わたしは、部屋にいた。 そこは、どことも知れない建物の地下みたいだ。 その部屋には。窓は無く、置かれている家具といえば病院に置くような鉄パイプのベッドだけ。 蛍光灯の照明があるが、とても薄暗い部屋。 朝なのか。 昼なのか。 夜なのか。 わたしには、何も判らない。 わたしに辛うじて判るのは。自分がおんなであるということだけだ。 自分の身体を見る。若くて美しい。熟れた果実のような、そして野生の獣みたいにしなやかな。美しい身体をしている。 この部屋で、わたしはいつも夜空に輝く月のように全裸だ。 ただ。 わたしは日に一度だけ。 食事のためにこの部屋からつれだされる。 その時の記憶はひどく曖昧で。いつも夢の中のできごとみたいで。でも。 まぎれもなく、それは背徳的で陶酔的で。残酷な欲望の支配する時間。 わたしは。 その時間を経ることによって間違いなく満たされるのだけれど。 そのあとには、恐怖と嫌悪に見舞われる。 それは。わたしのこころを引き裂いてゆく。欲望の囁きと、わたしのこころが二つに割れてその葛藤がわたしを責めさいなむ。 でも。 いつもその時が近づいているのが判る。 飢えが。 わたしを犯しはじめる。 わたしは飢えの中で少しずつ狂ってゆく。 わたしは毎日。 泣き続けていた。 耐えがたい日々。 耐えがたい寂しさ。 わたしには何もない。何もない。誰もいない。 檻の中にいる獣と同じ。 そして。ゆめの中でそのおとこの子と出会う。 小鹿のように粒らな瞳。薔薇の花びらみたいに繊細な唇。少女のように優しい顎の線。さらさらとゆれる髪。 そのおとこの子をわたしは知っていた。 そして、多分そのおとこの子もわたしのことを知っていた。おとこの子は、わたしに囁きかける。
そんなに泣くことはないのに。 きっと悪いことばかりじゃないよ。 いいことって。記憶に無いけれど。まあ、大丈夫さ。
わたしは。きっと。もうすぐ。そのおとこの子に出会うのだろう。
僕は。 その重い石の扉の向こうへ入る。 そこは、完全な暗闇。果ての無い宇宙みたいに真っ黒に塗りつぶされた闇に向かって。 僕は歩み出す。 背後でごとりと、扉が閉まった。 僕は完全な闇の中に堕ちる。前後も左右も上下もない。宇宙の闇みたいな空間を。 僕はいつも共にある恐怖だけを共として。 前へ進んだ。 突然。 光が溢れた。 「ああ」 僕は感動のあまり、涙ぐむ。 そこは、人力コンピュータの部屋であった。 四角いその部屋は格子状の枠で壁が覆われており。 その四角い枠の中には大小の回転する円盤があった。 その無数に散りばめられた回転する円盤にはきらきら光を反射する鉱石が埋め込まれている。 それは色とりどりの銀河を泳ぐ星々のようであった。 無数の回転する円盤に満たされた部屋を、虹のように様々な色を見せて輝く鉱石が星のように巡り、回転する。 僕は。 それを曼陀羅のようだと思った。 そしてその曼陀羅の中心には。 君が。 そして僕であり、彼である。 人力コンピュータがいた。 人力コンピュータは僕とそっくりの顔をして。けれども、全くの無表情で。 自分の回りにある無数のハンドルを回転させていた。 そのハンドルの回転によって。 無数の円盤が連動して回ってゆく。 (やあ、ようやくきたね) 人力コンピュータは、僕の頭の中へ語りかけてくる。 僕は直感的に理解した。 君の肉体はここのコンピュータの部品であり。 人力コンピュータとしての意識はこの部屋全体の、円盤の回転運動によって生み出されているのだと。 つまり君は。 人力コンピュータの入出力装置なんだろうと。 (さて、僕はこれから全てを説明してあげようと思うのだけれど) 君は、僕は。全くの無表情で。きらきら光る鉱石が。シノプシスの発火みたいに、思考を創出している。 (まず、君の質問を聞こうかな) 僕の頭の中には。 無数の疑問があるはずなんだけれど。 でも、いざ質問するとなると何を聞いていいのかが判らない。 でも、黙っているわけにもいかないのでとりあえず、質問する。 「あのさ、ここは一体何なの。工事現場みたいなんだけれど、寺院みたいな建物があってさ」 (ああ、そうだね。まずここが何かを説明しよう) 君の頭に響く声は。 あくまでも落ち着いていて、とても自然だ。 (ここは、採掘場だよ) 僕は意外な言葉に、びっくりする。 「採掘場って。何を採掘するんだよ」 (お経さ) 僕は。 さらにびっくりして目がくるくる回る。 「お経って。一体なんだってそんなものを」 (チベットには埋蔵経典がいっぱいあるんだよ) 「いやあのね」 僕はくらくらする頭を押さえて言った。 「チベットに埋蔵経典があるとして。でもここはチベットじゃないだろ。いくら超音速で移動したと言っても。練馬区からチベットまでは、数時間でこれないでしょ」 (残念ながら、ここはチベットなんだ) 僕は。 それが真実だという前提に立って。 いや、それは真実なんだと理解していたのだけれど。 よく考えてみた。 「つまり、月見ヶ原は日本の中に無かったということ?」 (正解) 人力コンピュータの声が厳かに僕の頭の中に響き渡る。 (君がいたのは本物の月見ヶ原ではなくてね。月見ヶ原をコピーして大陸の中に作った模造都市。チベットから、そう遠くないあたりにあるんだ) ほう。 ほほうと。 つまり、僕はきっと正しかったんだ。全部が偽物みたいに感じていたのは。つまり、偽物の作り物の街に住んでいたからなんだ。 ほよよ。 びっくりこいたよ、そりゃあ。
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