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作品名:巡夏 作者:光牙

第7回   罪と罰
結局拓也は警察上層部のシナリオ通りの罪で起訴された。彼は強盗傷害致死罪に問われ裁判へと誘われた。
検察の描くシナリオにはどう考えても無理があったが、それを否定するだけの証拠は何もない。拓也は一貫して「自分は何もしていない」と訴え続けた。
優は複雑な思いでその裁判を見守っていた。彼が人を殺してなどいないことは自分が一番よく知っているからだ。
あの状況で拓也が美奈子を階段から突き落とすことなど出来る筈がないし、優自身も自らの意思で彼の手を放したのだ。それでも美奈子の死には拓也が関係しているとしか思えなかったから、優は彼が罪を負うのは当たり前だと考えていた。
しかし裁判の流れは優の予想以上に拓也に不利に傾いていく。拓也に窃盗の前科があることや、多額の借金があること、そしてなによりも拓也の頑なな態度が裁判員の心象を悪くした。反省の色がないと言うことだ。
優は自分のしたことが本当に正しいのか、不安になってきた。拓也は自分を助けようとしてくれたのに、今自分は彼を謂れなき罪に落そうとしている。だがそれは自分だけの責任ではないはずだと言い聞かせた。拓也も優を助けようとしたことを一切話さないからだ。彼がそのことを証言したならば、優も認めようと思っていたが、その機会は最後まで訪れなかった。
結審の日、両親は優に裁判を傍聴するかと聞いてきたが、優はその結果を聞くのが怖くて断った。直接裁判長からその言葉を聞くことが怖かった。拓也に科された罪はそのまま自分の罪であるように感じられたからだ。
事態は優の考える中で最悪の結果をもたらした。終身刑である。テレビのアナウンサーは「終身刑を言い渡された犯人田代は不敵な笑みを浮かべて法廷を後にした」と伝えた。
優の身体は自然と震えた。震える身体を抱き締めながら拓也の笑みを思い浮かべてみる。それは本当に不敵なものだったのか。違う、とそう思った。それは優へのメッセージのように思えてならなかった。「お前の望み通りになったぞ」と彼が語りかけて来ている気がして、優は身体の芯まで震えた。
酷く後悔した。と同時に拓也に怒りを覚えた。何故本当の事を言わなかったのかと。理不尽な怒りであることは理解しているが、そうでもしないと拓也の人生を終わらせてしまった罪を負うには重すぎた。

結審の日から優は自室に引きこもっていた。考えることは拓也の事ばかりであった。彼はもうあのカプセルに入れられてしまったのだろうか。自分の事を恨んでいるのではないか。今ならまだ間に合うかもしれない。いや、今更自分が何か言った所で何も変わることはない。そんな思考がぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。
一日、二日と日が過ぎて行くに従って優の思考は重力を持って重くなって行く。まだ間に合うかもしれない。いや、もう間に合わない。もしかしたら。もう無駄だ。何度も何度も同じことを繰り返す。食事もろくに喉を通らなかった。そんな優の態度を見た両親は腫れ物に触るように扱った。ただ猫だけは変わらず側にいてくれた。自分がどんなに思い悩んでいても、何事もないかのように側に居てくれる。それだけが救いだった。優は生まれ変わったら猫になりたいと思った。こうして日がな一日好きな人の側にいて、のんびりと過ごせたらどんなに幸せか。自分は誰の側にいたいのだろう。美奈子だろうか、それとも。そこまで考えて拓也の事が頭に浮かび、また思考が停止した。
食卓には優の好物が毎日並べられ、母親は事あるごとに優を外出するように促した。買い物に付き合ってくれないか。たまには外で家族で食事をしないか。新しいショッピングモールが出来たのでウインドウショッピングでもしないか。
優を思ってのそれらの言葉が疎ましくて仕方がなかった。そうして日々を過ごすことで拓也への罪悪感は決定的に優の心を掴んでいた。人を殺したらこんな気持ちになるのかと優は思った。思うにつれ拓也の本心が分からなくなる。なぜ甘んじて罪を負ったのか。拓也とはどういう人物なのか。どんな人生を歩んできたのだろうか。美奈子とはどんな関係だったのか。一日中拓也の事を考えていた。テレビで何度も見た拓也の端整な顔を思い出していた。きれいな顔をしていた。きっとカプセルに入った彼はそのきれいな顔のまま静かに目を閉じているに違いない。今は何を考えているのだろう。カプセルに入るのと、こうして一日中部屋に籠っているのとどう違うのだろう。優の心は拓也という名のカプセルで覆われていた。

