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作品名:向日葵色の手帳 作者:カンフー少年

第3回   2項目「震える文字と一本線(後)」
 険しい顔をした田宮は、再び手帳の1ページ目をじっくりと見つめていた。



 手帳には、初めてみた人にとっては理解に苦しむような記号が綴ってある。記者にとっての手帳は、自身が活躍するための生命線であり、他人に盗まれたとしても情報が筒抜けにならないように工夫されているものだ。
 だが、彼に指導役として色々と教えてくれた先輩の手帳であり、記者として少しは成長していた田宮には分かるところがいくつかあった。

 例えば、左上に割と小さく「6-9-18」と書いてあるが、紙の左上といえば最初に書き始める部分であり、数字の羅列を並べるものと言えば「事件発生の日時」のことである。つまり「2006年9月18日」の事件についての調査が書かれているページなのだろうと田宮にはすぐに理解できた。
 もうひとつ言えば、丸で囲まれた「無心」という単語。これは無理心中という意味の略である。

 このことがすでに分かっていた彼は、パソコンを使い「2006年9月18日 無理心中」の事件を調べていた。
 予想通り、それに一致する事件のニュースは1件しか出てこなかった。しかも「社会部矢野」という表記もついてあるので、この事件であろうことは確実であった。

 事件の概要としては、2006年9月18日都内のアパートに在住する31歳女性は、当時2歳の息子を道連れに、台所にあった包丁を使い無理心中したというもの。今では割と当たり前の事件になってしまっているシングルマザーが子供を殺し自分も自殺するというものである。
 その記事を読む限りおかしいところは何もないことに、田宮は戸惑い眉間にしわを寄せていた。探し出せばすぐに何かが分かると思っていたのだ。


 その何も分からない苛立ちから、現在田宮は険しい顔で手帳から「何か」を読み取ろうとしていた。そして手帳の理解できない部分に悩んでいた。

 「なんなんだよ、これっ…」

 思わず言葉になる田宮の思い。彼は理解できずに悩んでいた。

「(聞) - 血(多)」
「(聞) - M声」
「M=辞リスト」

 という、なんとか読めたものの意味が分からない情報がページの下部に書き記されていたのである。しかもページの上部の情報が記事の内容と合致していることから、下の方にひっそりと書かれているこの意味不明なモノは、記事になっていない情報なのだろうと予想していた。

 彼は落ち着いて一から考え始めた。

 (聞)という記号は「聞き込み」のことであることに間違いはないだろうな。
 ということは「(聞) - 血(多)」とは「聞き込みで血が多いということが分かった」という意味なのか?
 だったら、次の「(聞) - M声」はなんだろう?
 「聞き込みでM声だと分かった」…ということはどういう意味なんだ…


 じっと手帳のこの部分を見つめていた田宮は、急に眼を大きく見開いた。

 近隣の住人に聞き込みをして分かる「声」とは、事件当時に聞こえた声のことだろう。ということは、事件当時に近隣の住民は「M声」を聞いた。Mの声…つまり「Manの声」か。
 言い争う男性の声を、この時に外にいた人は聞いたということなのか?
 だが記事を読む限り、警察は女性とその息子しか死亡したと伝えていない。

 どういうことなのか?
 この男性とはだれなのか…


 田宮は翌日記録室で調べてみようと考え、その夜は休むことにした。



 翌日、出社した田宮は早めに業務を行い、記録室で例の事件の記録を探していた。
 記事やその記事を書くうえでの警察からの発表や参考となる人の連絡先なども残してあるのである。
 記事を見つけ出した田宮だったが、ほとんどの内容は記事通りであった。包丁で子供の胸を一刺しし、続いて自身も腹部を刺して自殺など、やはり警察は女性と子供の死因などは発表しているものの、男性のことは何も伝えてはいない。
 新しい発見もなかった田宮は、第一発見者として記載されていた人の電話番号だけを書き写し、屋上へと移動した。

 ほとんど人がいない屋上は、風で声も飛ばすことができることから、仕事ではない調査をするには打って付けの場所である。
 そして、誰もいなくなったことを確かめると携帯電話を取り出し、電話を掛け始めた。
 電話に出た第一発見者の男性は、当時自殺していた女性が住んでいたアパートの大家とのことであった。調べ直したいことがあるので再度当時のことを話してもらいたいと言うと、思っていたよりも快く引き受けてくれた。

