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作品名:向日葵色の手帳 作者:カンフー少年

第1回   0頁目「はじまり」
 2008年4月2日、大手新聞社の一室に大勢の若者達が集められていた。
 まだ真新しいスーツを着て、表情もスーツと同様に固めている。そしてステージ上でかすれた声を必死に押し出している老人に注目しながら、イスに浅く腰かけていた。その言葉を聞き洩らさぬように必死で、誰もがささいな物音さえもたてまいとしていた。

 そして、その中に田宮孝介もいた。

 田宮は大学入試に成功した側の人間である。才能と言うべきか、頑張りはしたもののそれほど必死にならずに名高い私立に入学した。そして、特に何もないつまらないキャンパスライフを過ごし、就職難を無事乗り越え、この時大手新聞社の入社式に出席していたのである。
 中年の人達には理解できない人種の「若者」の一人をやっていた田宮にとって、この先の社会人としての自分は全く想像もできないものであった。だが、同時によく分からない将来への期待も持っており、記者として旺盛な活躍をする自分を夢見て、そのために僅かなチャンスもモノにしようと意気込んでいた。



 月日が流れるのは早く、彼が不安や期待を楽しんでいた時から既に一年が過ぎた。もはや田宮は入社当初に持っていた淡い野望をどこかに置き忘れてきてしまっていた。
 入社後、関東を志望していた彼が東京本社の社会部に配属されたまでは良かったものの、一年経った彼の願いは「寝る時間・自由な時間」が欲しいというだけだった。それほど、記者という仕事はあまいものではなかったのである。
 それでも、一年前までは本当の努力を知らなかった彼がここまで続けてこられたことは、大きい成長だと言える。その成長剤となったのが、指導役として田宮を担当してきた「矢野明子」の存在である。

 彼が覚えている話では、矢野は数年前に入社し既に30歳近くだということ、父親が早くに亡くなり学生時代は金銭面で苦労していたということが主である。また、苦労を知っているからこそであろう優しさや厳しさも併せ持っているのを田宮は感じていた。だからこそ数歳しか年が離れていない彼女を慕い、辞めずに続けてこれたのである

 彼が入社して一年たった今でも、矢野は田宮の記者としての心構えから食生活など、細かいものに至るまで幅広く注意し、時には褒めていた。
 そんななか田宮は、彼女がたまに気分が落ち込んでいる時があることに気付く。常に一緒に仕事に励んでいた彼だからこそ感じ取れた些細なものだったのかもしれない。そしてその小さな変化を見せた彼女の手には、オレンジ色より淡く黄色よりも濃い「向日葵色の手帳」が時折握りしめられていることにも気付いていた。


 そして、さらに一か月が経過した2009年5月。

 矢野京子は退職した。


 外で取材をしていた田宮は、その退職の事実を知ってすぐに上司に電話をかけ、しつこく状況を尋ねると「片親であった母親が倒れたために実家に戻った」ということを淡々と伝えられた。
 元々あまり社内にいる人達と仲が良くなることはない仕事だが、自分にも何も言わずに行ってしまった先輩に対して田宮は腹立たしい思いでいた。それほど心から信頼していたのであり、裏切られたという思いも強かった。
 会社に戻った田宮は、やり切れない思いのまま自分のデスクに勢いよく腰を下ろし、遠い目で矢野のデスクの方に目を向けていた。もともと綺麗にまとめてあった書類やらなにやらも既に無くなって、綺麗な新品のような状態になっていた。

 どれくらいの時間が経ったのか、矢野に電話をするわけでもなくただただ呆けていた。その後上司にどやされ、無心のまま記事をまとめる作業をしていた田宮だったが、ペンケースを出そうとデスクの引出しを引いたところで彼は体が硬直した。


 引き出しの中には、見覚えのある「向日葵色の手帳」が入っていたのである。


 田宮はその後、手帳に記された記者としての矢野の辛い思いを感じ取っていく。




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