「どうして冤罪を受け入れたの?」と優は問うた。 「それが真実とやらに関係あるのか」拓也は不機嫌さを隠さずに言った。 優は構わず「薬田啓」と続けた。 「え?」と拓也が聞き返す。 「や・く・た・け・い。それが合図だったのね」 噛んで含めるように優はゆっくりとマイクに向かって言った。 「あぁ」と何かを懐かしむようにモニターの拓也が目を閉じた。やはりと思った。 「逆さ言葉はミナの得意技よ。でも、あなたは私を殺そうとしてたんじゃない」 目を閉じたまま拓也は答えようとはしなかった。 「ミナがあなたに頼んだのは猫の事だったのね」 しばらく答えを待ったが何も返ってこないのを確認して優は言葉を続けた。 「ミナは非常口から覗いていたんでしょう?あなたがちゃんと猫を始末するかどうか確かめるために。もしかしたら、ただ私から猫を奪うだけの予定だったのかしら」 含みを持たせた声で続ける。 「でも予想外の事が起きた。私が踊り場から落ちそうになったから。ミナは私が落ちたものと思ってその場から自分も身を投げた。それが真実なんでしょ?」 拓也はようやく目を開いた。 「今更どうだっていいだろう」 そう、それが真実だとしても何が変わるのかと拓也は砂を噛む思いでいた。 「あの時、猫か俺か選べって言ったわよね」 「そんな事言ったっけ」 「言ったわ。私が猫を放さなかったから、だからそう言ったのね」 拓也は過ぎた日を思い出すようにまた目を閉じた。目を閉じるとあの時の事が今でも手に取るように思いだせる。 確かに言った。猫を放せと。 「でも私は猫を選んだの」 「あぁ」と目を閉じたまま答えた。 「もし、もう一度同じことがあってもやっぱり私は猫を選ぶわ」 右の口角を歪めるようにモニターの拓也が少し笑った。 「馬鹿な奴だと思ってるんでしょう?」つられて優も微笑む。 「でも、もう一度があるなら、私はあなたも選ぶわ」 怪訝そうに拓也が右目だけ開けた。 「あなたに罪を負わせたりしない。あなたは私を助けようとしてくれた事を証言する」 「もう一度なんてないさ」 「あるわ」優は断言した。その語気の強さに拓也は少し驚いた。優はこれ程意志の強い性格だっただろうか。 「私は今から戦うの。あなたのために戦うわ」 拓也は苦笑を浮かべた。 「もうどうしようもないさ。今更どうしようって言うんだ」 「あなたをそこから出して、私が看護するの。冤罪を晴らすの。私、調べたんだから。海外では、終身刑で冤罪だった人が一〇年かけてリハビリして、回復したって。今度は私が罪を償う番よ」 「そんなことをしてもらっても俺はちっとも嬉しくないけどな」 本心ではなかった。しかし本当にそうなった時の優の負担を考えるととても喜べることではなかった。一〇年と言ったが、それはきっと気の遠くなるような時間に違いない。 「それでも私はそうしたいの」優は握りしめた両手の指先が白くなるほどもう一度握り直した。 「拓也を愛してるから」 拓也はきつく目を閉じた。一番望んでいたことでもあり、一番恐れていたことだった。 「私、拓也に触りたいの。一緒にいたいの」 心の中で「俺もだ」と呟く。どれほど優に触れたいと思ったことか。どれだけその笑顔を守りたいと思ったことか。しかし声に出すことは出来なかった。 「私、絶対、あなたをそこから出すから」 「無理だよ」 優はくすりと笑うと誰かの声色を真似て言った。 「また悪い癖。すぐに無理って決めるんだから」
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