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作品名:天使の翼 作者:光牙

第4回   4
由梨はその日自分のマンションへは戻らず、実家へと両親に連れられて帰った。食事を勧める家族の言葉を退け、そのまま布団にもぐり込んでしまった。征司は傍らに寄り添って、啜り上げるような鳴き声を聞いていた。何も出来ないことがこれ程苦痛だとは思わなかった。ただ見守って、それだけでも幸せだと思っていたが、今はもどかしくて無力な自分が情けなかった。
由梨がやがて静かな寝息を立て始めたころ、征司は窓から外へ出た。梢が風に揺れているが、征司には風は感じられなかった。風すらもこの身には無縁なのかと思い知らされる。
一人になりたくて近くの公園へと意識を向けた。そこは小さな公園で、遊具も滑り台とブランコしかない。ゆっくりと中に入って行くと、意外にもブランコに揺られている少年がいた。年のころは六、七歳か。こんな夜中に一人で公園にいることに興味をそそられた。少年は今どきめずらしい坊主頭で、あまり清潔とは言い難い服装をしていた。大きくブランコを漕ぐでもなく、ただゆらゆらと揺れている。征司は傍らに立って、その少年を見ていた。少年は特にこれといった感情を表情に表わすこともなく、ただ時間が過ぎるのを待っているように見えた。こんな時間に、親はどうしたのだろうかと思ったが、世間には夜仕事に行く親も多いので、もしかしたら珍しくもない光景なのかもしれない。しかし、少年のあまりの感情のなさに征司は何か心に引っかかる物を感じた。
少年は一時間程ブランコに揺られてから、ふいに立ち上がり、公園を出て行った。征司はなんとなく着いて行く。一目見て安アパートといった風情の建物へ少年は入っていった。ドアが施錠されているのを確認して、何故かほっとしたような表情をし、ポケットから出した鍵でドアを開け、室内に入った。
他人のプライバシーを覗き見るのはなんだか気が引けたが、どうしてもこの少年が気になって征司は部屋へと後を追う。部屋の中はゴミや衣類が雑然と散らかっており、万年床と思われる布団がだらしなく横たわっていた。部屋の片隅にはバリカンが転がっている。散髪が面倒なので、少年は坊主頭なのかと驚く。
異様な雰囲気に征司は困惑したが、少年はいたって普通に冷蔵庫に近づくと中から牛乳のパックを取り出し、そばにあった菓子パンを手にベランダへと出た。征司にはその行動があまりにも不審で目を離すことが出来ないでいた。ベランダに出た少年は当たり前のように隅に腰を下ろし、菓子パンと牛乳を食した。何故部屋で食べないのかと言葉が通じたなら聞いていたに違いない。
そのまま少年は体育座りのまま頭を膝に埋めて寝てしまった。今は左程寒い季節ではないからいいものの、これが真冬でも彼はこうしているのだろうか。征司はそれが無駄だと分かっていても、少しでも少年を風から守るように、包み込む様に傍らに座りこんだ。
そうして何時間もたったころ、玄関の鍵が乱暴に開けられる音がした。少年ははっとした様に頭を上げる。征司が覗いてみると、したたか酒に酔った母親と思しき女性が入って来た。部屋を一瞥するとそのままベランダへと続く窓を開いた。
「何やってんのよ!また牛乳全部飲んじゃったの?」と母親は言うや否や少年の頬を力いっぱい平手で打った。征司は掴みかかって止めようとしたが、無論無駄である。少年は相変わらず無表情なまま黙っている。その態度は叩かれることなどもう慣れたことだと言わんばかりであった。
「全く、お前なんか産まなきゃよかった」
そう言い捨てて母親はピシャリとベランダの窓を閉めて部屋へと入って行った。征司は何をどうすればいいのか分からず、ただおろおろと母親と少年を見比べていた。
ニュースなどで児童虐待が問題になっていることは知っている。しかし、目の前で、こうして虐待と呼ばれる行為が行われていることが信じられない。どこか別の世界のことにように考えていたが、これは現実に今ここで起こっているのだ。
母親は湿気た布団に横になり、すぐに寝てしまった。少年はそれを確認すると、また家を出た。そしてまたあの公園へ向かい、前と同じようにブランコへ腰かける。
もしかして、この少年は母親が家にいる間、ずっとここでこうしてブランコに乗っているのだろうか。食事はパンと牛乳だけなのではないか。学校にも行っているようには見えない。
征司は無償にこの少年を抱きしめたくなった。そして君は何も悪くないと言ってあげたかった。普通の暖かな家庭に育った征司には本当の意味でこの少年の痛みは分からないかもしれない。でも、今、せめてその手をとって、君は生きていていいのだと、君には何も罪はないのだと伝えたかった。
征司は再び震える拳を握り締めることしか出来なかった。自分の無力さを痛感する。例え目の前で誰かが死にそうになっていても止めることが出来ないと言われた言葉を思い出す。それどころか、傷ついた小さな子供一人救うことの出来ない事実に無念を感じた。これが霊として存在するということか。これ程無力な存在に何の意味があるというのか。
少年は相変わらず無表情でブランコに揺られていた。


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