組織考察
生き残ろうとする命の力は、 身体を持つものばかりに働くとは限らないように思う。 組織や団体(例えば国なども)は一個の生命体のよう。 組織力が強くなればなるほど一個の生き物のように浮かび上がる。
目に見える身体はないけど、それを構成する人々が 目となり耳となり身体となり手足となって働いている。 植物に例えてみれば、もっと大きく育とうと、 もっと根を張ろうとしているかのように。
庭の鉢植えの株が大きく育ち、鉢底から根を出していたりして 窮屈そうにしているときがある。 更に広い器に植え替えてあげればもっと大きく育つかもしれない。 器は世間の需要に例えられそう。
でも、そのようなモノが世間にはひとつではなく無数にある。 器がひとつであれば、生存競争の鬩ぎあいがおこりそう。 誰が何がその器を独り占めするのかと。
組織というもの、そこでは何が活力になっているのかをみてきた。 陶酔やピアプレッシャーがそれを担っていると思った。 また、それらの構成は昆虫の蜂や蟻の世界にも似ているようにも感じた。 蟻や蜂、彼らの世界では見事な社会システムかもしれない。 でも、私たちは個々に感情や意志を持っているはず。
にも関わらず一個の意志よりも組織の思惑に従ってしまう。 自らの心に良心の呵責を感じても押し込めてしまうのは、 精神性の呪縛(陶酔や恐怖心そしてピアプレッシャーなど)のためと思われ。 それは社会に流通する概念や宗教で言えば教義によって起きるようだ。
組織団体の存在が必要悪と言うのではないけど、 でも有り様によっては、個の生命、精神、生涯を大切にする社会構成を望む場合の 障害のひとつになってはいないかな、と思う。
ところで、最近の政治家が口にする愛国心の意は、 国の風土や文化を愛する心というよりも、 国家…そう架空の生き物としての…への忠誠心のことを言っているように聞こえる。
No.050131
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