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作品名:『蒼の揺曳』 作者:あるが  まま

第12回   12 切り替え

  12 切り替え
商吉郎は、亭亭に切られたまま携帯電話をじっと見ていた。
何が寒山寺にあるのか見当がつかなかった。

吉郎はインタネットで亭亭の寒山拾得を調べたことがある。何か自分の窺い知れないものが秘められているのだろうかと思ってだった。覗いてみた。何も面白そうなものはなかった。

三島由紀夫という日本の作家が自決する前に、「『寒山拾得』が最も小説らしい小説だ」と言ったらしい。このことに関係しているのだろうか。吉郎は思った。これ以外には何もなさそうだ。
三島由紀夫はたくさんの本を書いている。評価も高かった。翻訳でだが、『潮騒』を読んだこともある。自分と亭亭と重ねて読んでいた。新鮮だった。日本の若者はいいなと思った。

でも中国にだって、少なくとも自分にとってあり得ない話ではないとも吉郎は思った。結ばれ方に憧れた。必ずそうなる、そうすると改めて思ったものだ。

しかし、三島由紀夫は、最後に自決している。自分は死なないと思っている。極端な言い方だが、どちらかが死ぬとなったら、相手を殺しても自分は生きる。亭亭も自決する人間に惹かれることはないはずだろうに。

吉郎は長い時間をかけて、亭亭が卒論のテーマに絞った『寒山拾得』を探した。でも徒労に終わったことを知った。

インタネットの検索を終えた。8元かかった。気づかないで4時間もインタネットカフェーにいたことになる。

原作を読んでみた。短い作品だった。何も面白くなかった。亭亭との距離を感じた。

商吉郎は不意に、母崔美鈴の言葉が、聞こえた気がした。
日頃はおとなしい母が二度見せたあの激しい怒りの意味を反芻した。

 穏やかな美玲が激しく怒った時はどんな時だったか。
美玲は繰り返し言った。母はあたかも自分自身をも責めるように吐き出していた。
「実行できないことは口にするな、考えるな。一度口にしたらどんなことをしても実現させよ」、であった。

吉郎はその点では忠実なお母さんっ子だと自分でも思っている。朝鮮族の中では特に目立つ大柄な母親の体格も引き継いでいた。

亭亭の電話はかからなくなった。変えたことを知った。でも諦めない、諦められるはずがない、と吉郎は思った。電話番号だけではない。自分が必ず亭亭と一緒になるのだと改めて自分自身に言い聞かせた。

吉郎は、仕事が面白かった。大柄で身のこなしが柔らかな商吉は重宝がられた。他の部署であっても人が何かを運んだりするのを見ると、それが誰であれすぐ側に駆け寄って手伝った。

営業でも、多くの客を集めて来るのが楽しみになった。吉郎の大柄に似ぬ細やかな心遣いは気に入られた。

「君の熱意に今回は賭けてみようか。」客はこういう形でも吉郎の話に乗って来た。
会社を興した者の多くが、もう一つ上の業績を目指した。好機だと見ると冒険も辞さない。吉郎はそうしたチャンスを運んでくる「キューピット」に見られたのだ。

吉郎には、理屈は何でもよかった。実績が増えていくのが楽しかった。同期の新入社員では勿論、先輩の実績をも少しずつ上回るようにもなった。上司も頼もしく見るようになって来た。

休日なしの奉仕的仕事振りも効を奏していた。
5000元の給料は目の前だった。

商吉は、親しくなりかけた客と酒の入らない夕食に誘うことも多かった。

その日、夕食から急ぎ会社に戻った時、主だった社員の姿がなかった。変だなと思いながら日報をつけていた。するとぞろぞろっと共産党に属する社員が部屋に戻って来た。皆いたのだ。

何をしていたのだろう。商吉は直属の上司、藩英勇が目を逸らしたのを見逃さなかった。藩は「お前が一番。俺の後を任せるのはお前だ」と言ってきていたではないか。それが今、自分に隠し事をしている。やはり、朝鮮族だからか。漢族でないからなのか。
仮にそうであったとしても構わない、商吉は疑念を吹き飛ばすように、気分を切り替えた。「わが道は、自らローマに通ず」だ、自分に言い聞かせた。

