ルフィレム王国。 そんな名前の国が大陸の南東にあった。季節を通して温暖な気候が、人を集め、村になり町になり、やがて国とも呼ばれる大きさに発展していった。 そんな温和そうな国であっても、その道程は平坦なものではなかった。街と呼ばれるほどの大きさになった頃から、さまざまな獣の形をした生き物がどこからともなく現れ、街を脅かすようになった。人は手に武器を取り、それらを撃退していく。しかし、人の数倍とも思われる力を持つ獣に押し戻され、口から吐き出される炎に家を焼かれ、群がる獣にその平和な領域さえも蝕まれていった。 どこからともなくあふれ出てくるその恐怖の獣は、尽きることさえなく思われ、人々は長い間育ててきた街の滅亡を想像した。 しかし、村の一人の青年が、挫けそうになった人々の心を支えるかのように立ち上がった。 街の守りをすべての男達に求め、数人の有志と共に、獣の群に見つからないように街を出ていった。 街に残った人々は、初めは彼らの行動に疑問を持った。しかし、自らの危険を冒しながら出発した彼らの事を思うにつれ、次第に結束して街を守って行くのだった。 彼らの行動がどうかは誰も分からなかったが、日に日に獣達の勢いがなくなっていく。街の人々は彼らがそうしているのだと信じて、さらに街の士気が高まっていった。 やがて、獣達が現れなくなった頃、青年達は誰一人欠けることなく街へと戻る。人々は英雄、勇者と褒め称え、彼らの無事を喜んだ。 青年の一人は、街の防備を固めることを提案する。もう誰も彼の言葉を疑わなかった。石という石、木という木が集められ、広大な土地を壁で囲っていく。数箇所の入り口には堅固な鉄な扉が打たれ、遠くまで見渡せる見張り台が立てられた。壁の外側には堀が作られ、水が満たされる。広大な壁の内側には住居だけでなく、農作物が育つ畑が作られ、壁の中だけでも安全に生活ができるようにと開発されていった。 男達は再び武器を手に取り、自らの手で自らの町を守れるように、日々の修練を続けていく。この大陸に安穏とした平和はない。焼けた大地の記憶がそう呼びかけていた。 やがて街として再び機能するようになった頃、この街には「ルフィレム」と名付けられた。昔の言葉で「炎の記憶」。何年過ぎようと、あの炎に焼かれてしまった大地を忘れぬよう、壁に守られることがなくとも、自らの手で災厄を切り開こうと、そんな想いを込めて。 そして街は、何度かの災厄を乗り越えて国へと育っていく。街の名前がつけられた王国へと。
「で、それから俺達の街は大きくなって国になり、今に至る・・・ってわけだな。」 春の日差しが眩しい季節。遥か向こうまで伸びる道で、青年が振り返りながら言った。後ろについていくのは二人。そのうちの一人は短い黒髪、青色の衣服に上半身だけの鉄鎧に身を包み、旅の格好をしている少年。 「へー。そんなことがあったんすか。」 「へー、じゃないでしょまったく。そんなことくらい覚えておきなさいよね。」 と言葉を返すのは、同じ年ほどの少女。長い髪を頭の後ろでくくって後ろに垂らし、同じような鉄鎧の下に同じような青色の衣服を着ている。どちらの衣装も目を引くのは、革鎧の右胸の部分につけられた銀色の紋章だった。鉄製の丸い板に、斜めに見事な装飾の短剣が掘られている。彼らが動くたびに、日の光を跳ね返して輝いていた。 「まったくだ、ルオルはもうちょっと本を読むべきだな。」 その二人の前を行くのは、二人よりかは年上の青年だった。同じような鉄鎧、衣服をつけてはいるが、その胸の紋章は、一本の剣ではなく、二本の剣だった。それが身分を示すものであれば、明らかに後ろをいく二人より格上なものに見える。顔立ちはまだ若さが前面に出ている二人に対し、落ち着いた、大人の雰囲気を出している。少年より青みがかかり、少し長い黒髪。体も少年よりかは大きく、力強さも感じさせる。 「隊長の言う通りね。女の子ばっかり見てないで、ちゃんと訓練と勉強しなさいよ、まったく。」 「ほう、そんなことしてるのか。」 「いや、してませんって!! おいセピア!! いい加減なこというなよ!」 「だって、いっつもリクトとそんなことばかり言ってるじゃない。みんな噂してるわよ。」 「それは誤解だ!! あ、隊長、ほんとにそういうことしてませんよ!?」 「まあ、帰ったらその体に聞いてやろうか。そんなことをしてないって言うなら、その代わりにちゃんと訓練しているか見てやるぞ?」 「うぇ・・・!? いや、それは、ちょっと・・・。」 「へぇぇ。有難く思いなさいよね。第二騎士の中でも凄腕のアスティン隊長と手合わせできるのよ? これ以上ない光栄じゃない?」 「いやだって、前に隊長と手合わせしたら、ボロボロにやられたトラウマが・・・。」 「泣き言言わない。」 「言うよ!! あれだけやられたら誰だってヘコむって・・・。」 二人のやりとりを見て声を上げて笑う、アスティンと呼ばれた青年。 