そっと太陽がのぼりはじめ、うっすらとした青色に世界は包まれてた。 長い間手入れがされていない庭園のあいだをこそこそと大きな影が動き回っている。 大きな影は、そっと調理場の窓を覗き込んだ。調理場の明かりで館の新しい主であるケビンの、その武骨極まりない顔が照らし出された。丸メガネの奥の目はどこか不安そうにきょろきょろと調理場の中を見渡している。材料一式をカゴに抱えて、脳みそが露出したメイドが調理場の奥から出てきた。あわてて顔をひっこめる。 気分がよっぽど良いのか口笛がとぎれとぎれに、壁を越えて聞こえてくる。 「無駄な心配だったか」 そう、ぼそりと声が出てきた。
この老人が館に住むにあたり、まず手をつけたのは調理場の改装だった。とにかく金にものを言わせて最新の物を用意さした。ガスや電気、水道周りはだいぶ前に出て行った住人が整備してあったので問題はない。調理をするメイドのケイトは幽霊だが、物をつかむことができるのが昨日わかった。だが、一晩立って (幽霊と最新設備…あまりいい組み合わせではないな)と思った。 さっき調理場の最新設備の使い方をそれぞれ教えて、実演として紅茶を作らしたが食堂で朝食を待っていると、いよいよ気になって仕方がないので調理場の窓から見に来たわけだ。 換気扇の低い音が耳に入ってきた。調理を始めたようだ。 「どらどら」 またのぞき見をしようとすると、足がなにかにひっぱられる感覚があった。 見れば白い子猫だった。赤みが入った目でケビンを見上げている。どことなく賢そうだ。 口に微笑みをうかべ、子猫の頭をそっとなでようとした。 その手がそのまま地面についた。 よく見れば、子猫の首は奇妙にずれている。 「お前さんも死んでいるのかい?」 その返事なのか、子猫はそっぷをむいて庭園の奥に消えていった。
「朝食のご用意ができました」 にこやかな顔とたれた脳みそのえげつないアンバランスでメイドが食堂にやってきた。うっすらと湯気がのぼる――無人の――手押し車が後ろに続いてやってきた。手押し車からフォークとナイフを初めに色々ととりだして、てきぱきとした動作で朝食の準備が進んでいった その間、主人であるケビンは新聞から視線をそらさずそのままである。
「んんむ!」 新聞をたたんでテーブルを見ての第一声には、驚きといったものであった。 メインが黄色に輝くようなオムレツ。一口大に切りとった赤く熟れたトマトをそえたレタスのサラダ。玉ねぎ特有の甘さとスパイスの混ざった良い香りのオニオンスープ。
「ん・・・いや、これは・・・なんとも中々いい」 オムレツを一口食べたときのケビンの出した言葉である。 ふわふわとやわらかい理想的なオムレツであったのは勿論のところ、白身の魚とチーズでミートソースをはさんで卵で巻いてあった。 はふはふもぐもぐと食べ物を一つ一つ口にはこべば、心のそこからうれしそうな顔になっている。こうなると、てらてらと禿げ上がった頭やはりだした胸等など老人の全てが愛嬌があるもの感じてくる。
「ごちそうさま、ケイト。おいしかったよ、ありがとう」 老人はそう上機嫌極まりない顔と、心からの言葉で感謝した。 テーブルの各皿にあった食べ物はきれいさっっぱりとない。 「ありがとうございます」 その言葉に感動でもしたのかメイドの目には少し涙がたまっていたが、顔には老人と同じようにうれしいという表情がありありと浮かんでいた。 「あーこれこれ。これぐらいでそんな顔をするもんじゃないよ。いいかい、今日はこの館に業者が大勢くることになっているんだ。その人達のためにもね、ケイト。昼食を用意したっておくれ。あと菓子とかもは・・・できるのか、それはもう最適だ。」 色々と今日の用事を言い終えて、片付けて去るよう言ったとき 「一つ聞きたいが」と、いつもの武骨極まりない不機嫌な顔になって聞いた。 「ケイト。君は死んでから鏡で自分を見たことはあるか?」 「いいえ。えーっと鏡には写ったことがありませんです」 「ふむ・・・ケイト。それでは君は頭半分が陥没して中身が見えていることをしらなかったのか。それを隠すすべを行わなければ。さっそく行わなければいかん。お前の顔を見て業者の連中が逃げて帰って行ってしまうからな」 言われて知ったケイトは泣きべそをかきながら、どうにか写真に写っているような、生前のまともな顔に変えれたのが業者がやってくる2,3分程前だった。
