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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第21回   21
その21 丹東 

伊丹二郎は中国行きの時間ができたので、11月末、事件から一ヵ月後にも丹東を訪れていた。被害者の女性の意識が回復していることを期待したが、まだだと、警察官は応えていた。加害者は見つかってない。時間をかけて探したが見つからなかったと言う。多分、依然として沈んだままか、海まで流され、日本などの岸にやがて流れ着くのだろう、との見解を聞き、すぐ目的地の長春に飛んでいた。

今回は、前回の長春とは逆の浙江省寧波大学での面接が用意されていた。遠回りを承知で、福岡から大連に飛んだ。大連にはこれまでにもお世話になった有力な大学が幾つもある。少し仕事をして翌朝の高速バスで丹東に向かうのは、前の月と同じである。警察での確かめが終われば、丹東飛行場から目的地に向えばいいのだ。ただし、寧波に飛行場はあるが丹東からは飛んでいない。だから午後3時過ぎの便で上海に飛び、バスで寧波に行く計画にした。遅い時間になっても、酒を酌み交わしゆっくりした気分で語らえるのを、寧波の留学担当教授も好んでくれていた。
帰りは勿論上海から直接福岡へとなる。

警察の事情は、何も変わってなかった。「お引取り下さい」。とだけ言った。
伊丹は引き下がるしかない。意識だけでも取り戻して欲しい、そう念じるしか何もできなかった。先月も加害者と思われる男のことを告げようとしたが、体よく断られた。今回も同じである。近くの食堂に入った。

食事を注文しながらも伊丹は考えていた。加害者はほんとに沈んだままなのだろうか。確かに、冷たい鴨緑江の水の蒼さと重なり、女性の蒼い服が揺らいで流れるすぐ後を、男の白いジャンバーが追うように流れていくのを見た。それは、事件発生を知らせた時に報告していたことでもある。

伊丹は、電話をすることにした。このまま飛行場に行き、上海に向かう気持ちにもなれない。その日の便でなく翌日の便にしようと決めて、寧波大学には連絡した。いつでもいいとの返事がありがたかった。

瀋陽領事館に勤めた時、短期間だが警備で来ていた一人の中国人警官、光英と親しくなっていた。趣味が同じで真面目な生き方も共感し合っていた。時々中国に来ては連絡を取り合っていた。今は東北三省の副責任者になっていた。

電話を受けた光英はすぐ丹東署の幹部に電話した。電話が通じたことを聞き、伊丹は再び署に行った。光英の紹介だと告げた。すぐ、奥の部屋に通され、直接その幹部室で事情を述べることになった。

美玲は、セメント工場での休暇を取って大連にまで来ていた。

息子の吉郎の身に何かが起きている気がしていた。電話をかけて聞いても返す言葉が少ない。忙しいと言う割には、緊迫感もなくしている。要領を得ない。二ヶ月もそんな状態が続いていた。

思い切って息子の仕事場を訪ねることにした。吉郎はもうすぐ23歳の誕生日を迎える。これを口実にした。

寧安の駅から牡丹江に出、そこが始発の大連に行き列車に乗るのが一番便利だった。
寧安駅ではやはり待合室の青さが身に染みた。椅子に座ることなどこれまで殆どなかったのだが、座っていると色々なことが頭に甦ってきた。極端な嬉しさと極端な悲しさを同時に味わう感じだった。

大連駅に朝早く着くのは分かっていた。むしろそれ幸いに、息子の活躍する大連の町をできるだけ知りたいと思った。適当にバス停を探した。

遼寧師範大学に行くことにした。若い頃は先生になることに憧れていた。子どもにも先生になって欲しいと願っていた時期もあった。自分の場合は大学に行くことができずに諦めていた。だから親として、息子に大学に行ける力をつけさせることとお金を準備することを努力してきたものだ。息子がハルビン師範大学日本語科に合格した時は、自分のことのように嬉しかった。でもそれすらもう昔の話になる。