「たいちょぉ・・・。」 「いやいや、まあ、あれは一方的なものだったけど、いい筋してたじゃないか。最後は打ち込まれそうになったしな。」 「へー、ルオルも意外とやるんだ?」 「いや、あれは不意打ちみたいなものだったし。」 「それでも戦場では命取りになる。あの油断は少し甘かったと思い知ったよ。」 「なんだ、やっぱりまともな攻撃じゃなかったんだ。」 「そんな言い方ないだろうよ・・・。」 どうやら、ルオルと呼ばれた少年は二人のいい遊び道具になっているようだ。そんな平和な空気が流れる街道をしばらく三人は歩いていった。周囲に草原が広がるのどかな風景の中に、一本の道が伸びて行く。その横には、明らかに自然に作られたものではない、人の手によって作られたもう一本の道が伸びていた。 「そろそろ来るんじゃないすか? ほら。」 ルオルが傍らの道を指差す。そこには鉄で出来た二本の棒が横たわっていた。それが長く大地に横たわる。その下には何本もの木が敷かれ、鉄の棒を支えている。それが土の道と平行してずっと続いていた。人はそれを線路と呼んでいた。 「ほんとだ。そろそろやってくるわね。」 「今日も無事走っているようだ。」 遠くから、騒がしい音がやってくる。鉄と鉄が擦り合う音、何かをひたすら蒸発させている音、大きな笛を鳴らしたような音・・・。そのすべてが彼らに近づいてきた。青い空と緑の草原を切り裂きながら、黒いものが迫ってくる。鉄の道、線路の上をすべるように走ってくる。 「おおお!!」 ルオルが驚きと喜びの声を上げた。はっきりと形が分かるようになるくらいまで近づいてくる。いくつもの鉄の車輪をつけた車が、いくつも連なって線路の上を走ってくる。先頭の車に取り付けられた上の伸びている筒から、黒い煙が大量に吐き出されていた。石炭と呼ばれる固形の燃料を燃やし、発生する蒸気を利用して走る車。それは蒸気機関車と名付けられていた。 「いつ見ても凄いですね・・・。」 「ああ、まったくだ。」 先頭の車両の窓から、男が顔を出した。白い髪、白い髭。緑の帽子を被った、いかにも技術屋といった初老の男。それを見たアスティンは軽く手を上げる。それを見て嬉しそうに何かを叫び返してくる。が、車輪の音、蒸気の音にかき消されて何を言ってるのか分からない。アスティンはそれを苦笑いで見送る。完全に物音が聞こえるようになったのは、が完全に過ぎ去った後だった。 「ひぃえー。やっぱり音が大きいっすねー。」 「あの人、何かを言ってたみたいでしたけど・・・。」 「ああ、さっぱり聞こえなかった。任務が終わって城に戻ったら聞いてみるさ。さ、いくぞ二人共。」 「了解っす。」 「了解です。」 彼らはそれを遠く見送ってから、逆の方向に歩きだす。初夏の風は焦げた匂いをかき消し、普段通りの草原の道の風景へと戻していった。
彼らはルフィレムの王国に仕える騎士達。主な役目としては、街の警護、害を及ぼす獣の討伐がある。それともう一つ、街と街を線路で繋ぐ蒸気機関車と線路を守る役目もあった。 蒸気機関車が発明されてもう50年の月日を数え、今や街と街との輸送にかかせない存在となっていた。その存在と大きな音で、獣が列車自体に危害を与えることは稀だが、線路を破壊されるという事件が結構あった。その予防と報告をしているのが、彼ら王国の騎士達であった。 騎士団長を頂点とて、第一、第二、第三と階級に分かれていて、第一騎士は10人、第二騎士は第一騎士にそれぞれ5人がついていた。その下の第三騎士は第二騎士それぞれにまた5、6人。総勢400名ほどの構成になっている。また、それとは別に傭兵を雇って任務に当たることもあった。
「・・・あれ。」 「どうした、ルオル。」 「えっと、あれ、洞窟ですか・・・?」 「何か見えたの?」 ルオルが指差す先、茂みの隙間から見えた黒い色。彼らはとある崖のふもとを歩いている時だった。 「あらほんと。でも、こんな大通りの近くにある洞窟なんて、他の誰かがみつけて調査してるわよ。」 セピアの指摘通り、彼らの歩いている道から、30歩ほどしか離れていない。木々と草むらに隠されて、発見されにくい状態ではあったが。 「・・・だよなぁ。すんません、気にしないでください。」 「いや、念のため王国記録図と比べてみてくれ、俺の記憶が正しければ・・・。」 「はい。」 セピアは背中の荷物から、一冊の書物を取り出す。タイトルはアスティンの要望通りの『王国記録図』。騎士達が発見した線路の破損、周辺の状況など、さまざまな調査のことが書き記されている。騎士達はそれを元に調査を行い、差分があれば随時更新、報告によって地図が更新されていくこととなる。 「あ・・・。記録、ありません。」 「やっぱり新しくできたものだったか。念のため調査を行う。」 「分かりました。」 地図の記録と違うものを発見次第、それが鉄道または通行する者達にとって危害を与えるものかどうかの調査を行う。