プロローグ
木村沙和 中堅の文具メーカーに勤める25歳のОL。いつ頃からだろう。沙和の脳神経に時折スイッチが入るようになった。これが入ると、沙和は夢をみる。はっきりとした、ブレの無い完璧に整合性のある夢だ。 時空間を超えて沙和は飛び、そこにもともと「いる人」として、周囲から認知されている。ただ、年齢はそれぞれでも、沙和の本質は変わっていない。感性も記憶もそのままに、「夢の中にいる」ことを知っている。そして辿り着いた「その世界の状況」をすっかり把握した状態で、夢に飛ぶ。そこにいる「沙和」を演じる、ということなのか。ただ注意が必要だ。「うかつな発言や行動は慎め」一度誤解から魔女狩りに遭いかけた時の教訓だ。 最初、沙和は自分がどうしてこんな夢を見るのか悩んだ。検査をしても異常は無い。時と場所を問わず、フッと目の前の場景に一枚ガラス板が入ったようになり、周囲の音のボリュームが少し落ちるのだ。そしてちょっと胸がドキドキして・・夜、夢をみる。 最近はあまり気にならなくなったが、あの不思議な感覚。「ご案内」が届くと、うっすらと汗をかく。
Stage 1
現代・弁護士・シカゴ
「おはよう、サワ」 「あらフランク、早いじゃない。」爽やかそうにしているが、今朝のわたしの調子はイマイチだ。 「アンナの取調べは進んでないみたいだ。話がブレる」 「まだ動揺してるでしょうね」 「両親の話は?ふたりの喧嘩を止めたくて、興奮して、思わず発砲したってのは?」 「どうかしてるわね、フランク!まだ睡眠中なの?」 二日前の事件だ。言い争いを止めない両親に向かってアンナは泣きながら銃を撃った。弾は母親の膝に当たった。幸い酷い怪我にはならずに済んだが、問題は殺意と計画性の有無だ。銃は父親のものだが、きちんと保管されていた。そして現場となったリビングでふたりは、ソファーに向かい合って座っていたのだ。ガラステーブルを挟んで・・・喧嘩を止めたくて興奮して思わず発砲したのなら、天井か、正面の壁に当たるだろう。初めから対象を母親に定めて、銃身を斜め下に構えて発砲。そう考えるのが自然だ。瞬間的に父か母かを決めたのだとしたら、あまりにも残酷だ。わたしは何かに引っかかっている。 「大丈夫?サワ、二日酔いみたいな顔して」 心配してる? からかってる?「昨夜は鍋パだったのよ」そう、盛り上がっていたその時に「ご案内」が来たのだ。 「へっ! 鍋パ? 」 「あっ・・ほら、日本人の友達に教わったの。テーブルの上で料理して、そのままみんなで食べるのよ」まずい、説明に成ってない。 「そんな事よりフランク、アンナの友達にあたってくれないかしら」 「大学に行けば話を聞けるだろう」 「ハイスクールもお願い。彼女自身についての情報が欲しいの。あっ!ボーイフレンドも忘れないで」 「了解。でもサワ、いったい何が気になってるんだ?」 わたしが知りたい事ははっきりしている。 「動機よ」
やっと面会に辿り着いたか。駐車場は無いし、手続きは面倒だし。弁護士は犯罪者じゃないわよ! 刑事の方がよほどそれっぽいわ。 それにしてもフランクときたら・・・熱心に話を聞いた女の子12人、男の子ひとりって、ほとんど付けたしじゃない。この調子じゃ、今年中にロースクール卒業なんて無理ね。百年位かかればいいんだわ。 アンナの学生生活は健全だ。成績も中の上というところか。明るくて目立つが、自分からリーダーシップをとるタイプではなさそうだ。時折母親とテニスをしていたようだが、サークル活動には参加していない。アンナの両親は、この景気悪化で苛立ってはいるけれど、特別険悪、という程でもない。彼女は父親よりも母親との方がずっと仲が良かった。母親がモールで仕事を始めたのは、アンナが大学に入学してから。それまではジャムもクッキーも手作りする、専業主婦の優しい母親・・・ アンナ19歳。あなたは、何をしたかったの?
「はじめまして、アンナ。弁護士のサワよ。少しは眠れてる? 」 「あまり・・あの、弁護士さん、母の具合は? 足は大丈夫でしょうか。」 震えている?「サワでいいのよ。ええ、お母さんの怪我は平気よ。今はあなたの事を心配している」 「・・・」 「ねえアンナ、話して欲しいの。喧嘩を止めるため、だけじゃないわよね?」 凍りついたようなアンナの表情。やがて震える唇から、搾り出すように出した言葉は「・・親殺しの儀式・・」 「オヤゴロシノ ギシキ」
シカゴの街は、ほんの数ブロック進んだだけで、そこに住む人達の層が違って見える。まして川を挟んだ向こう側に見える景色は、点在する工場と灰色の空が重なりいっそう重苦しい。これがシカゴの冬だと思い知らされる。 アンナは自立したかったのだと言った。「ママは優しいし、映画やショッピング、いろんな所に連れてってくれる。お小遣いは少ないけれど、代わりに欲しいものを買ってくれる。一緒にテニスもはじめたわ」 「ママの事、大好きよ。でも、友達とサークルに入った方が楽しい、こっそりボーイフレンドとドライブした方が楽しい、そうなんでしょ? そう思えるようになりたい、そういう生活を楽しんでみたいって思ったの」 「本で読んだのよ。自立のためには親殺しが必要だって書いてあったわ。もちろん本当に殺す訳じゃないわ。儀式なのよ」 ここまで一気に話すと、アンナの瞳には涙があった。 「後悔している、どうすればいいのか分からない」と泣きじゃくるアンナにわたしは、「ご両親にすべてを話しなさい。気持ちの全てを包み隠さず話しなさい」と言った。 「許してもらえるのかな・・」 「きっとね。お父さんとお母さんだもの」
「胆略すぎて哀しいな」 親殺しの儀式とは精神的な自立のプロセスを総括した比喩に過ぎないはずだ。親と言い争い、時に泣かせ、心配をかけて、気が付くと自分の道を歩いている。そして親との関係が少し変わっている。自立ってそんなものじゃないかな。19歳になるまでアンナは何をして、何をしないで生きてきたのだろう。 「それで警察は?」そう言いながらフランクは、近くのダイナーで買ったコーヒーを渡してくれた。 「セラピストのところに通う事を条件に、なるべく早く返すつもりだと言っていたわ」 「ねえフランク、実家には帰っているの?」 「時々ね。ぶつぶつ言いながらもおふくろさん、オムレツにチーズ入れてくれるんだよ。なんだかんだ言ってもかわいい息子なんだよ、オレ」 「出来の悪い息子程かわいいって!?」 「うるさいよ。サワってホント気が強いよな!」 「はいはい」 この次家に帰ったら、肉じゃが作ってお父さんとお母さんに食べてもらおうかな。ふっと実家のこたつが目に浮かび、少しだけ胸が熱くなった。
To be continued
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