Stage 4
「やっぱりわたしはマチュピチュだな」沙和は旅行好き ランチタイム、始まりは誰が言ったのか「あ〜あ、温泉行きたい」からだ。 「世界遺産ねぇ」「古代遺跡って、ほらロマンあるじゃない」 話はどんどん大きくなる。
教師 トルコ 第四次中東戦争後
ちょうど数学の授業が終わった直後だった。 ナージーが面会に訪れた時、考えられるあらゆる不安定な状態に包まれていた。やつれた顔、落ち着きの無い動作、身なりはそれなりに整ってはいたが、16歳の少女の怯えきった目。この子がナージーか…… 「お兄さんから、確かにあなたのことを頼まれたわ」わたしは落ち着きを装った。 「兄さんは今どこにいるの! 」「お願い、ターヒルを止めて……」ナージーの口調は、はっきりしていた。 ヨーロッパと中東にはさまれたトルコなら、何とかなるとターヒルは考えたのだろう。半年程前、ヨルダンからひそかにこの国にやって来た彼は、学校の近くのガソリンスタンドで働きながら、人を探していたらしい。信頼できて、しかも目立たない人を。ターヒルは教師をしているわたしに目を付け、少しずつ近づいて来た。慎重に機会をうかがっていたのだと彼は言った。 「この前の戦争で、家も両親も、妹以外のすべてを無くした」 ターヒルの言葉に、17歳の面影はみじんも感じられなかった。やっとの思いで妹と二人、パレスチナからヨルダンのサルトに辿り着いた。勾配のきつい丘に、沿うようにつくられている古い街サルトは、街全体が遺跡のようなたたずまいを見せる。ここで二人はゴミのような暮らしをしたらしい。 そしてやがて、ターヒルはナージーを安全な場所にかくまうと、自らは地下にもぐった。過激派の組織だ。 「ナージーをうまく脱出させたら、ここでサワに受け取って貰いたい。もちろんとりあえずでいい。金は持たせる」 正直言って、わたしは気が進まなかった。イスタンブールも学生運動が激しさを増し、決して安定した情勢とは言いがたい。 「ひとつ聞いてもいい? 」わたしはターセルに尋ねた。 「主義、主張、神の名の下にと言うけれど、過激なゲリラ活動で本当に世界が変えられると思っているのかしら」 「主義、主張? 」半ばあざ笑うように彼は言った。 「生きるって何だか知ってるか? 命を取られずに飯が食えるってことだ。オレは組織に入った。ただ、生き延びるためにだ」 「生きてやる」 この時、断れる理由がないことを、わたしは悟った。
ナージーをわたしのアパートメントに連れて行くと、まず熱い風呂を用意した。そして二人で食事をすると、彼女は少し落ち着いてきた。 それにしても表情が乏しい。無機質と言ってもいい位だ。 「ここって不思議な所ね……アラブではないし、ヨーロッパとも違う。わたし学校に行ってた頃は地理が大好きだったわ」 「そうね、わたしの生徒達にも、難しい公式を覚えるより、世界地図のほうが人気があるわ」 そしてわたしは慎重に尋ねた。 「ねえナージー、あなたさっきお兄さんを止めてって言ったわね。残念だけどわたしターヒルの居所は知らないの」 「……」 「教えてほしいの」それ位の権利はあるだろう。 「何があるのかはわからないわ、でも……」ナージーが口を開く。 「パレスチナからヨルダンに逃げ込んだようなわたしが、どうしたら一人でここまで無事に来ることができると思う? ターヒルから手紙が来たの。ここに来るようにって……その時、お金と必要な書類が一緒に送られてきたわ。ちゃんと辿り着くために、何かの力が働いているに決まってる、そうでしょ? 」 確かにナージーの言うとおりだ。 わたしはサイズの合いそうな服二、三着とパジャマを渡して、彼女を少し早めにベッドに入らせた。 やはり断るべきだった。わたしには荷が重過ぎる。 窓の外、モスクの屋根が月明かりの中でうっすらと浮かび上がる。寝付けなかった。 ところがその何かは、既に始まっていた。
翌朝、頭が痛むのを我慢しながらリビングへ行くと、ナージーが固まったようにテレビにくぎ付けになっていた。画面はトップニュースとして、破壊された駅の構内を映し出していた。 「いったい何なの! 」 アラブの主要都市にある鉄道の駅で、自爆テロが起きた。死者10数名、負傷者30名程度と伝えていた。 「兄さんだわ! 」 「まさか、そんな! 」ナージーはどうかしているに違いない。ターヒルが? 自分が関わった人が? わたしは奇妙な笑い声をあげた。 「見た人が話している犯人の特徴が、兄さんそっくりなのよ! 」ナージーはヒステリックに叫び、挑むような目をわたしに向けた。動揺と恐怖が交互にわたしを襲う。 やがて乾いた口調で彼女が言った。 「死んだら終わりよ」 決定的なひと言だった。哀れなターヒル、かわいそうなナージー、戦争の悲劇をいつまで背負うのか。
「サワに迷惑がかかるといけないから」そう言って、彼女は少ない荷物をまとめた。もうしばらくここにいた方がいい、そう説得するわたしの言葉を振り切って、出て行くと言うナージー。 彼女を見送ったそのすぐ後に何かがカチっと来た。 いったい、どこへ行くというのだ。半ば濁ったターヒルの目。兄を亡くしても尚、無機質なナージーの表情。 「生きのびるため」ターヒルは言った。 「死んだら終わり」ナージーは言った。 シンダコトニナレバ、スベテオワリニシテイキノビルコトガデキル ヨルダンでゴミのように暮らしていた人間が金を持っていた。報酬だろう。目撃者がいると言っても、人が行き交う駅のベンチで、壁にもたれかかり帽子を目深にかぶって、リュックを両腕で抱えていた少年だ。どれ程確信が持てるだろう。偽装…… どこかの誰かがわたしを訪ねてきたら、わたしはこう言うしかない。 「ええ、確かにナージーは兄さんだと言ったわ」 だとすれば、わたしは二人に騙されたということだ。そしてナージーはあてもなく出て行ったわけではない。 考えるのはやめよう。想像しても意味がない。 ターヒルもナージーも姿を消した。わたしがするべきことは、わたしの生徒達に伝えることだ。 憎しみは憎しみを作りだす。戦争は狂気そのものだ。 それでも長い歴史の中で、血に塗られた過去を持たない国などあるのだろうか。
おばあちゃんのお兄さんね、東京で大きい空襲があった時に死んじゃったの。熱さに耐えられなくて、川に飛び込んじゃってねぇ……防空壕も何も、安全な所なんて無かったからねぇ。 沙和が小さい頃、祖母はそんな話を沙和に聞かせた。
To be continued
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