 大家はその当時、少し離れた自分の家にいたという。そして深夜、自殺した女性の部屋の隣に住んでいた学生から電話を受けた。内容は「隣の部屋から男の人や女の人、子供の大きな声が聞こえて困っている」というものだった。そのうるさい部屋というのが事件の現場となった女性の部屋である。大家は何度か電話をするが出ることはなく、注意をするために歩いて部屋に向かった。
 アパートについた大家は自殺した女性の部屋に向かったものの、何度呼び鈴を押しても大きめの声で呼んでも出てこなかった。そのうちに隣の学生が気付いて外に出てきた。その学生は、口論をしていたようだが少し前から急に静かになったという。その間も、大家は呼び鈴を鳴らしたり大きめの声で呼んでみたりとしたらしい。
 少し経ってから、学生と大家は何かあったのではないかと不安になり始めた。そして学生が隣の部屋だったこともあり、二人でベランダから少し様子を見ようと部屋に入った。
 ベランダから見えた部屋の様子は、カーテンが半分かかっていたものの明かりが付きっぱなしだった。そしてさらに身を乗り出して様子を伺うと、誰かが倒れているのが見えた。
 大家は念のためにと持ってきていた合鍵を使いドアのカギを開けるが、そこには惨劇の跡が残っていたという。部屋に続くまでのキッチンなどが並ぶ廊下には血だまりがあり壁には血の跡が飛び散り、あまりに酷い状況だったという。大家は恐ろしくなり、思わず腰を抜かしてしまった。そこで隣にいた学生は慌てながらも警察に連絡した。
 1Kの間取りの部屋で、遺体は奥の方の窓際にあったらしく大家もその学生も見ていない。その後、数週間にわたり警察が調査を行った結果、記事のような内容の結論に至ったらしい。ちなみにアパートの他の部屋の住人は全て、寝ていたか、外で遊んでいたらしく有力な情報はなかったらしい。ほとんどが近くの大学の学生のアパートだったので、そういうものかと納得しておいた。

 丁寧に礼を言い電話を切った田宮だったが、聞いた様子では「一点」を除きどこにも矛盾は見当たらなかった。その一点はもちろん「男性の声」である。電話での大家との会話で、数日経った頃の警察の取り調べの際に男性の声も聞こえたらしいと伝えたが、警察からの返答は「テレビの音だったのではないか?」というものだったという。
 その後落ち着いた頃に、大家は清掃業者に一任し部屋を掃除した。


 その日の夜、疲れた体を引きずって帰宅。着替えて、またパソコンで例の記事のページを開き、電話の内容を改めて考え直していた。
 先輩の手帳の謎の一つだった「(聞) - 血(多)」というものは、予想通り「聞き込みで血が多いと分かった」で正しかったのだろう。だが、惨劇の跡が残っていたことを手帳にわざわざ記すのか?
 そんなはずはない。何かこの「血が多い」ということが意味するものがあるはずだ。

 と、そこでパソコンで開いていた記事の一行に目を奪われる。

「……は…息子(2)を……。」

 2歳の息子と無理心中。

 30代の女性が、2歳の息子を包丁を使って殺した後に自分もその包丁を使って自殺した。なぜ玄関の方の廊下にまで惨劇の跡が残されていた?
 もしも玄関の方で逃げ惑う我が子を刺し、その息絶えた子を持って部屋の方に戻ったとして、2歳の子がそこまで血を流すだろうか。
 確か警察の発表を紙面化したものを会社の記録室で見たときは、息子の死因は胸部への一刺しとなっていた。胸を一回刺して殺せたということは、争った血の跡などほとんど残らないはずである。

 ここで田宮は、事件の真相が見えてきた。

  おそらくはこの血を流していたのが、大家に電話した学生が聞いたという「男性」の声の主。そして、警察は大家に「テレビの声」とあやふやな返答をした。母が子を殺し自殺したという警察にとっては「簡単な事件」なのにも関わらず、数週間に及び調査し続けた。

 そこから考えられることは、この「男性」は警察に関係している人間だったのだろうということ。そして、その人がこの事件現場で死んだことを隠したかった。

 もちろん田宮の予想の範囲を超えない。だが、田宮は確信を持っていた。
 矢野の手帳にあった最後の「M=辞リスト」という記号の意味。これは「男性=辞職者リスト」つまり「この男性は辞職者リストに乗っている」という意味だと、彼には既に分かっていた。



 翌日、今にも雨が降り出しそうな曇り空の日。田宮は屋上に立ち、数枚の紙を見ていた。
 田宮の会社では、記事を書くのに役立てるためという名目で公務員の幹部クラスの情報を常に入手している。これを見れば趣味まで判明するほどだ。その中で、2006年9月の事件当日に警察幹部が一名「事故死」とされている。

  田宮にはこれ以上調べるつもりはなかった。調べる必要もなかった。
 父のわからぬシングルマザーとその子が死んでいった。警察は発表したがらないが、この母と子供の遺体の隣には父の遺体もあったのだろう。そして同じ日に、ある警察幹部が事故死とされて死んでいる。
 それだけ知ることができただけでも十分だった。

 矢野はおそらくこれを記事にして公にしたかったのだろう。そういう正義感の持ち主だった。だが「会社」というものは、権力あるものに下手に刃を突き立てることはできない。矢野の「不確かな」情報は記事にすることを止められたのだろう。

 そして矢野もこの事件と同じく母親だけに育てられた。彼女はこの事件に対する思い入れが深かったのだろう。悲しみで震える文字でこの手帳に写し書いた。
 強く強く引かれた一本線も、子供が苛立ちを発散するために落書き帳に思いっきり線を引くのと同じだったのだろう。
 この手帳は、知らされることのなかった真実と、矢野のやりきれない思いを田宮に伝えた。
 田宮は、今夜家に帰ったら2ページ目を開こうと決めた。

 そして、雨は降り出す。


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