その11 徐州再訪
徐州行きは意外にも早く来た。
亭亭は、寒山寺に行き徐州再訪を考えた翌日には、図書館で徐州の地図を見、徐州の歴史的役割についても調べていた。
同じ江蘇省と言っても、蘇州とは反対の北側の市である。700qほども離れている。むしろ、安徽省に接し、河南省もすぐ近くだ。山東省とも境をなし、河北省や陝西省でさえもさほど遠くはなかった。
徐州から来ている友達も捜した。蘇州大学卒の孫麗敏がいた。徐州市だが、徐州駅からバスに乗り換えて小一時間かかる農村地区だった。でも麗敏と徐州界隈の話をするだけで、亭亭は親の心に近づいているのを感じていた。
麗敏も亭亭に似て小柄な学生だった。亭亭は麗敏の優しさが好きである。麗敏に高校時代からの彼氏がいることも知った。わざわざ麗敏に会いに来て二人手をつないで買い物している姿に会った。驚いたが微笑ましかった。
程なくして、麗敏が徐州に帰るからついてくるかと聞いて来た。祖父の葬儀で帰ると言うのだ。亭亭は、一もニもない。誘ってくれた麗敏に感謝した。
慌しかった。徐州行きの切符を二人で買いに行った。蘇州は、観前街の入り口に券売り場がある。翌金曜日の授業を終え列車に乗る予定にした。幸いに買えた。
ついでに麗敏は街中を歩こうと言った。
観前街は蘇州で一番賑わう歩行者天国である。亭亭は聞いてはいたけど、初めて歩いた。綺麗な店が続いていた。観光客が大勢訪れると言う上海の豫園という名を意識的に冠していた。有名な場所の出店である印象を持たせているらしい。
亭亭は歩くのは好きだ。ここの本屋には来たくなるかも知れないと思った。でも自分とは縁のない街だとの思いも強くした。
金曜日、二人して乗った列車は徐州に夜中に着いた。 夜中だと言うのに、駅を出ても人がいっぱいいた。左手方向に長距離バスターミナルがある。
麗敏は、迎えに来た親戚の車に亭亭を先に乗せ、運転席の叔父さんに亭亭を紹介した。祖父の最期をすぐ聞いた。予想通りの大往生だった。それから、亭亭のために徐州駅とその周辺、及び獅子山のことを尋ねてくれた。
車は旅館のひしめく通りを抜けた。この周辺の旅館の多さに亭亭は驚いていた。 入り口は、男達の欲望をそそる宣伝の写真などがべたべた貼られていた。
剥き出しのエロ、低俗なエロは、亭亭の気分を不愉快にさせた。それでも、最初の訪問の時は、その一軒の旅館で過ごしたものだ。
今回は麗敏の家で泊る。麗敏の家は、獅子山とは駅をはさんで反対方向にあった。徐州市を囲むようにしている銅山県の北部にあるが、車で半時間の距離である。
通夜に亭亭も参加した。酒を飲む人で賑わっていた。麗敏の祖父儀杖のことをしゃべる人もいれば、無関係にしゃべる人もいた。
麗敏が椅子を二つ運んで、一人の老人を挟むようにした。亭亭も仕方なしに割り込んだ。老二と呼ばれた男は、死んだばかりの儀杖とは従兄弟同士に当たる。儀杖は子どもの頃から頭がよかった。大学にも行った。蘇州大学に行くのは多くなかった。等を何度も口にした。
亭亭は尋ねた。 「女の人で、その同じ蘇州大学に行った人を知りませんか。」 「女?いなかったねえ。」 「お爺さんの後輩にはいませんか。」 「儀杖が蘇州大学に行ったのは、この国が出来てすぐの頃だったなあ。」 老二は当時を懐かしむように酒をぐっと飲み干した。
「ああ、思い出してきたぞ。」それからも少し間が開いた。 「わしらより十くらい若かった。可愛くて賢くて有名な娘がいたなあ。」 「駅の反対側に住んでいた。獅子山という所だ。」 「獅子山ってお墓のある獅子山ですか?」亭亭は思わず聞いた。老二はそれには応えず話を続けた。 「わしらの所からはちょっと離れているからよくは知らない。それでもわしらと同じ百姓の娘が蘇州の東呉師範大学まで行ったと言うので皆びっくりしたもんだった。」
