夕方。 ひっそりとたたずむ一軒の屋敷があった。夜の暗さが周囲をおおっていく中、屋敷の窓には明かりが一つもない。半開きになった玄関の門から見える中も真っ暗だ。 薄ぼんやりとした明かりが玄関に見えた。ゆらゆらとするロウソクの明かりで、女性のものらしい姿が照らしださられた。女は開いていた玄関の門をゆっくりと閉めた。 その音は、ギギギっと不気味なものではなく、軽くパタンとしたものだった。
屋敷の中は真っ暗だ。 女のもつ燭台のロウソクだけがまわりを照らしている。ぼんやりと見える年若い女の横顔は少し青白いのが気になるが、眉毛が太く濃いところやソバカスをついた少し丸みをおびた顔などが田舎娘という感じがでている。顔以外はと言えば、小さなカボチャのような形の白い帽子をのせて、栗毛の髪を後ろでくるくると編み上げてまとめてピンでとめてある。肩のところがちょっぴりと膨らんだ長袖のロングワンピースの上には、控えめな大きさのフリルつきのエプロンドレスを着込んでいる。服装で見れば女の職業は、古今東西過大な憧れ(男が)をもたれるが、現実は重労働で安給料の苦労たえまない「メイド」らしい。 チリンチリン。そんな軽やかな鈴の音といっしょに赤い首輪をしめた白い子猫がメイドの足元に、ノド音をゴロゴロたててすりよってきた。メイドはロウソクを横において 「よしよし」胸元まで抱き上げ頭をなであげた。 ロウソクの明かりで照らし出されたメイドの顔は、頭半分はひどく陥没し、脳みそが少したれていた。
ロウソクで照らし出されていく屋敷の内部はホコリひとつないほどとまではいかないが、ところどころキレイに磨きあげられ、いつでも誰かが住めるようになっていた。 ロウソク一本だけの明かりの中、メイドはなれた手つきでゾウキンをとりだし「うんしょうんしょ」と一階から二階にかけての大階段をふきだした。たれた脳みそがぶらぶらしていなければ、いい絵になることだろう。 奥の暗がりから、鈴の音色の後にかさかさと物をひきずりながら子猫がなにかを加えてメイドのところに来た。作業をいったん止めたメイドは、子猫に優しい声をかけて頭をひとしきりなでた後に、猫がくわえてきたものを手に取った。 「なんだろう、これ? ヒモ・・・かな」 手にとったものは青くて長い。一目見てみればヒモにしかみえないが、メイドが見知っているヒモとは全然違う。色がついているのはとにかく、きらきらと光沢があるしこすれば軽やかな音がする。第一手触りがいい。こんなものをヒモにするなんてメイドには想像ができなかった。メイドは脳みそがたれているので、頭の回転が鈍い・・・っというわけではなく猫がこのヒモを持ってきたところをみるために立ち上がった。 「門があいていたから誰か入ってきたのかな」 そんな独り言をぼやきながら、暗がりを見てみればこれもまた変わったものがあった。 木箱かなにかのように地味な色をした大きなものだった。木箱にしては全体にのっぺりとしている。そして突っついてみれば、硬いが弾力があった。 「これ、紙なんだ!」 メイドは目と口を大きくあけて驚いた。よく見れば、このやたら頑丈な紙のまわりには変わったものが、無造作にあちこち置いてある。メイドが今までに見たことのないまん丸なガラスの電球や、磨き上げた鉄のような光沢をもつ軽い大口をあけた四角い箱。どれもこれもメイドには初めて見て、なんなのかわからないものばかりだ。 「新しい主人でもきたんかな」 はじめてみる物への好奇心と不安からか、奇妙なイントレーションの言葉がでた。 窓から入る月明かりでうっすらと白く明るい一階の廊下を、メイドはコトコトと猫をつれて歩いていた。メイドが窓のまえを通れば、メイドの体を通して窓が見える。そんな半透明で、なおかつ、頭半分陥没して脳みそが垂れていて火かき棒を両手ににぎっている。その姿は見るこっちとしては壮絶で怖いが、メイドの顔にも不安と恐怖という色が浮かんでいる。それは別に自分の姿を鏡でみたわけではない(そもそも鏡にはうつらない)。ついてくる猫も、どこか不安そうに形のよい耳をふせている。 メイドは廊下の行き止まり近くにあるドアに手をかけた。ドアにはよく油が入っているのかスムーズにひらいた。メイドはさっと火かき棒を前に突き出しながら部屋に入り、キョロキョロと暗い部屋の中を見て回る。誰かが入ったかのように、部屋の家具とか色々が動かされたのを目にとめて、疑問の声をぶつくさとこぼしながら次の部屋に進んでいった。 びくびくとメイドが見て回った一階の部屋は、どの部屋も何か動かされたあとが見えた。 メイド個人の小部屋だけが普段とまったく同じだけなぐらいだった。
