は思った。思うと同時に、声の若さを訝った。思わず顔を上げた。目が合った。優しい目つきだった。自分よりも若い。もしかすると十代かも知れないと思った。故郷には若くて学校にも行かずブラブラしていると思ったらいつの間にかいなくなった若者達を数多く知っている。この男もそんな一人なのだろう。若い男も直接目が合って戸惑った。「蘇州大学よ」応えてしまった。男も驚き、また一瞬ひるんだかに見えた。が、「乗れよ」と言葉を重ねてきた。

「幾ら?」
「50元なんて出せない」
「30元でもだめ。私はお金持ちではないの」
「そうねえ。20元だったら今日は出してもいいわ。」

若い男は荷物に手を掛けようとした。亭亭は離しっ放しにはせず、半分を委ねて、列から離れた。急に楽になった。男の車はそれから100mも先にあった。着くや若い男は亭亭の荷物を後の放り込むように投げ入れた。亭亭の赤い鞄が悲鳴を上げた。

男は確かめもしない速さで運転席に滑り込んだ。「早く」。男に促されて、亭亭も助手席のドアを開けた。車の中は熱が籠っていた。二人とも窓を荒く開けた。汗が滴り落ちている。

一息ついて、運転手の身元証明を写そうとした。顔が違う。幾らかの使用料で他人のを借りてきているのだろう。万一の時のための車のナンバーは降りた時点で写せばいい。ゆとりが出てきた。また汗の吹き出るのを感じた。

「蘇州大学だけでは分からない」「正門から入ってずうっと行くと、院生寮があるの。いや、不案内の人には、東門から入る方がいいらしい。何かと教えてくれる人がいる確立が高いらしい。東門に行って。」

「日本語学部は昨年から引越ししたけど、院生寮はそのままなのかな。」亭亭は、不安な気持を打ち消すように饒舌になった。

若い男も、スピードを上げながら素直に「うん。うん」と頷いた。
質問もしてくる。

「虎林。黒龍江省よ。」
「そう。中国の最北。黒龍江省の中では 最東部分ね。東側にロシアがずっと続いている。それがすぐ目の前に見えるの。」

若い男は興味を失っていた。見当のつかない世界の話だ。

「あなた、なんて名前?」
「郭征」若い男はぶっきらぼうに答えた。

姓は母親と同じ。名前は二軒隣の正ちゃんと発音が同じだ、その正ちゃんも今どこかに行ってしまって故郷にはいない。諸々の偶然にびっくりした。

話をしていると、どこをどう走っているのか分からなくなる。

同じ中国の風景でもあるし、違う感じでもある。亭亭の進学先を知ると、十人が十人、まるで行ったことがあるみたいに、蘇州はきれいな街だ、と言う。聞く度に可笑しく感じたものだ。

インタネットで蘇州を調べた。図書館に行って蘇州の地図も見ていた。その街を亭亭は走っているのだと思うと嬉しくなっていた。

車の窓越しに、目をあちこち移動させながら、しっかり見ておこうと思った。確か先ほどは北環状線を走っていた。今は東環状線に入ったように道路標識は教えている。大体の街の姿は頭の中にある。環状線の内側に外城河が四方を囲んでいるはずだ。タクシーからは小さな運河を時折横切るのが見えるだけだった。

「蘇州大学」と記した門が見えてきた。東環状線にある校門が東校区の入り口になっているようだ。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 186