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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第17回   17 コンテスト会場

     17 コンテスト会場 
「スピーチ・討論コンテスト」と銘打ったことを知らされていた。討論など出来ない。亭亭はもともとスピーチにも自信がなかったのだが、討論などしたことは全くない。主催者には申し訳ないが、旅費を貰えるらしいから、北京の地下鉄と丹東行きの旅を経験できるだけで満足である。

ハルビン師範大学からも出場する人がいた。その先輩、朴金善の顔はそれとなく知っていた。が、話をしたことはない。でも連絡だけはしてきた。先輩は既に到着しているはずだ。

正門前で電話をした。すぐ迎えに来てくれると言う。正門の周りをぶらぶら歩いては憧れの北京の一つの雰囲気を味わっていた。

程なく向こうからやってくる人が先輩のようだ。長い髪がまぶしく見えた。

コンテストは散々だった。仕方ない。一等や二等になった人はカッコよかった。朴金善も同じく控え目な人だ。討論の場で割って入り意見を述べるなどはしなかった。
表彰式がはじまるまでの間、一緒に昼ご飯を食べた。先輩が朝鮮料理を奢ってくれた。厚かましいと思いながら、亭亭はビビンバを頼んだ。

懇親会に出ず、夜行で丹東に行くことを伝えた。朴金善は、丹東にも興味を持っていたが、翌日図書館に行って修士論文の資料を探したいと言った。

朴金善は朝鮮族である。亭亭はどちらかと言えば、大学に来て朝鮮族の人と知り合ったのだが、彼らには好感を抱いていた。吉郎も例外ではなかった。日本語が上手であることにまず、羨ましく見ていたが、彼らは概ね何に対しても真面目であった。周りの人へ気配りする態度も好きだった。

表彰式が進行した。3等賞の中に亭亭は朴金善と共に含まれていた。自分がそれに値しないのは自分が知っていた。でも皆と一緒に並んで賞状と学業奨励賞を貰うとやはり嬉しかった。この日のために洗い晒した自分の青いシャツが輝いているような気がした。

壇上から下りてきた時、「お知り合いの方が玄関で待っています。緊急の用事だそうで。」と係の学生が伝えに来た。

「誰だろう。」亭亭は気にした。朴金善に「人が来ているのでちょっと会って来ます」とだけ伝えて会場を出た。念のために貴重品の入ったバッグは持った。

エレベーターを降りたら、受付の男性が顎で入り口を指した。

玄関を出た所に一人の男が立っていた。亭亭は「あっ」と声が出た。商吉郎だった。どうしてこんな所に、といぶかりながら近づいた。

吉郎がニコニコ顔で、「よかった。上手だ。優勝間違いなし。」と大声で言った。自分が出来なかったことは自分で知っている。現に多くの人と一緒に3等賞を貰ったところだ。何が優勝かと、吉郎の調子のよさにも頭に来た。

大きな旅行カバンが目に付いた。どこか遠くに出張する途中なのだろう。

でも、どうしてここが分かったのか。いつもながら母には北京に出ることは伝えていた。吉郎は母からしつこく尋ねて北京行きを聞き出したことは確かだろう。が、中身も、ましてや会場のことは知らないはずだ。

吉郎の執念を迷惑と感じる以上に、怖い、と初めて思った。

商吉郎の中で、何かが違ってきた。何かが狂って来た。

人の何倍もの給料の貰える会社だった。「お前のように勉強しておけばよかったなあ」、と不真面目な者達にも羨ましがられていた。

現地の遼寧師範大学でも、大連外語大学でも、吉郎と同じく真面目なよく出来る学生だけが就職できた会社だった。ハルビン師範大学では初めての雇用企業だった。後輩の四年生の中で、早くも後に続こうと必死になっている者も出て来ている。

確かに給料は最初の予定通り3000元貰っている。しかし、半年頑張ったら5000元になり、その後も昇給は確実だった。確実だったはずだった。

しかし今となっては、約束が果たされるのか、誰も分からなくなっていた。

日本の本社に一大事件が起きていると聞いて数ヶ月経った。それが最悪の方に進んでいるらしい。

専務だけでなく社長が逮捕されたと言う。

一年前の同業会社の社長逮捕ほど世間は騒がなくなっていた。しかし、当事者の吉郎たちにしてみれば、青天の霹靂である。昨年は他人事であった。自分の会社が似た事態で捜査の対象になるなど考えた者は、吉郎の知る限り誰もいなかった。だから、羨ましがられたし、当人としたら自慢の就職決定であったわけである。

次々に日本のテレビを通して情報が入ってきた。社長が変わった。目まぐるしい事態の推移の中で、信頼していた直属の上司藩英勇までが吉郎を裏切った。ある日から、資料を持ったまま、自分に知らせることもなく、会社に出て来なくなった。

