彼は久しぶりに、その場所へ帰ってきた。 夕闇のなかに沈みつつあるその建物は、戦場での爆撃を受けたように廃墟と化している。 その、巨大な獣の屍のような建物の残骸は、血のように紅い夕日の下で黒々と横たわっていた。 彼はギターを抱え、苦笑いしながらその廃墟を見つめる。 (派手にやりやがったなあ) プレスの報道では、ガス漏れによる爆発事故とされていた。 報道といってもごく小さな扱いではあったが。 長らく立入禁止であったこの地区もようやく工事が再開され、彼も入り込むことができた。 その目で見て、彼は確信する。 これは、あの男の仕業であると。 彼に百鬼と名乗ったあの影のような男がやったことに、間違いないと思う。 何故それが報道では事故とされ、最小限の扱いとなっていたかは判らない。 何にしても、もうこの地区に踏み込むものは殆どいなくなった。 彼もこの場所へ来るのは、今日が最後になるだろうと思う。 馴染みの場所で、最後にもう一度歌っておこうと思った。 日が沈み、黒い巨大な屍が闇に飲み込まれていく前で、彼はギターを掻き鳴らす。 気がつくと、その女がいた。 白いロングコートを夕闇の中に、幽鬼のように浮かび上がらせた女。 その目は何かにとり憑かれたように見開かれ、暗黒の太陽がごとき瞳を輝かせながら。 女は彼の歌を聞いていた。 「いい歌ね」 歌い終わった彼に、女は声をかけた。 彼は口の端を歪めてそれに応える。 「つまらない歌だったら、景気づけに撃ち殺していこうと思ったなだけど」 「おいおい」 女はポケットから拳銃をとりだすと、腰のホルスターに納める。 「そんなくだらないことで、ひとを撃つなよ」 「もっとくだらないことで撃ち殺されたひとを知ってるよ」 「誰だよ」 「あたしの家族」 女はにぃっ、と笑って見せた。 「なあんてね」 彼はそっと溜息をつく。 「変な歌詞ね、黒い鳥たちが夜を横切って飛んでいくなんて。あなたが作った歌なの?」 彼は肩を竦める。 「ニール・ヤングも知らねえのかよ」 「うん」 「B52だよ」 女は目で問いかける。 「黒い鳥は、B52だ。世界を焼き尽くす爆弾を搭載した爆撃機が、夜を横切って戦場へ飛んでいくのを見つめている歌さ。世界はゆっくり確実に、破滅の淵へと雪崩落ちてゆく。それをただ見つめて歌うのさ、ヘルプレス、ヘルプレス、ヘルプレス」 女は何か楽しそうに笑い声をあげる。 「今の気分にぴったりだわ」 大きなドイツ車が女の後ろに止まった。 「あたしは、走りつづける。この街が、この国が焔と闇に沈みきるまで」 女はドイツ車に乗り込む。 「縁があったらまた会おうね」 車は走り去った。 彼はギターを担ぎあげる。 そして、闇に飲み込まれてゆくその街を後にした。
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