百鬼は、ふと手をとめる。 ずっと、刀の刃を砥石で立てていたのだが、その作業をやめて立ち上がった。 四門は、その全身を陽炎のように殺気が覆っているのを見る。 「なんだよ」 「まずいな」 百鬼は手際よく四門の体を車椅子から解放し、手足をワイアーで縛る。 その作業に数十秒しかかけていない。 「なんなんだよ」 百鬼は素早く四門を担ぎ上げると、フロアの送電設備点検用の扉を開き、その中に押し込める。 「しばらく、ここにいてくれ」 「おい、説明しろよ」 「ひとではないものが、やってくる」 「ひとではないもの?」 百鬼は少しあせっているようだ。 扉が閉じられ、四門は闇の中に沈む。 悪魔のように危うい男をあせらせる存在に、四門は恐怖を憶える。 禍々しいものの気配を闇の奥に、感じるような気がした。
百鬼は、気配を消し給湯室の闇に潜む。 影となり、完全に闇の一部となっていた。 百鬼は気配が迫るのを感じる。 その足音と、移動する速度から考えると、ひとの能力を超えていた。 幾つもの戦場を潜り抜けてきた百鬼をして、想像のつかない存在が迫っている。 ついに、それは、百鬼の潜むフロアまできた。 階段を昇りきり、無造作といってもいいほど自然体で廊下に入り込む。 その姿を見て、百鬼は息をのんだ。 白のレースに飾られた黒のゴシック調のドレスに、白いエプロンをつけている。 百鬼の頭の中に、メイドロボットという言葉が浮かんだ。 メイドロボットは踊るような足取りで廊下を進むと、ふと立ち止まる。 スカートの裾を可憐な仕草で掴むと、バレリーナのように優雅なお辞儀を見せた。 「あなたを殺しにきました。ニンジャさん」 まるで漆黒の焔が吹き上げるように、殺気が迸る。 メイドロボットは、スカートの裾をまくると、二丁の巨大な拳銃を取り出した。 少女の華奢な身体とは不釣り合いな、大きく凶悪な拳銃だ。 おそらく闇の中で、気配を消している百鬼の存在を赤外線スコープやスターライトスコープを使わずに感知できるはずはないのだが。 メイドロボットは正確に、百鬼の位置を把握しているようだ。 百鬼は、素早く給湯室の奥へと身を隠す。 雷鳴のような銃声が轟く。 百鬼は目をむいた。 銃弾は給湯室の壁を貫いて、百鬼に迫る。 百鬼は跳躍して、奥にある荷物運び用エレベータのホールへと入った。 そこにある鉄製の扉を閉め、ロックする。 銃弾は当然のようにその分厚い扉を貫通して、百鬼を追う。 物影に入ることは、全く無意味だ。 銃弾は、壁を貫いて百鬼を追ってくる。 しかも、壁を貫いて尚、殺傷力を失っていない。 おそらく、その銃弾を身体にうければ致命傷となるだろう。 百鬼は荷物運び用エレベータに乗った。 エレベータの扉を閉じる。 爆発音のような音が響き、ホールの入り口にある鉄製扉が破壊された。 メイドロボットは、トリッガーガードの下についたレバーを操作し、中折れ式の銃身を折ると輪胴式弾倉から空薬莢を捨てる。 一瞬銃身が中に浮き、メイドロボットはスカートの下からスピードロッダーに装着された銃弾を装填した。 その動作は数秒しか、かかっていない。 扉が閉まるのと、メイドロボットの銃が火を噴くのはほぼ同時であった。 身を屈めた百鬼の背中を掠めるように、扉を貫通した銃弾がエレベータの壁に食い込む。 下のフロアについた。 百鬼は素早くパネルを操作して、扉を開く。 頭上で爆発音のような音が轟き、エレベータの天井がずしんと重みで軋む。 百鬼がエレベータから降りるのと同時に、天井を破ったメイドロボットがエレベータの中へと降りてくる。 エレベータの扉が閉まるのもかまわず、銃を撃った。 扉を貫通し、襲いかかる銃弾を躱しながらホールの出口の扉を開きロックする。 そのまま、フロアの廊下に出て下のフロアの部屋に入った。 その部屋はかつては倉庫であったらしく、幾列もの棚が残されたままになっている。 百鬼は頭の中で素早く作戦を考えてゆく。 二階堂流には最後の奥の手がある。 百鬼が魔法と呼ぶものだ。 しかし、相手がひとである場合なら魔法も使えるが、ひとでなきものに通用するとは思えない。 百鬼には、別の奥の手もあるが、そちらを使ってしまうのはリスクが高い。 しかし、もう選択する余地はなさそうであった。 轟音が2回轟き、メイドロボットが倉庫に入ってくる。 百鬼は倉庫の奥へと移動していく。 メイドロボットの銃が火を噴いた。 銃弾は壁を貫くパワーはあるが、鉄製の棚にあたると軌道を変えられてしまい百鬼から逸れてゆく。 百鬼は倉庫の奥へと移動していった。 そこには、小さな空きスペースがある。 十メートル四方程度の空間だ。 そこでなら、百鬼は奥の手を使うことができる。 地下足袋を履いた足元を確認しておく。 コンバットブーツほどの強度はないが、対刃対銃素材で作られており、ナイフを踏んだくらいでは足に傷がつくことは無かった。 その地下足袋は効率よく大地に力を伝えることができる。 メイドロボットは音もなく、宙を飛ぶように移動して来た。 舞踏会で可憐な舞をまう乙女のように、ふわりと百鬼の前に立つ。 純白のエプロンが闇のなか窓から差し込む微かな光のなか、白雪のように淡く輝いていた。 アンティークドールのように整った顔に、薄く笑みを履いて。 凶悪な肉食獣のような殺気を振り撒いていた。 