月見ヶ原の街は閉ざされている。 南側は大きな川が流れており、歩いて渡れる橋はない。 北側にはとても23区内とは思えないような、大きく昏い森がある。 そして、東と西には大きな工場の後地があって、ずっと工事していた。 東西南北、どちらへ行っても歩いて街から出るのはとも難しい。 街から出たければ。 車で南側の橋を渡るか。 この地下鉄を使って出るかだった。 僕の家には車がないので、外に出るのはいつも地下鉄だ。 年に何回かは地下鉄を使ってもっと大きな街へゆくことがある。 月見ヶ原の外に出たときの記憶はとても曖昧だ。 何より僕ひとりでは出たことがないので、行き方もよく覚えていない。 その地下鉄の駅は。 もう深夜を過ぎており、間違いなく終電は出てしまっているのだろうけれど。 地下へと続く階段にはシャッターが降りておらず。 心許ない照明がまだついていた。 「さあ、行くよ」 量産型N2は、僕と水無元さんを促して。 地の底へと向かうような階段を下ってゆく。 やがて。 僕等は洞窟のように薄暗く開けた空間にでる。 地下鉄のホーム。 それは闇の大海に浮かぶ小島のように。 暗闇の中に白く照らされていた。 ホームの壁にある時計は午前三時を示している。 「そろそろ、くるころだ」 え、と僕は量産型N2に問いかける。 「何がくるっていうの」 君は。 量産型N2は。 漆黒に塗りつぶされたような、暗いトンネルを指さす。 その奥に、光が灯る。真冬の夜空に輝くポーラスターみたいに冷たく冴えている光。 それは次第に大きくなってゆき。 やがて、流線型の汽車が姿を顕した。 それは、獰猛で凶悪な爬虫類を思わせる。 奇妙に滑らかで流線型をした姿で。 ため息をつくように、静かな音を立ててホームに止まった。 ごとんと。 扉が開く。 「乗るよ」 僕等は量産型N2に促されて電車にのる。 四人がけのボックスシートに僕等は座った。君と迎えあわせて。水無元さんと僕が隣り合わせに。 そして、またこどりと音を立てて扉は閉まり。 汽車は走り出した。 真夜中の地下鉄。どこに向かうのか判らない、その汽車は。 暗闇を切り裂き彗星のように地下を駆け抜けてゆく。
僕はその汽車の中で君に問いかける。 「ねえ、聞いていいかな」 君、量産型N2は首を傾げる。 「なんだい」 「君は僕なんだよね」 その奇妙な問いに。 君は薔薇の花びらみたいな唇を綻ばせると、そっと笑った。 「そうだよ。君は僕。僕は君だ」 「そうなんだ。じゃあさ。あのホテル・カリフォルニアに行った君も僕で君で、量産型N2なの?」 君はそっと首を振る。 「彼は量産型ではないよ。特殊仕様でプロトタイプ一号だ。プロトワンと呼ばれている」 「へえ」 僕は感心して目を丸くした。 「プロトワンと君はどう違うの」 「恐怖の質さ」 君は即答する。 「プロトワンの恐怖は、オリジナルである君に限りなく近い。深くて昏く。絶望より無惨で。望みを根こそぎ刈り取るような。真っ暗な恐怖」 水無元さんが、あきれて微笑む。 「野火くんは、そんなに怖がりなの?」 僕はえへへと笑ってみせる。 「まあね。恐いよ」 僕は量産型N2を見るとさらに問を投げる。 「どうして僕が三人もいるの? それに君は量産型だということは。もっと沢山僕がいるということなんだ」 「ああ、僕等はオリジナルである君をコピーして造られた」 げっ、コピーだって? 「それってコピー機でコピーとるみたいに複製したってことなの?」 量産型N2は、くすりと笑う。 「今僕等はそれを説明してくれるひとのところに向かっている。説明は彼に任すよ」 「え、誰?」 量産型N2は穏やかに笑って言った。 「彼もまた、君であり僕である。その名は。人力コンピュータ」 「ええっ?!」 突然。 