鉄道が発達したとはいえ、まだまだ徒歩や馬で移動する人々は多い。そんな人々の危害となるものを調査、排除するのも騎士の役目だった。 三人は茂みを書き分け、ルオルの発見した黒い色に近づいていく。近づくにつれて、その黒い色は洞穴から洞窟と呼んでもいい大きさへと広がっていく。 「大きいっすね。人が入れるくらいだ。」 「何か新しくできた感じがしますが・・・。」 アスティンは一人が入れるほどの入り口の前にしゃがみこみ、土を調べた。 「そうだな。掘った、というより壁に立てかけられていた岩を動かしたようだ。見てくれ。」 「何かを動かした土の後ですね。」 「入り口が隠されていたのかもしれないな。」 「隊長!」 そう呼ぶルオルの手に木の棒が握られていた。 「ルオル、あんた何拾って・・・?」 「貸してくれ。」 アスティンに手渡す。 「・・・先端に削られた跡・・・か。」 「そこの茂みの中に落ちてました。」 「これを使って、入り口を隠していた岩を動かした・・・か。よし。これより洞穴調査を開始する。」 「分かりました。」 「ルオル、照明道具一式を貸してくれ。」 「はい。」 ルオルはその荷物の中から、六本の松明と金属製の着火道具を手渡した。松明はそれぞれに金具がつけられていて、腰にぶら下げることができるようになっている。五本を左右の腰につけ、一本をその手に持つ。その近くで着火道具を二、三度鳴らすと、松明から焦げた匂いが漂い、それはあっという間に火となった。 「セピア、斥候を命じる。ルオルはその後詰を任せる。調査は松明が三本燃え尽きるまで行う。各自警戒を怠るな。」 「了解しました。三本の松明が燃え尽きるまで調査を行います。担当は斥候です。」 「はい。松明が三本燃え尽きるまで調査します。担当はセピアの後詰です。」 二人は慎重な声で復唱した。 「俺は二人への指示及び支援を行う。以上。抜剣許可。」 腰に下げられていた鞘から剣を抜いた。ルオルに比べセピアの剣は細くて鋭く、セピアに比べルオルの剣は重くて大きいものだった。それぞれルオルは両手、セピアは片手で持つようになっていた。セピアとルオルはアスティンの前に出た。 アスティンも自らの剣を抜いた。ルオルと同じような剣で両手で持つようになってはいるが、松明を持っているため、彼はそれを片手で持った。しかし、片手でも不自由はしていないようだった。そこにルオルやセピアより腕前が高いところが見受けられた。 「いくぞ。」 三人はセピア、ルオル、アスティンの順に洞窟の入り口をくぐっていく。黒い影がアスティンの松明に追いやられていく。しばらく進んだ後、少し広い空間に出た。 「隊長・・・。」 「む・・・?」 そこで見たのは、倒れている一人の人間だった。 「隊長!」 「ああ。」 三人は周りを警戒しながら、仰向けに倒れている人影に近づいていく。それは男だった。年はアスティンと同じくらいだろうか。細身ながら鍛えられた体をしているようだ。服装は明るい草色の質素なものだった。 「大丈夫か。」 警戒を怠らないまま、アスティンが男に話しかける。気が付いた。気絶してはいなかったが、かなり衰弱しているようだった。 「ああ・・・、ここに人が入ってくることがあるとは・・・。」 「入り口は君が開けたのか?」 「頼みがある・・・。」 アスティンの言葉をさえぎって、男が続けた。声は弱かった。 「奥の祭壇に・・・、これを・・・。」 差し出す手。そこには、一つの灰色の石が乗せられていた。 「これは・・・?」 「返してやってくれ・・・。一人の想いが・・・。」 乾いた音を立てて石が落ちた。急に力が抜けたように手も下がった。 「しっかりするんだ。」 アスティンが語りかけた瞬間、男の体がほのかに光りだした。 「隊長!?」 「離れるんだ。」 三人は男から離れた。男の体がじょじょに光に包まれていく。ふと、顔が三人に向けられた。その目は穏やかに微笑んでいた。口が動く。が、声は発せられなかった。光が消えていく。それと同時に、男の体も消えていった。 「・・・どうなってるんだ・・・?」 男の体が消えたあたりをみつめながら、ルオルが狼狽した声で呟いた。体が消えたのではない。その服装すら消えてしまった。 「隊長・・・、これは・・・。」 「・・・おおよそ人間の息絶える場面じゃない。だが、彼は人間だった。恐らくは・・・だが。」 「はい。」 アスティンは剣を持った手で石を拾い上げた。手のひらに乗るくらい、丸くて小さい。何も装飾はなく、冷静に見ればその辺りに落ちている石と大差はない。 「調査を再開する。」 アスティンはそう宣言し、奥へと続く道を見た。その手の灯りの向こうの黒い闇。その向こうに何があるかは、三人には分からなかった。
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