額にぽたりぽたりと規則正しく落ちてくる水滴は、ウルスを深い眠りから呼び覚ます声のようだ。昨日より今日、目覚めていられる時間が長くなった。薬仕と呼ばれていた女の声が聞こえる。 「りんし鈴仕、ウルスをお湯に寝かせて。」祠の湯殿は白い湯を湛えている。 軽々とウルスを抱えた鈴仕はざぶざぶと湯に入る。寝湯である。 「毒だしが早過ぎないか。まだ7日だぞ」鈴仕の顔はくもり気味だ。 「わかってる。一刻したら来て」 薬仕は湯殿のそこから泥をすくいウルスの体に万遍なく塗りつける。 「口をあけて、薬湯をのんで」 ウルスの体は硬くなり口を喰いしばる。唇に血が滲む。「ウルス、ウルス、薬仕よ。口を開けて。薬湯をのんで」ゆっくりと緩む口に薬を注ぐ。眉間にしわがより、ウルスが咳き込む。薬仕の眉間もくもった。鈴仕が治療は早いと言うのも判る。ウルスの治療を任された日を思い出した。震えるウルスを薬房秘伝の薬を混ぜた泥に寝かせ様子を看た。半刻もたたず薬泥が暑くなり不快な臭いを放し始めた。長年毒を盛られ毒に慣れたウルスの体は、予想を上回るほどの毒量が蓄積されていたのだ。驚くには値しない。死を覚悟していなければ領境を越えたりしない。「きっと助ける、任せておいて」囁く薬仕は自分に言い聞かせたる用に頷く。決断の遅れが生死を決める。薬仕は戦いに一歩を踏み出した。薬湯を注ぎ込むウルスの震える口に神経を集中する。自分の手も震える。毒は一緒に薬湯に浸かる薬仕をも蝕んでいった。 記 薬泥に五昼夜漬けた。 寝湯に五日 一刻を 朝と夕 ウルスの髪が抜け落ちた。 歯茎から出血。 熱が高い。額に霊雫。 薬湯を五種、七回。細々とウルスの変化を書き付けていた。三日目の夜に薬泥が熱く無くなった。寝湯に使かった祠は湯が毒に侵せれてしまい入り口を閉ざした。ウルスは生きている。しかし生死をさまよった体はやせ衰え骨と皮だ。国を守る戦士だったウルスは毒に侵されていたときさえまだ体に肉があった様に思えた。口を開いても言葉が出てこない。寝台に横なっているのでさえ辛い。視線だけで薬仕を呼ぶ。薬仕は禿頭になったウルスの頭を愛しく撫ぜた。薬仕は口を開けたウルスに新鮮な水を含ませた。水がたまらなく旨い。生きられるように思えた。
ウルスが了山に入って春が終わった。体から寒気は抜けていた。 体毛もだ。薬仕に髪は生えてくるかと聞くと目を閉じ首を傾げて「たぶん」と言った。たぶんって生えるのか、生えぬのか。自分の容姿が気になるのかと腹が立つやら可笑しいやらでウルスは口元が緩んだ。寝台の近くに薬仕が立ちつるりと頭を撫でた。ささやかなふれあいに愛情を感じてウルスは浮き立つ気持ちを引きしめ体を内観した。寝台に座るのも体は慣れた。夏になる前には起き上がる事が出来るだろう。まだ毒は体幹に残っている。毒があらかた抜けた体には毒の残りがわかり易くなった。国に帰らねば。気持ちを新たにする。希望は捨てない。生きている限り。 薬仕はウルスへの軽率な行動を悔やんでいた。ウルスが健康な体になるように尽力する事と愛情を持つことは薬房に使えるものとして相容れない。皆に等しく愛情を持って接し無ければ。またやってしまった。頭をなでるなんて。まるで犬に対してするようだかしら。ウルスの温さが残るてのひらを胸にあててみた。痩せほっそた体になてしまったが戦士の気品を持つウルスの口元に浮かんだほほ笑みは薬仕の心に残た。
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