亭亭は緊張した。 「あの時分だ、途中で大学を辞めるのは仕方ない。けんど、その娘は家に戻って来ても何もしない。何も出来ない。ボーっとしていたらしい。可愛い顔しているから余計に見ていると辛くなるんだと。やはりな、百姓にゃ学問は向かない。」
「その人は今も健在ですか。」亭亭は急き込むように尋ねた。 「さあ、それは知らない。獅子山は、ほれ、遺跡が出てきたと言うので、そこに住んでいた者達は皆、東地区の方に移住させられたんだ。その後、またその東方面で開発が進み、今じゃ前からの人間はだあれも近くに住んじゃいない。」
話はそれで終わった。老二の記憶はそこでプツンと切れた。 麗敏までが色々質問してくれた。 だが老二の口からは「儀杖は偉い奴だった」を繰返されるだけだった。それ以外何も出て来なかった。
亭亭は麗敏の部屋に一緒に行った。部屋と言ってもベッドと机が並んでいるだけの狭い部屋である。Gパンと上着を脱いで並んで寝た。小さいのは得だなと二人とも思った。
夜明けまでの短い時間だが、眠りについた。
亭亭は真っ暗闇の向こうに父親が心に秘めていた楊青の顔が浮かんだ気がした。明日自分だけで獅子山にもう一度行ってみよう、亭亭は不思議な縁を感じていた。 朝ご飯を食べて、亭亭は一人バスに乗った。徐州駅で蘇州行きの切符二人分を買う役割も担った。
獅子山の行き道は分かっている。今回は荷物の心配もない。亭亭は体が軽かった。
中国の多くの所でのやり方だが、遺跡を含んだ公園になっている。 漢の劉邦の弟、楚王の孫の墓だから、漢王室の直系ではない。隣接する兵馬俑館の作品も凄いと思う。でも秦の始皇帝の規模から言えば実に小さい。玩具みたいにも思えた。漢王室直系の墓を亭亭は知らないが、始皇帝陵に勝るものがあるはず、と今また思った。
亭亭は色々考えながら歩いた。徐州建院の実習学生があちこちで襷をかけ案内役を務めている。折よく、これら実習学生の応援と管理に来訪中の宇梅と名乗る先生に出会った。彼女は獅子山公園建設の歴史を亭亭に話してくれた。老二に聞いたことと大体同じだった。ただし、公園の管理で一軒の農家があるはず、とも言う。そう聞けば、三輪自動車に乗り鍬を横に置いた四人の男達を、亭亭は見ていた。運転していたのがその農家の人かも知れない。
宇梅に礼を言って別れた後、亭亭は公園の外に出た。左手にぐるりと廻って農家に着いた。まだ新しい家だった。幸い中年の女が一人、タオルで手を拭き拭き顔を出した。
もともと徐州の人間ではなく、この公園が出来る前、発掘作業が本格化してきた際の募集時に夫婦でここに来た。その後、真面目さと、庭つくりを含む植物管理の技術を買われ、そのまま住み着くことになった、と述べた。徐州とは隣接の安徽省からここに来た時は、前の住人は誰もいなかったし、行方も全く知らないとのことでもあった。
彼女は自分の夫と数人の雇われ作業員の賄いを中心に、公園の作業員の資格で働いているのだと言う。鉄の門が家の横にあった。食事時には、鉄門の錠前を開けて、男達が食事に戻ってくるのだろう。
亭亭は、深夜ボーっと浮かび上がってきた白い可愛い顔の横に亡き父親の顔を再び並べた。白日夢である。
楊青もまた、文化大革命の中で、精神を狂わせてしまっていた。文賢と離れ離れにさせられた結果のような気がした。死後の世界など全く信じていない亭亭だが、父と楊青があの世で結ばれていたらいいな、と思った。
そう願うことをもって、亭亭の中での楊青探しは終わった。40年前の父達の悲しい青春物語を想像するだけで終わったのだった。これらの報告で母の郭明も納得してくれるはずと亭亭は考えた。
麗敏との約束の列車の時間が迫って来た。立ちっ放し券でなく硬座が買えていた。これでまどろむこともできる。
亭亭は母親に電話した。「楊青は病気で結婚もしないまま亡くなっていた。詳しくは帰った時に話すよ。」 母は「ありがとう。」とだけ言って切った。
徐州駅で麗敏に会ったらすぐに報告しよう。母の分も含め感謝の気持をいっぱい伝えたいと亭亭は思った。
|
|