それは漆黒の焔が、暗黒の渦を巻いているようだ。 百鬼は電気を受けたように、全身に痺れのようなものが走るのを感じる。 そして、百鬼は知らぬうちに笑っていた。 おそらくダルフールでもルワンダでも、一個大隊に追われたときにも精鋭の特殊部隊と対峙したときにも感じることができなかった、死線に立つという感触。 一体いつ以来感じていなかったのか思い出せないようなその感覚に酔いしれていた。 麻薬の感じに近いものがある。 全感覚が極限にまで研ぎ澄まされており、部屋の中の空気の流れまで感じ取ることができた。 光は細かな粒子となり、あたりに満ち溢れている。 全身を巡る血の一滴すら、その動きを感じ取ることができた。 ほんの一秒が、数分に匹敵するほどに感じられる。 それらの感覚が一時的に強化されたもので、数分後には反動で動けなくなるのは判っていたが、それでも今ここで全てを出し尽くさねば死ぬことも間違いない。 メイドロボットは、その長大な銃を百鬼に向ける。 残りの銃弾はそれぞれの銃に二発づつ、計四発であった。 その凶悪な佇まいを持つ、大口径のリボルバーは不釣り合いに可憐な手のなかで暗い殺気を噴き出す。 百鬼は、頭の中のスイッチを入れる。 縮地という技が古武道にはあった。 一瞬にして、相手との間合いを潰す移動を行う体術。 要するに、頭が制御して身体にかけているリミッターを一時的にはずし筋肉の潜在的力を解放する技だ。 百鬼はそれにアレンジをつけている。 銃を持った相手との間合いを潰したとしても、相打ちになる可能性があった。 相手に幻を見せ、銃弾を無駄遣いさせる。 それが、百鬼の技だ。 高速で左右に移動しながら、メイドロボットとの間合いを潰す。 全身の筋肉と心臓が過負荷に身をよじりながら悲鳴を上げる。 百鬼は、意識が苦痛で真っ白に焼け焦げてゆくのを感じた。 メイドロボットの銃が火を噴く。 二発の銃弾がコンマ一秒程度遅れて通過する。 メイドロボットは百鬼の残像を撃ったはずだ。 脳は全身をコントロールするのに力を使い切っているため、脳裏に浮かぶメイドロボットの映像は酷くぼんやりしたものになる。 意識は一秒が永遠に感じられるほど、脳は高速に処理を行っていた。 そのため、視覚から色や質感は失われ、モノクロームの世界となる。 音もまた、水の中で聞くようなものになっていた。 闇と静寂の世界。 深海に沈んだようである。 身体もまた、深海の水に閉じ込められたように重く身動きがとれなくなりつつあった。 実際にはありえないほどの高速で動いているのだが、粘塊に捕らわれたように身体が重い。 もう一度二発の銃弾が放たれる。 その弾道を百鬼は肉眼で捕らえていた。 コンマ一秒は遅れている。 メイドロボットは残像を撃っていた。 メイドロボットには、百鬼の姿は三つの残像に見えているはずだ。 百鬼はこの技を影分身と呼んでいる。 弾丸は百鬼を掠めて後ろの壁に着弾し、爆発音のような音をたてた。 身体のそばを掠めただけで、棍棒で殴られたような衝撃がある。 その衝撃を堪え、前へ進む。 間合いは潰せた。 銃弾も全て使い果たしたはずだ。 百鬼は液状になった空気を切り裂きメイドロボットに斬りかかる。 胴田貫はがつん、と音を立ててメイドロボットの首筋に叩き込まれた。 百鬼は苦笑する。 あわよくばと思っていたが、さすがに首筋の急所はアーマーでガードされているようだ。 メイドロボットは銃を捨てた。 胴田貫をメイドロボットは左手で掴む。 右肘が刀身に叩き込まれた。 胴田貫がへし折れる。 百鬼は刀を捨て、腰からスタンロッドを引き抜く。 それをメイドロボットの左目に差し込んだ。 火花が飛び散り、電撃がメイドロボットの頭部を覆う。 青白い稲妻が、三つ編みのおさげの頭を包んだ。 眼球は人工のもののようだ。 おそらく水晶体の代わりに超小型のスターライトスコープを埋め込んでいるのだろう。 百鬼は下腹に殺気を感じる。 メイドロボットの足が振り上げられてゆく。 百鬼の意識は通常の速度に戻りつつあったが、それでもメイドロボットの前蹴りをとらえることができた。 足先が鳩尾に食い込むと同時に、後ろへ飛ぶ。 威力は凄まじいが、同時に後ろへ跳躍することで半減させる。 それでもメイドロボットの前蹴りは、車に跳ねられたくらいのパワーがあった。 5メートル以上吹き飛ばされると、百鬼は壁に激突する。 意識が暗くなった。 身体は限界を超えており、動かすことができない。 メイドロボットが膝をつくのが見える。 百鬼は上半身を起こす。 骨は折れていないようだ。 打撲のみらしい。 おそらく、内臓も無事。 百鬼は呻きをあげながら、嘔吐した。 血は混じっていない。 胃液だけだ。 メイドロボットは、ゆっくりと仰向けに倒れる。 百鬼は安堵の溜息をついた。 これ以上は戦うことは無理だ。 そのとき。 メイドロボットの上半身が跳ね起きる。 百鬼は、悲鳴をあげる身体を無理やり起こし、膝をつく。 しかし、メイドロボットの残った右目は虚ろだ。 驚いたことに、メイドロボットは言葉を漏らす。 「おかあさん」 メイドロボットは、ぼんやりとした表情で言葉を重ねた。 「おかあさん、今何時なの?」
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