吉郎だけではなかったが、このような事態は、全くの想定外だった。

自分の仕事の夢が崩れかけた。絶望だと思った。

亭亭への夢はその分ますます膨らんできた。

吉郎は焦った。焦りながら亭亭を追い求めた。亭亭とのことで頭がいっぱいになっていった。

吉郎は決断を下した。

亭亭は、人の目を気にして会場の裏側に廻った。何かの工事のためにセメントをこねている男がいた。その横をすり抜けるようにして奥まで行った。余り手入れされていないが、庭があった。学生たちが朝早く声を出して文章を暗記している場所の一つなのだろう。

だが、今は誰もいない。庭の先は小さな建物があり、壁が続く。その先は道路のようだ。人の目から死角になっている場所で立ち止まった。

「何の用事?」
「・・・」吉郎は口元を動かしかけたが何も言わない。
「どうしてあなたは、いつまでも私に関わるの」

亭亭が何度か問うた疑問だった。怒りでもあった。

吉郎は応じる。
「私の夢は、あなたと一緒になること。これは変わらない。きっと誰よりも幸せにしてみせる。」

亭亭は何と応えるのがいいのか、暫し考えた。いい言葉が見つからない。
「あなたは嫌いでない、いや嫌いでなかった。でもそれだけよ。あなたと一緒に生活するとか考えられないの。わかってよ。」亭亭は

「好きだと言ったことがあっただろう。」
「あったかも知れない。」
「あった。」
「そうね。あったわ。でもそれはね、他の人に比べてのこと。真面目だし、行動的だったからよ。学生時代の話でしょう。」

「今どうして一緒になることが出来なくなったのか。」
「何度も言っているでしょう。私は勉強したいの。この気持は卒業する頃もそうだったけど、今は全く違う感じがするほどもっと切実なの。今回北京に来たのは特別。ちょっとの時間も惜しんでバイトと勉強している。」

「バイトはしなくていい。私が送る。」
「どうしてそう言う考え方をするの。私はあなたの世話にはならない。」

ちょっと出来た間をさえぎるように、吉郎が言い始めた。言葉の調子が変わっていた。
「俺はねえ。あんたと一緒に生活する夢をずっと描いてきた。あんたも知っているだろう。誰の前でも隠したことがない。それだけ必死だし、あんたを幸せにする責任を感じて生きているんだ。」

「そうかも知れない。でもそれは、あなたが勝手に描いているだけでしょう。私は私で描いていけないの。」

「誰か好きな男がいるのか。」
「いるわけない。でもいたとしてもあなたには関係ないことでしょう。」
「やっぱりいるのか。」
「勝手に想像しなさい。」
「許せん。」

「どうしてよ。あなたは別にいい人を見つけなさいよ。」
「・・・」
「私はねえ、蘇州大学の院生になったの。あなたも知っているように、なりふり構わず勉強した。そして今はそれ以上に、別の意味で、なりふり構わず勉強しているの。」
「・・・」
「貧しく生きて来た両親のせめてもの願い、希望が蘇州にあったの。私にあることが分かったの。」
「・・・」

「あなたのお母さんもあなたに夢を託していると言ってたわよね。同じでしょう。」
「俺はずっとあんたを待ってきた。お袋もそれを知っている。もう待てない。」

「待てないと言っても仕方ないでしょう。」
「俺が朝鮮族だからだろう。」
「違う。朝鮮族に友達がいるのも知っているでしょう。」

「しかし結婚はしたくない。」
「違う違う。あなたが朝鮮族だから、友達にはなれても結婚できない、と言うわけではない。あなたが漢族であっても結婚したくない。」
「・・・」

「あなたが逆の立場だったら、こんな理不尽を許さないでしょう。あなたは人の思惑など気にすることなく、自分で選んだ道を歩んで来たじゃない。それがあなたの魅力だった。」

「だから、その通りにしようとしているではないか。」

「私はあなたの何なのよ。私もまた一人の生きた人間よ。夢もある。でもそれはあなたと一緒になることではない。何度も言ってるでしょう。」

「俺には何にもないんだ。あんただけが夢なんだ。」

「仕事があるじゃない。仕事を頑張んなさいよ。」
「仕事の夢もなくなったんだ。」

「とにかく私は嫌なの。もう帰るわ。」
「帰さない。」

「冗談じゃないわよ。表彰式は終わったけど、写真撮影だってある。友達も待っている。」
「そんなことは、もういい。そんなことよりもっと幸せにしてやる。」

「どいて、帰るから。」
「帰さない。」

吉郎が亭亭を鷲づかみにした。赤ら顔が怒気を含んでいた。一度として見たことのない吉郎の顔を亭亭は見た気がした。薬品の臭いを嗅いだ気もした。


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