ある日、母親が優の部屋をノックしておずおずと言った。
「刑事さんが来てるの。優ちゃんに会いたいって。嫌なら断ろうか?」
刑事という単語を聞いて優はとうとうこの日が来たのかと思った。自分の罪が暴かれる日がようやく来たと思った。すっと心の支えが降りた気がした。自分はこの日を待っていたのだとも思った。
膝に乗っていた猫を下し、無言で立ち上がると扉を開ける。突然のことに数歩後ずさった母親には目もくれず優は玄関へと向かった。
玄関にはゴマ塩頭の刑事が立っていた。杉村と言う名前だったと思う。優を見ると被ってもいない帽子を上げる仕草をして「どうも」と言った。
「外で話をしませんか。今日はいい天気ですよ」
杉村に促されて優は玄関から外に出た。家から出るのは何日振りか。西に傾きかけた日差しが自分の罪を咎めるように眩しかった。
しばらく無言で歩いて、近所の公園に着いた。杉村は当たり前のように公園に入るとベンチに腰を降ろした。優もそれにならって隣に座った。公園には子供たちの歓声が溢れている。優はふと子供の頃を思い出す。自分もよくこの公園で遊んでいた。あの頃に戻りたい。そんな気持ちになった。
「足の具合はどうですか?」と杉村は聞いた。
「はい、特に不自由はないです」優は答えた。家族以外と言葉を交わすのは久しぶりだと感じた。
「色々と大変でしたねぇ。」
「えぇ」
答えながら何が大変だったのかと考えた。自分の中であれ程煩悶したというのに、世間的には大して大変ではなかったような気がする。
「一つだけ、教えてもらえませんか?」杉村が人差し指を立てて口元にかざした。その人差し指は一つの意味にもとれたし、秘密の意味にもとれた。優はゆっくりと頷いた。
「普通人間てのは高い所から落ちると、こう、頭から落ちるんですよ。頭のが重いですからね」
優は自分の顔が強張るのを感じた。
「でも鈴木さん、あなたの場合は足から落ちた。自分にはこれがどうしても解らないですよ。突き落されたってなら、尚更頭から落ちるはずだ。何度も聞きますが、あなた、一度どこかに掴まったりしませんでしたか?」
何度も聞いた質問だ。そして何度も覚えていないと答えた。しかしこの日、優は俯いて「えぇ」と短く答えた。
「やっぱり。そうでしょう、そうでなきゃああはなりません。」杉村は何度も頷きながら言った。
「でもね、鈴木さん、それならそれで、あなたの掴んだ場所に指紋なりなんなり痕跡が残るんですよ。」
きゅっと心臓が音を立てて縮んだ。
「あなた、どこに掴まったんですか?」
眩暈がした。日差しが優の罪を責める。杉村が真実へと迫る。拓也の顔が頭をよぎった。
今だ、今しかない。本当の事を話すなら今しかない。優は大きく息を吸ってから口を開きかけた。
「いや、いいんです。今更どこだっていいんです。あなたが足から落ちたこともはっきりしましたから」
言葉にする前に杉村に遮られてしまった。そして眉間のしわを一層深くして言った。
「ただ、もう少し早くに聞きたかったですねぇ。それが残念だ」
制裁の槌は落とされた。杉村は知っているのだと直感で感じた。知っていてその答えを優には語らせることを許さなかった。
杉村はよいしょと呟きながら腰を上げると、何度か臀部を払って「では、ごきげんよう」と声をかけて歩きだした。
優は知らずに冷や汗をかいていた。握りしめた手にじっとりと汗が滲む。子供たちの歓声が遠くに聞こえた。
日差しは変わらず優の罪を責める。杉浦の後姿も優を責めている。拓也の端整な顔が頭をよぎった。その顔がデスマスクの様に表情を失ってカプセルに寝かされているのを想像した。高校生の時にデッサンをした石膏の胸像を思い出した。拓也の顔が石膏像と重なる。日が沈むまで優は動くことが出来なかった。


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