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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第14回   14 ズレ
  14  ズレ 
「あなたはいい人だ。でも勉強しないといけない。一年後からでも勉強して大学に行った方がいい。応援する。」

美玲は自分の家に大学に行かせる余裕がないことは分かっていた。でも吉川の言う通り、勉強して大学に行こうと思ってしがみついていた。「大学に入ったあなたと会いたい」吉川はきつく抱きしめながらまた言った。

慌しく時は過ぎた。休暇とは言え牡丹江界隈の在留邦人会の代表との昼食会が計画されていた。

美玲は泣いた。でも仕方がない。美玲はトイレに入った。

吉川のホテルのトイレはきれい過ぎた。美玲の家はもちろんだが、友達の家も便所は外にある。簡単な囲いのある家もあるが、丸太を二本渡しただけだ。それらはそのまま畑に流れていく。親友の家は大雨の後、すぐ近くの小川に流れ込むことになっている。屋根のある便所もあれば、空を眺めて用を足すそれもある。誰もがそれらの現実を普通の状態として受け止めていた。

トイレ一つ取っても余りにも違った。親が懸命に一ヶ月働いても手にできないお金を彼らは一夜のホテル代で使ってしまうことができる。

あまりの違いだ。自分が吉川と一緒になることなどあり得るのだろうか。美玲は不吉な事実を連想した。

美玲は、慌てて頭を振りながら涙を拭いた。拭き取ったのを確かめて吉川の部屋も出た。別れは笑顔でなければならないのだ。吉川もそんな美玲を一層好ましく思いながら手を振った。

帰ってすぐ手紙を出した。
吉川からの返事も届いた。

二ヵ月後美玲はまた手紙を書いた。「生理がない。あなたの子どもを生みたい。生むとなってもその頃は高校も卒業しているから心配ない。」

返事が返って来るまでに半月あるいは一ニヶ月かかることはこれまでにもあった。しかし今度は返事がいつまでも来なかった。その内に遅れていた生理も始まった。でもこれは言わないままにしようと美玲は思った。

吉川からの音信は途絶えた。美玲は吉川を恨んだ。薄情な奴だと思った。妊娠と聞いて逃げたのだ。

あんな奴に自分が身も心も捧げたのかと思うと、それがまた怒りにつながっていった。

吉川が辿った全ての場所が嫌になった。思い出の場所が全て憎しみの対象になった。追い駆けて行って、殺してやろうかという気持にもなった。

吉川の所から帰って、進学をするかも知れないと親に告げていた。その時の親の反応は鈍かった。当然だ。

しかし、今や関係がなくなったのだ。もう進学などは考えられない。考えたくもない。

その時、内蒙古の林業研究所が男女若干名の募集をしていた。肉体労働に耐え得る心身とも健全な共産青年同盟員、独身、が条件だった。

文革後大きく転換していく国策として再開された林業育成事業である。それらを寧安朝鮮族中学に配属されて来た共産党書記が美玲に知らせた。向学心に燃えていること、思想的にしっかりしていること、しかし親の経済力はそれに応え得ないことをも書記自身が調べての推薦だった。推薦しながら一方で日本語が必要とされる場所でないことを惜しんでいた書記でもあった。研究所だから肉体労働中心でも、少しは何らかの勉強ができる環境であるかも知れない。

これで美玲の卒業後の進路が決まった。親も喜んだ。

就職先に出かける前に一度美玲は思い切って上海領事館に電話を掛けた。吉川は居ないと言う。転勤した先を問うても要領を得ない。まさか辞めたわけではなかろうにと、日本側の不実を呪った。呪いながら美玲は改めて思った。それもまたもうどうでもいいことなのだ。吉川の全てを切り捨亭亭いた。負けてはおれない。

寧安駅の黄色い壁ともお別れだ。海を想像させた青い待合室にも二度と入って来ることはない。眩しかったはずのこの駅である。美玲は、列車を待つ間、見送りの両親や友達のいる前で、滂沱の涙を流した。周りの人は辛いこれからへの不安がもたらした涙だと思い、皆もらい泣きした。美玲は涙を流しながら、吉川二郎と最後の訣別を果たしていた。

誰一人知る人のない地域、「モアルダオガ林場」。美玲の願いにふさわしい職場だった。

そしてそこで内蒙古自治区成吉思汗村から応募してきた男と結ばれた。あまりにも早い結婚で周囲を驚かせた。10歳年齢の離れた寡黙な相手だった。心に深い傷を秘めたまま生きている男だった。名は商傑、吉郎の父親である。

吉川は「妊娠」の手紙を知らなかった。まさかそんなことが生じていることなど思い及びもしないでいた。しかし、高校生である美玲と交わった責任は感じていた。とても幸せに思っていた。

世界も変わろうとしていた。折も折、一つの小さな大学でも変化があった。

東邦大学では中国との今後の発展を予期して逸速く中国語学部を設立する動きがあった。肝腎なことは人材であると理事長は考えた。そして東大はじめ有力な大学の卒業生数人を高給で迎える計画を打ち出した。

吉川の母校の恩師は吉川を被推薦者の一人に加えた。

吉川は、外務省に入った者の中では珍しく、教職の免許を学生時代に取っ亭亭、ちょっと有名だった。弁護士資格を持つhod教員が先輩にいた。特許庁に行かず教員を選んだ友達も知っている。似たような考えの者が一人いるだけでも世の中は捨てたものではないと考えるのが吉川であった。

吉川は自分が担当していた『中国残留孤児下見調査報告書』はすぐに提出していた。駆け足の調査でもおびただしい日本人の存在が分かった。「早急に正式に調査し全てを記録し、早期帰国を保障することだ」、と結論付けていた。逸り過ぎだと直属の上司には指摘された。誰にどう判断されようと構わないと思った。

そして帰国した。新しい「中国語学部」に必要なカリキュラム作りに没頭した。

外務省には「一身上の都合」として辞表を書いた。外務省の仕事に未練がないとは言えない。でもそれ以上に教育の仕事が自分には合っていると思っての転職だった。自分を必要としてくれる者に応えるのが一番なのだ。そして美玲を呼びたいと思った。

美玲のような中国人学生にも呼び掛けて指導したい。吉川は希望に膨らんでいた。

それらの夢を記した手紙を送った。美玲が内蒙古に赴任した直後だった。美玲の親は封も開けずにその手紙を燃やした。美玲の悲しみに打ちひしがれていた原因が吉川にあることを知っていたからだ。心機一転を決意した娘にまた取り乱させるような真似はさせたくなかった。
    


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