上の階で何かが重い物が落ちたドスンという音をメイドが聞いた時、メイドはベットできれいにたたんであるシーツと毛布、形の崩れてきたメイドのお気に入りのアクセサリーを見ていた。 火かき棒を前に突き出しヘッピリ腰で二階にあがって、おそるおそる脳みそがたれた顔だけ出して廊下をのぞけば、廊下の一番奥のドアから明かりもれていた。
ごくりと生唾を飲む動作をしたメイドは決意をこめた顔で、一歩また一歩と爪先立ちで音をたてないように一番奥のドアににじりよっていった。 ドアに手をかけようとしたら・・・ 「「ひっ!くしょーぃ!!」」 雷か大砲のような大声が聞こえた。力強く溜め込まれた「ひっ」という声だけでも屋敷中に響き渡り、後につづく言葉も負けずと長くひびいた。その声が聞こえた瞬間、メイドはバタバタと這いつくばってドアから逃げていった。その脳みそがぶらぶらする顔はなみだ目で、口は「あわわわわわ」と言葉にならない音しかでてこない。そして、子猫はどこかに逃げていた。
ドアがいきなり開いて、顔らしいものが廊下をのぞくように突き出された。部屋の明かりのせいか逆光でメイド側からは見えないが(そもそも腰をぬかして匍匐全身で逃げてている最中なので見えない。) 「メイドー! こっちにくるんだ。話がある」 「はい!」 これぞ、メイドの悲しい習性か。火かき棒をおいて、元気のよい返事と共にへっぴり腰で立ち上がり、一番奥の部屋――書斎だった――にむかっていそいそと向かっていった。
「メイド。君の名前はなんだ」 書斎には本と箱があちらこちらにちらばっていた。大きな回転椅子には、これ以上ないほどいかめしい老人が足を組んで座っていた。その姿には似つかわしくない、かわいらしい丸メガネをかけている。 「はい。私はケイト・クロスビーです。その・・・旦那様」 書斎入り口に立っているメイド――改めケイト――は、目の前に座っているパジャマ 姿の老人に緊張でもしているのか、ぎこちない愛想笑いと垂れている脳みそが小刻みに震えている。何しろ目の前の老人は、まるで悪党の親玉みたいだ。頭には毛が一本もなく、顔の目鼻のほりが濃いうえ、その奥からのぞく眼光も鋭い。また体が全体的に骨が太い。特に肩と胸は大きくはりだしている。とてもではないが、善良な老人だという姿には見えない。 「この館を買い取ったケビン・スチュアートだ。よろしくたのむよ、幽霊のメイドさん」 ケビンのその不機嫌極まりないといった仏頂面からでた言葉で、ケイトのぎこちない愛想笑いは凍った。そんなケイトを知って知らずか、ケビンはなにかゴソゴソと板みたいなものをとりだした。 「これはおまえだな?」 板はずいぶんと古い写真だった。すみの方では虫食いやシミでぼろぼろだ。 写真には何人かが集まって一緒に写っていた。老人の骨ばった手の先には、ぎこちない笑みを浮かべたケイトが写っている。 「あっ・・・えっとあの」 その写真をみてうれしいのか声をあげるケイトは、メガネの奥からの冷ややかな視線で黙った。 「ケイト。お前のおかげでこの館では四つの家族が数ヶ月で出て行っている。他にも一ダースの泥棒、そして霊媒師が4人、その内一人の霊媒師がつれてきたテレビ局のクルー全員をこっぴどく叩きだした。そうだな」 ケビンは手を組んだまま、ケイトを見ている。 「そうです。旦那様」 ケイトの顔からは笑顔が消えて、無表情に強張っている。 「うん。そうか」 あっさりとした言葉がケビンの口から出てきた。その返事でケイトの顔に入った力がぬけかけるが 「この家についての防犯がきっちとしているのがわかった。でもな、ケイト。これは最も重要なことだが、お前は料理を作れるのか。」 「はい、旦那様。私は生前こちらのお屋敷で皆様のために料理を作っていました。その時の旦那様を初めみんなが美味しいと言ってました。」 「それはお前が生きているときの話だ。お前は死んで幽霊になっている。幽霊がフライパンを持てるのか、そうだろう?」 「旦那様・・・よく見ていてください」 そういってケイトは近くの本を手で持ち上げた。仏頂面だった老人の顔に始めて驚いたという表情が現れた。 「こういったこともできます」 ケイトは手を組んで、何かを祈るような姿勢になった。 老人の座っている椅子や、周囲のダンボール、本、そして本をつめた棚等などの書斎にある一切合財が宙にういた。うおおおぅと狼じみた声で驚くケビンを椅子ごとふよふよと動かしたり、宙にうかせた本を棚の中へと上から順繰りにいれていった。 「よし、わかった。これでお前が料理ができるということがわかった!」 「それでは旦那様。おろしますね」 「いや、楽しい。もう少しこのままにしろ!」
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