量子の海
いつだったか海を見ていて。人の命も、その波のようなものではないかな、と思ったことがある。人として現れているときが高い波、死すれば平坦にもどり。ひとつの命として現れていないときは、その大海の水そのもの、そう感じた。
後々それは(たしか?)ヒンドゥーの思想の中に言い表されていることを知った。受け継がれた遺伝子の記憶を、海という場をきっかけに思い出したのかもしれない…と、思っていたのだけど。もしかしたら、生体に起きた量子テレポーテーションだったのかも…と、この頃は思う。量子テレポーテーションは現在、実現されようとしている、新しい通信手段。量子の性質を利用して、情報を転写する仕組みらしい。(うろ覚えだけど/汗)
考えてみれば、遺伝子のことだってよく知らない。漠然と仕組みや働きを理解しているくらいだ。そこに思想も記録しているのかもなんて無理に仮定をくっつけていた可笑しさ。ましてや成長や生命維持に関しても遺伝子がすべてを指揮しているわけでもなさそうで。そう、思想的な記憶は量子的プロセスが関わっているのでは、と考えたほうがしっくりしそう…。
波動の共鳴、それは生体では細胞間のコミュニケーションだけではなく、生き物どうしでもコミュニケーションに使われていると、先日から読みはじめた例の本(フィールド:響き合う生命・意識・宇宙/リン・マクダガート著)に書かれていた。どうも生体には、量子に符号化された情報を読み取る仕組みがあるらしい。非生化学的な記憶すら、意思の作用によって組織化できる可能性もある、と言うのだ。
私たちが呼吸の仕方を学ばなくても呼吸できるように、心臓を鼓動させる方法を知らなくても、それは鼓動するように、量子的プロセスは、呼吸するように自然に取り込まれ、鼓動を打つように働いているのかもしれない。また、量子レベルでは、私たちの知る意味での時間と空間は存在しないと言えるらしく、それらを超えて情報(エネルギー?)交換するとうかがえる、それが事実ならば、なるほどって、いろいろなことが思い当たる。
自分の記憶や思いつきと思っていたことが、実は外部の記憶を取り込んでいるとも言えそうで…とても興味深い。
No.041209
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