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作品名:向日葵色の手帳 作者:カンフー少年

第2回   1頁目「震える文字と一本線(前)」
 田宮は社内の喫煙所で、柑橘系の炭酸飲料を両手で持ち両肘を膝のあたりに乗せて、やや前のめりにベンチに座っている。そしてその隣には、数時間前に見つけた手帳が置いてある。

「どうしたらいいんだろう…」

 田宮は声になるかならないかの声量でつぶやいた。こういう状況でなければチャンスがあれば覗いていただろう淡いオレンジ色のそれは、矢野が自分に何かを伝えたくて残していったものだと容易に想像がついた。そして矢野がこの手帳を手にしていた時には気丈な彼女がささいな変化を見せていたことから、この手帳をとても重い存在に感じていた。

 慕っていた先輩の突然の退職。それに困惑していた田宮に気付いた上司の配慮なのだろう
「今日はもう帰っていい。明日からまた頼むぞ。」
 と、デスクでなかなか手の進まない彼にそう言い残し、いつも通りの早めの歩調で去って行った。そして頭がまわらない状態だった田宮は、とりあえずこの喫煙所に避難してきたのである。
 依然呆然としていた田宮だったが、先ほどから喫煙所の前を行きかう人達のことがやけに気になっていた。
 往来の多い場所だが、通常と変わらないぐらいだろう。だが、突然退社した先輩の手帳を持っているということが、不思議と罪悪感を感じさせていた。
 この時の田宮にもこの手帳がまだ分からない「何か」に対する矢野の本音が綴られていると理解しており、それが人目につかぬように自分に渡されたことから、他の社員に見られたくないものなのだという矢野の気持ちを感じ取っていた。それが会社への居心地の悪さを生み出していた。

 そして、彼は早めの帰途につくことにした。電車に乗り、コンビニで夕食を買い、家に着く。慣れた道である。ベッドに腰かけていた彼は、前方にあるテーブルに例の手帳を置き、しばらく眺めていた。

「見てみるかっ…」

 家に着いたことによる安心感か、時間が気持ちを落ち着かせたのか、田宮は漸く決心する。


「ん……あれ?」

 田宮はペラペラと全てのページに軽く目を通す。
彼の予想に反して、そこにあったものはただの「記者の」手帳だった。職業柄、内容や事実を書きとめるために手帳を多く使うのだが、確かに矢野の字で1ページ毎に事件についての調査内容が記されているだけである。
 ただ矢野は先輩の親切心で、見本として自分の手帳を送ったのだろうと考えると、田宮は真剣に考えていた自分が馬鹿らしく思い苦笑した。

 田宮は安心からベッドに寝転ぶと、パラパラとその手帳を眺めていた。
 もともと事件についての大部分は自分の頭で記憶するタイプの矢野にとって、大事な部分や詳細な数字を記録するだけの媒体である手帳は、流し見るだけでは理解できない。それに一人ひとりに別の書き方があるのが手帳である。
 それでも、手帳の分かりやすい書き方も矢野から学び取っていた田宮にとっては多少は理解できるものであった。

 田宮は何度か目を通していくうちに、違和感を感じ始めた。なにがおかしいのかを確かめるため、田宮は何度も何度も繰り返し見ていた。
 そしてテレビも深夜のスポーツ番組を流し始めたころ、漸く一つの違和感が分かった。

「汚い…よな」

 田宮も含めてだが、手帳をよく使う記者にとって手帳は荒く扱われる。だが、矢野の手帳はそれとは別の汚さだった。本来、本や手帳は表紙の部分などの外と接する「外側」のところが段々と変色したり傷付いたりしていくものだが、矢野のそれは書き記す「内側」に荒く扱われた跡が多少あるのだ。
 ところどころ破けていたり、子供が落書きで描くような強い筆圧の一本線が引かれていたりと、数ページにわたって跡が残っていたりする。
 田宮にはこれが意味するものは分からなかった。だが少し過ぎてから、彼は別の違和感の正体にも気付いた。

 「なんでこんなに…バツ終りが多いんだっ?」

 矢野の独特の印のものはいくつかあるが、その一つが丸印の中に「終」という文字を書き「調査の終了」を意味するものである。調査が完結したということである。そしてその「終」の文字の隣にバツ印をつけると「未練の残る調査の終了」ということを意味する印となる。その印を見て田宮が勝手に「バツ終り」と命名し、自身も手帳の記述術として真似していたのだが、この手帳ではその終り方が多かった。
 彼がすべてのページに目を通してみると、そのすべてのページの終わり方が何かしら未練の残るものだと主張されていた。


田宮は一度落ち着き、そして深く冷静に考え始めた。

「矢野さんはなぜこの手帳だけは荒く扱っているのか?」
「分からない。」

「なぜバツ終りだけしか載っていないのか?」
「考えられるのは…普段は別の手帳を使っている人だったから、これはバツ終りを別にまとめているノートなのか?」

「なぜ矢野さんは、このノートをおれに?」
「分からない。」


「分からないことだらけだ。」
 いくら考えても答えは出ないことに、彼は段々苛立ってきていた。彼は一度鼻から大きく息を吸い込むと、ゆっくりその息を吐いた。そして、パソコンの置いてある机に向かった。

「いくら考えても答えが出ないのなら、1ページ目から事件を調べてみよう」そう思い立ち、机に置いた手帳の1ページ目を左手で抑えながら、右手でノートパソコンのキーボードを叩き始めた。


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