創造性と生産性
哀しみも苦しみも 遮ることはできなかった なぜなら それらは立ちはだかる海峡でも山脈でもないのだから 深く 果てを知らない 心の奥に その心の存在を知らせるために 零れ落ちるしずく
心理学では創造性、生産性と言うと、 なにか独自なものを造りだすことだけの意ではないようだ。 生命科学者、柳澤桂子氏はこう語る。 『一輪の花のもつ美しさを自己の内部に深く経験することのできるひとのなかで 進行している精神的な過程は、何も生産しはしないが、創造的である。』
また、その創造性、生産性を感受性の高まりとも言われている。 その感受性によって感じられるものを 現在、脳科学で取り上げられている“クオリア”というのだろうか。 感受性の高まりとクオリアの深まり、 これが心豊かな生活になにか、結びつくように思う。
柳澤氏はまたこう語る。 それは『すべてのひとがもち、高められる可能性がある』と。 とても希望的に感じる。
感受性が豊かであると、ひとつの物語や出来事をとってみても、 その主筋に沿う背景なども感じられたりすると思う。 つまり別の視点からも感想を持ちえる。 また、これはメタ認知にも似ているかもしれない。
そして、自分とは無関係と思える物語や出来事からも、 自身への親密なメッセージ(命の智慧)を見出せたりするのではないだろうか。 それは自らの自身への贈り物になる。
感受性を高めるにも、特別なことは要らないと、私は思う。 (その特別もそれを経験するという内かもしれないけど) 自分をとりまく、ふだんの経験すべてが、 自身の感受性を高める教材でもあると思うから。
また心理学者のフロムが興味深いことを言っている。 『経験を思想と言葉で表現した瞬間に、その経験は消えてしまう〜 経験をわかち合うことによってのみ伝達可能である』と。
言葉、思想を頭に刷り込むのでは経験にならないということであろうか。 そして、わかち合うというっても、表向きに コミュニケーションをとり繋がりあうことばかりを指すのではないと思え。 他者の経験も、自分として感じる心あれば、 一緒に経験することにも似て、わかち合うことにも価するのでは…と、 私は、そう思う。
No.050318
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