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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第13回   13 美玲の青春
    13  美玲の青春 
1972年、日中国交回復が実現した後、外務省関係を筆頭に、さまざまな現地中国人との交流の企画が、公的には勿論だが。私的にも試みられていた。

1978年、日中友好条約が締結されてますますそうした交流の企画は大事にされた。民間では始まっていた「中国残留孤児」問題が、厚生省でも検討せざるを得なくなってきた。

中国では、文革の間禁止されていた外国語教育も認められるようになった。そうした積極的な中国政府側の国策の中、日本語を正規に取り入れた学校では、日本人の出前授業も友好を願う意味からも少し受け入れるようになってきた。

中国の日本領事館などで、新規配属の若い書記官が望めばこれは友好交流の観点からだけでなく、当人が肌で中国の若者を感じる点でも有効だとみなす考えがあった。

友好条約締結を記念して若い日本人が美玲の学校に特別授業で来たことがある。朝鮮族の日本語を学ぶ代表として延吉第一中学の高校二年生と三年生とが選ばれたのだ。講師は若くて小柄だった。吉川二郎と名乗った。

高校二年生の美玲は何故か直感した。胸騒ぎが納まらなかった。
瞬きも惜しむように、美玲は吉川の顔を見続けた。身を乗り出すようにもなっていた。

吉川もいつしかこの女生徒の目に気づいた。話の節々で美玲の眼差しに応えるようになった。美玲の気持は一層高ぶった。この人と結ばれたい、結婚したい。直感的願望だった。

講演が終わった。吉川はみんなの拍手に何度も頭を下げた。

その時、美玲はすっと前に出た。自分の名前と住所と一緒に、「手紙を出します。返事をくれますか。」と書いたのを手渡した。あっと言う間の出来事だった。ざわめきが起きた。しかし後ろの方の席の者達には何がなんだか分からないままに終わった。

その夜、美玲は瀋陽領事館の吉川宛に手紙を書いた。
その後、切手代を気にしながらも何度も出した。二郎からも手紙が返って来た。
後には、吉川が返信の封筒に切手をいつも入れて来るようになっていた。

翌年、吉川は急に上海領事館に転勤した。

中国側としては、日本の高校生の修学旅行団が中国に来ることを大歓迎した。しかし当初の行き先は上海地区に制限して様子を見ていた。

上海領事館員として、吉川が、日本の高校の修学旅行団への便宜要請も兼ね、南京に実態把握に行ったりしたことも手紙で知った。

吉川がどこで頑張っているにせよ、美玲はお金のないことを恨んだ。
吉川は、出前授業が認められた学校では中国の高校生の前で話をする。日本の高校生にも中国で会うことが出来る。

しかし、美玲は自分が会いに行きたくも会いに行けないのだ。

ところがその翌年になった。吉川は牡丹江に来ると言う。

戦後30年近く「残留孤児」は放置されていた。担当の厚生省とは別に、外務省の一部でも非公式に実態把握をすることになった。

その事前調査で東北3省と内蒙古を下見するらしい。吉川は、詳しいことには触れていないが、その途中で会える、と美玲に知らせてきた。上海領事館から吉川が派遣されて来るのだ。

吉川たちグループは、その日がちょうど中休みの日だった。翌日は、一度佳木斯まで北上し、再び南下して方正県までの強行軍が予定されていると言う。

美玲は、吉林省延吉から親の仕事の都合で同じ朝鮮族が多く住む黒龍江省寧安に引越したのは伝えていた。その寧安のすぐ近くに彼は来るというのだ。18歳の少女の気分は否応なく高ぶった。

寧安の友達は吉川の存在自体を知らない。

美玲は誰にも告げず、いつも通りの登校時間に家を出た。朝早くから会いに行くことにしたのだ。学校には、頭痛がするので休む、と言うことにした。日頃まじめな美玲の言い訳を担当教員は疑うはずはなかった。

寧安の列車の駅は、またきれいに塗り替えられていた。黄色の外壁は中国の列車の駅の色だ。でもこんなにいつもきれいにしている駅舎は少ないらしい。走り込んだ駅舎の内部は、青く塗られていた。自分が青く染まっていく。まだ海を見たことはない。が、きっと海の中はこんなものではないか。

気持のいい駅だといつも美玲は嬉しくなる。誇りでもある。
喜びを倍増させながら列車に乗り込んだ。

そして牡丹江駅に着いた。

駅前の北方賓館は豪華なおしゃれなホテルに見えた。部屋番号も聞いていた。

彼らは正確な予定を組み、予定通りに行動する集団のようだ。自分たちと大きく違うと思った。約束が破られるはずのない生き方は、肩苦しいが安心もできる。

黙ってエレベーターのボタンを押した。心臓の音が人に聞こえるのではないかと思った。幸い誰も居なかった。吉川はホテルの朝食を摂って戻ってきたところだった。
部屋に入って来た美玲を見て、吉川は驚きながらも喜んで迎えた。

周りの日本の若い女性に見ることの少なくなった美玲のひた向きさが好きだった。
これまでに、それぞれが手紙で色々なことを書いてきた。

何度も手紙を交し合っていたからはじめて会う感じではなかった。それでも、語りたいことは、まだ山のようにある。でもどこから切り出したらいいのか。分からないままだった。

確かなことは、たった一人で会っていることだ。吉川も同じ気持だった。美玲は自分が吉川と結ばれていると思った。
顔を近づけた。吉川は肩を抱いた。ぎこちない口づけだった。タバコの臭いがした。それでも美玲は満足だった。
「あなたと離れて暮らしたくない。一緒になりたい」
「ウン」と吉川が頷いた。
それが契機で美玲は身を投げた。これで死んでもいいとさえ思った。幸せに包まれている自分を感じていた。


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