バス道路の両側に、巨大な遼寧師範大学の建物群の続いているのが見えた。隣の人に聞くと、両側とも同じ大学と言うのだ。美玲の知っている学校は、寧安の朝鮮族学校だ。幼稚園児、小学生、中学生全員が同じ場所にいた。子どもの頃は大きく見えていたが、大人になって見るといかにもこじんまりとしている。その寧安の学校と比較する自分がおかしいと思ったが、それにしてもこの大学の大きさは何だろう。息子が入ったハルビン師範大学も同じだったのだろうか。自分はハルビン師範大学を見たことがない。このことを初めて悔いた。

バスを降りた側の門をくぐった。坂道になっている。足には自信があった。
高まりから道の反対側の校舎群を見下ろした。学生たちが少しずつ現れてきた。自習をする子たちだろう。美玲はがんばる彼女たちを眩しく見た。

時間はたっぷりあった。次はまったく逆の港に行こうと思った。

美玲は海を知らない。知らないから一層海に憧れた。寧安に引っ越して一番嬉しかったのは、駅待合室の青色だった。その憧れの海を再び見ることができることに気づいた。
港は、師範大学から一直線の東方面にあった。港は人の活気が始まっていた。しかし、海はわずかしか見えなかった。きれいではなかった。近くの一段下がった所に食堂もあった。麺を食べようと思った。

食べながら服務員に、大連からはどこに船が行くのか聞いた。「煙台」と答えがあった。他には、と重ねると、「天津や上海」と返ってきた。上海にも行けるのか。美玲は嬉しくなった。

美玲は北京に行ったこともないが。行くなら上海だと子どもの頃から決めていた。海があるからだけではない。図書室で見た上海の街は、美玲の知っている中国ではなかった。その後日本の東京にも憧れていた。日本に住むかも知れないと考えた時期もあった。上海は諸々の憧れの象徴的都会であった。

空想にふけっていた。「お客さん」と呼ばれて正気に戻った。慌てて残りのスープを啜りお金を払って外に出た。切符売り場で上海行きを尋ねると、今はないらしい。夏には出るはずだが、それも定かでないと言う答えだった。いい加減な感じで少し頭にきた。と言ってどちらにしろ自分には関係のないことだった。

それ以上聞く気もなく、ブラブラ大連駅の方に歩いた。中山広場から真っ直ぐ南に上って行けば大連外国語大学があるはずだ。息子のブルーワールドはそこから近い。吉郎がいつか教えてくれていた街中の地図である。

「外国語大学」、この響きも好きだ。
大連外国語大学は階段が多かった。大きくもない。この大きさがいいと美玲は思う。学生たちに交って校舎の中にも入った。掲示板があった。「雷峰に学ぶ」と出ていた。美玲は驚いた。自分が子どもの頃学んだ雷峰を今の大学生が学んでいるのだ。歩きながら自分が大学生になった気分を味わっていた。

美玲は、「会社の始業開始時間は忙しい。10時過ぎに来て欲しい」と息子に言われた通りに行った。元気がなさそうに見えた。営業に行かなくていいらしいから会える喜びは増す。だが逆に気にもなる。

見慣れた笑顔を見せている息子に会えて喜びながら、昨日から今までのことを話していた。そこに二人連れの若い女性が入って来たのだ。

二人の女学生ともう一度話すことができれば、もう少し何かがわかるかも知れない。分かることで恐ろしいことになるかも知れない。それでも分からないまま苦しんでいるより悪くはなるまい。

何かを隠しているような吉郎を会社に残したまま、美玲は外に出た。
美玲は、走りながら、二人の行き先を考えた。胸騒ぎはいっそう激しくなった。

タクシーが来た。これ幸いとすぐに乗って、二人の後を追った。

大連駅裏の長距離バスセンターに向かっているはずだ、との判断は正しかった。二人を見つけて、急いでタクシーを降りた。

紅も艶淑もあわただしい物音を聞きつけて振り返った。さっきの中年女性だった。
「おばさん、どうしたのですか。」艶淑が尋ねた。紅は、「私たちが何か悪いことでもしたのですか。」と同時に問うた。

「さっきの話の続きを聞かせて下さい。」美玲は応えた。
「あなたたちが会いに行くのは、ハルビン師範大学卒業生の亭亭さんですね。」
二人は頷いた。

「亭亭さんのこと、もっと知りたいの。」
「おばさんは、亭亭のことをご存知なんですか。」
「ちょっとだけ。名前を知っています。何故か気になるんです。何でもいいので教えて下さい。」


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