館全体の手入れが完全に終わり数日後の夕方。 地平線の先には、太陽が最後の力をふりしぼるように赤く燃え上げる大きな姿となっていた。吹いてくる風は冷たいものになり、風に運ばれてくるように夜の闇がゆっくりとやってくる。 ぽつぽつと館のあちこちに明かりをつけながら、メイドがとてとてと部屋を見て回っている。夕食の話をするためケビンを探し回っているのだ。 テラスにケビンがいた。テラスの椅子に手を組んでもたれるようにして座っていた。見る分には寝ているように見える。 起こそうとそっと近づいた。 「いや、いい」老人は止まれという風に右手をあげ、胸の方を指差した。 「まぁキティ」 老人の胸の上には子猫がまるまって気持ちよさそうに寝ていた。子猫を老人はゆっくりとなでている。 「幽霊の猫というものも中々いいものだ。体がないからか、いくらなでても手に毛がついてこない。まぁ感触がないのが残念なんだが」 「なぁケイトや」老人は胸の子猫に目を向けながら言った。 「おまえが死んでしまったのは、猫、それともお嬢さんのどちらか守るためだったのかい」 「どうして・・・」 「おまえは、お嬢さんにおまえのかわいい子猫を抱かせたんだ。お嬢さんも子猫なんて初めて抱くから、少し力がはいりすぎたんだろうな。それで驚いた子猫は・・・」 老人と胸の子猫はたがいに目があった。 「あぁ、すまん。子猫じゃなくてキティと呼ぶべきだったな。それで驚いたキティはお嬢さんの手をかんだのだったな。初めての痛みでお嬢さんはあわてて驚いたことだろうて。そして、場所も悪かった」 「はい・・・大階段の上でした」 「そう、その通り。キティとお嬢さんは大階段から落っこちてしまったわけだ。」 「私は受け止めようと・・・前に飛び出していきました」 「勇敢なメイドだ。だが、おまえとキティは死んでしまったわけだ」 「旦那様。アンナお嬢様は」 「死んだよ」 「神様!そんなあんまりです」 「4,50年前に老衰だった。幸せそうな良い顔で逝ったよ。孫の私が言うんだから間違いない。で、ケイトお前はお祖母ちゃんと子猫をどちらを守りたくて飛び出ていったん・・・」 ぐしゅぐしゅと嗚咽があった。 しまった。老人は驚きと後悔を顔が浮かんだ。 猫は非難するようなきびしい目つきで老人を見る。 「すまんな」謝罪の言葉は、後ろの嗚咽が静まるまで待った。 「どうも昔から配慮がたりないと言われるんだ。死んだ妻にも言われていたよ」 「旦那様は…ひっぐ…ひどい人です」 「そういわないでおくれ。実はな、明日がアンナお祖母ちゃんの命日なんだ。よく可愛がってくれた良いお祖母ちゃんだった。でも、いつも気になることがあったんだ。そのひたいには大きな傷があったんだ。聞いたら、なんていったと思う?」 「・・・いえ、わかりませんよ」 「私の大切な友達が命がけで守ってくれたんだって、さ。他にも、そそっかしいとか、泣き虫、怖がりと続いていたがな」 「はい・・・お嬢様は、私に、その、よくそう言いいました」ぼろぼろと涙を吹きながら、にこやかにケイトはそう言った。 「死んで、私が幽霊になったときにはこの家には誰の姿もありませんでした。お嬢様はどうしたんだろうと、ずっと考えてきました・・・」 「お前が死んで、一年ぐらいか。父親は商売で大失敗をやらかして、家族はこの家から逃げていった。それからのお祖母ちゃんは色々と苦労していたそうだ。あぁ後記録によれば、お前が幽霊になって出てくるようになったのは、その10年ぐらいたってからだ。わかるはずもないじゃないか」 「旦那様。ありがとうございます。本当にありがとうございます」 老人はふと一枚の写真を手に取った。長々と写真をながめた老人は、うれしそうにニンマリと笑い(あまり良い顔ではなかったが) 「なぁ、ケイトや。アンナお祖母ちゃんは娘さんだったとき、どういった髪の色をしていたんだい」ことさら明るい口調で話しかけた。 ケイトはその様子に困った様子だったが 「えぇっと、そうですね・・・髪の色はきれいな、そうとてもきれいな金髪でしたよ」老人と同じように明るくした。 ふむふむとうなずきの声をあげながら、持っていた写真を見せた。 「今度、孫達が遊びにくるんだ。孫達の一人にな、それはもうきれいな金髪の娘がいるんだ」 ケイトは呆気にとられた目で写真をみつめ 「・・・アンナお嬢様だ」 それは小さな、本当に小さな声だった。
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