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作品名:散文詩編 HARU-NATU-11 作者:鳴瀬羽迦

最終回   Represent



   へんてこな夢をみた
   さかさまの夢 あべこべの夢
   きっと ありえないお話し




私たちにできることは形として表現すること。
ありえないことも、あるがように。
言葉で、旋律で、絵で、映像で、演技で、物体で、と様々な手段がある。
人は皆、創作家なのかもしれない。



バッハやらゴッホやらトルストイと
名を連ねる著名な芸術家たちを特別な人達かと思うけど、
誰しも何かしらの表現方法を学んだなら、
そこに繋がるのかもしれない。



水を得た魚に、風を捉えた鳥に、私たちも成れる。



生きるとは、いったいどんな意味があるのだろう。
なぜ人は存在するのか、自身の存在理由は、と漠然とした問いを
誰しも一度は抱いたことがあるのではないだろうか。



日々の喧騒を離れ、俯瞰してみる。



日常のドラマに感情が巻き込まれていると、
それは難しいことではあるけど、一呼吸置いて考えてみる。
考えが脱線したってよいのだ、赴くままに。
林檎の皮をくるくると剥くように。



芯の自分に近づいてゆく。



何も纏わない心には、もとより、
すべてが備わっている。見えてきませんか?
喜怒哀楽といわれる感情の全て、
それらが縁に触れて現れ、自身の様相を形づくる。



生き様自体が宿った魂の表現、そうなのかもしれない。



あらゆる縁があるけど、時々、憂える。
人間は未熟だと説く暗示などに。
ほんとうの優しさは誰にも備わっているのに、
その表面に学んだ道徳心を植え付けようとする。



いろいろな鳥の羽で身体を飾ったカラスのお話しを思い出す。
あのカラスは自分の中味をみつめずに飾ることで補おうとした。
芯の自己が、植え付けられる虚飾(知識)の根にどんどん絡みとられて、
それはきっと、苦しみに変わるもの。



俯瞰する自分が思う。



何かの形に合わそうとすることも表現なのかもしれない。
でも、内から発する、その表現が私には爽快に感じる。
感情が何かに触れて暴発する。
それはまるで宇宙のビッグバンのようで。



こんな微細な人間だけど、きっと人は宇宙に相似するもの。
フラクタル理論は聞きかじったたけですが。
“神は自分に似せて人間を造った”という迷言もあながち嘘ではないかもしれない。



お話しがくるくると一転二転し散開しだしました。
これが私の散文という表現、といって逃げ場も作れますが、
的確な表現方法を習って文章力を養いたいと思う今日この頃なのです。






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