がくんと。 汽車が停止する。 「着いたの?」 「いや、真空チューブの中に入った。これからリニアモーターシステムに駆動される」 君は相変わらず、穏やかに笑っている。 「すぐに超音速に達する。そうすれば、じき目的地につく」 汽車は。 ジェットコースターみたいに加速したけれど。 音もなく揺れもなく。宇宙空間を飛ぶように静かだった。 そして、やがて。 汽車は音もなく減速して、線路の上を走り出す。 ようやく。 目的地についたようだ。 「さあ、ついたよ」 僕等は汽車を降りる。 そこは地下の建築現場みたいなところだった。 フェンスで囲まれ、その向こうには向きだしの鉄骨に鉄パイプが組まれており。 そして、そこが巨大な自然の地下ドームであることは窺い知れた。 僕等はその地下ドームの中を歩く。 通路の両脇はフェンスで囲まれていた。 そして。その建物が姿を顕す。 それは。 石でできた寺院のような建物。 灰色で陰鬱で物凄く歴史を感じさせる、ある意味廃墟みたいな。 その建物の前に僕等は立ち止まった。 「さて」 量産型N2はその建物を指し示す。 「あそこの中に人力コンピュータがいる。彼が全てを説明してくれるよ」 進もうとする僕等に、君は声をかける。 「ああ、人力コンピュータにはひとりで会いたまえ。水無元さんは、僕とここで待とう」 「どうして?」 「僕たち以外が知る必要の無い秘密があるからさ」 水無元さんは、肩をすくめる。 「行ってらっしゃい、野火くん」 僕はため息をついて、水無元さんに手を振ると。 重い石の扉に手をかけた。
ホテルは夜に覆われた。 夜空はとてもとても。深い藍となった。それは深海の青さ。その無限に近い深みを持つ藍の空に。 ダイアモンドの欠片みたいな星々が瞬いている。 君は。 石柱の並ぶ中庭を抜け。 食堂のある棟へと向かった。 君は。 食堂のある広間へと入る。 そこは目が眩むように豪華な場所であった。 天井には天使が智天使舞い飛ぶ壁画が描かれている。 そして、光の宮殿みたいなシャンデリアが吊るされていた。 広間の中心では。 優雅な真紅のドレスを着た女たちと。 漆黒の獣みたいに黒衣の男たちが。 くるり、くるりと。 輪を描きダンスを踊っていた。 「よお、遅いじゃないか」 昼間に会ったあの女が。 君に声をかける。 女はくすくす笑いながら、傍らのテーブルを指し示す。 広間の周囲には、食卓が並べられている。 そこには。 正装した男女が腰を降ろしていた。 皆ホテルの客である。着飾っており端正な顔立ちをしたひとたちは。 まるで告別式に出席したひとたちみたいに無表情だ。 そう。 彼らはこれから、何がおこるか知っている。 「ディナーで食卓にあがるのはひとりだけさ」 女はライオンみたいに獰猛な笑みを見せた。 君は。 困ったようにうつむく。 「止めてください」 君は呟くように言った。
「怖いじゃあないですか」
女は楽しげに笑う。 「ああ。でもそのひとりが君かもしれないよ。どうするね」 君は。 憂鬱な笑みを、その薔薇色の唇に浮かべた。 「その時は仕方ないので、撃ちます」 「で、君は何を待っている?」 「オリジナルを」 女は驚いたように、眉をあげる。 「オリジナルがここにくるのか」 「ええ。ついさっき月見ヶ原にT.ウィルスが散布されました。もうすぐです」 女は頷いた。 「なるほど。それで、量産型ではなくプロトワンである君がきたということか」 女の言葉に。 君は困ったように顔をあげる。 「何者なんですか、あなた」 「言ったはずだよ。君と同じホテルの客だと。では待とう。ディナーの主役が登場するのをね」
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