この日の会社内の共産党員会議は、「少数民族に対する配慮を」との上から来た通達の確認会だった。北京オリンピックを前にしてと言うことで、これまでも幾つかの問題提起がされた。「十大道徳」についても学んだ。大学時代に推薦され、試験にも合格して共産党員になっていた吉郎である。これらの会議にも積極的に出席し、自分の決意を述べてきていた。

この日も普通に戻っていたら当然参加していた。戻りが遅いことで、逆に吉郎も含めた会社内やお得意さんの中の少数民族者に対する細やかな配慮の再確認を求めることになった。

吉郎はこのことを次の日、藩から知らされた。納得したが、前日の不信感はどこかに残っていた。

吉郎は家に電話することはほとんどなかった。
しかし、朝鮮族問題に関することは連絡した。
母は「気にしないことが一番」といつもの答えを返した。その言葉を聞いて吉郎は安心するのもいつも同じだった。

吉郎は、帰る時だけは、必ず連絡した。食事を用意していて欲しいからでもあった。
母の崔美玲もそこは心得ていた。自慢の息子の悩みや要求にほとんど応えて来た自負心もある。

美玲はセメント工場に勤めている。高校時代の友達が勧めてくれたからだ。運がよかった。

自分が高校時代に通っていた寧安朝鮮族中学で息子が勉強することになった不思議な巡り合わせを、時々思い返すことがあった。嫌って二度と戻ることのないはずの寧安に、自分が今住んでいるのだ。

遥か2000qも離れてしまった内蒙古自治区モアルダオガには久しく会っていない夫がいる。

美玲は吉郎が小学校に上がる年、引越しを希望した。沢山の同級生がいる学校で、競争に打ち克ちながら成長しないと駄目だと思っていたからだ。

しかし、夫商傑は肯んじなかった。仕事の責任があると言い張った。美玲も我を押し通し、吉郎だけを連れ、遠い親戚を頼りに黒龍江省甘南に身を移した。黒龍江省だが、内蒙古自治区との省境を越えたすぐの所だった。

働く場所は選ばなかった。レンガ工場は身体が疲れるけど、その日の仕事終わりが分かりやすい所が好ましかった。

吉郎は、自分が生まれ育ったモアルダオガの村は気に入っていた。木々があちこちにあった。木で作られた色々なものがあった。木をくべて暖を取った。

近所の自転車修理屋の小父さんの店で、仕事姿を見るのも楽しかった。いつも暇そうにしている小父さんだが、捨てられた古い何台かを分解し、使える一台にしていく。手際のよさに惹かれていた。パンク修理をすることもあった。その際、軽石でゴシゴシチューブをこすってゴム糊をつける。チューブのその部分が薄くなって破れ易くなるのではないかと心配した。でも小父さんはゴシゴシを止めなかった。

そのモアルダオガと父親とに別れ、車を乗り継ぎしながらの引越しだった。そして、黒龍江省甘南県査哈陽農場小学校に入学した。

気後れすることなく何でも一番を目指した。母親の喜ぶ顔が嬉しかった。

小学校4年生だったか、母親に連れられてチチハルという所まで行った。モアルダオガ行きの列車の出る駅だとも聞いた。

遠かった。長い時間揺られた。バスが河に差し掛かると舟が橋の役割を果たすのも見た。バスから降りることなく河を越えたのである。

そのチチハルで、美玲は高校時代の友達金善淑に会った。善淑はかつて、美玲の貧しさを物ともしない健気な真面目さに憧れていた。美玲と善淑の手紙のやり取りが始まった。お互い少女時代に戻ることができた。偶然がもたらした、次へのステップと言ってよかった。

この出会いが、再び美玲を寧安の町に引き寄せることになった。セメント工場で一人人を探しているとの耳よりの話だった。

美玲は、自分の息子が学ぶ外国語は、日本語がいいと思っていた。吉郎の中学進学を気にしていた美玲には、これ以上の朗報はないように思われた。朝鮮族の学校では以前より少なくなったとは言え、外国語として日本語を取っている所が今でも多いのである。
寧安の列車の駅舎内は青く、外壁は黄色く、変わらず鮮やかだった。美玲は、やはりここが自分の居場所であることを感じた。自分がこの町を受け入れるに、息子の学校選びと関係なくても、この駅舎の雰囲気だけで充分な気がした。


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