季節は人の思いとは別にゆっくりとしかし確実に流れて行く。 その証しの様に、その春、猫が死んだ。命をかけて守ったその命の灯火が静かに消えた。老衰だと獣医師に告げられた。 優は庭の片隅に遺体を埋めるとそこに向日葵の種も植えた。これから毎年夏になれば花を咲かせることだろう。猫を抱き締める度に「お日様の匂いがするね」と言っていた。だから向日葵にした。 拓也には何度も面会を求めたが、その度拒否され続けている。それでも優は今までの通り通っていた。優にはどうしても拓也に聞かなければならないことがあるからだ。それには小さな希望も含まれている。真実が分かったのなら、その希望にも花が咲くかもしれない。そう思って通い続けていた。しかしその思いは通じず、答えの分からない謎だけが残った。 優は二年前の事件の記憶を何度も辿った。美奈子からの不可解な電話。あの時拓也が何か言った気がする。彼はなんと言ったのだったか。それが思い出せずにいた。 春が過ぎ、夏が訪れた。庭には向日葵がその名の通り太陽に向かって堂々と花を開いていた。 優は向日葵を眺めながら猫の事を思い出していた。一緒に暮らした時間は短かったけれども、思い出は山のようにある。思い出の一つ一つを愛でるように思い返していた時、ある言葉が頭をよぎった。 「俺か、猫か」 それは誰の言葉であっただろうか。男性だった気がする。いつのことだったか。 その時拓也の顔が思い浮かんだ。あの時、拓也の発した言葉だ。俺か、猫か。 そしてどうしても気になっていた美奈子からの最後の電話の内容を反芻してみる。何かが繋がった。そうか、猫かと思った。それと同時に溢れるばかりの美奈子の愛情を思い返した。そうだった、美奈子は独占欲が強かったではないか。 「ミナは本当に我儘なんだから」呟きと同時に頬を涙の滴が伝う。ようやく答えを手に入れたのだ。 優は力強く立ち上がると、美奈子が買ってきた薄いオレンジ色のワンピースを着た。初めて拓也に面会に行った時と同じ服だ。そしてあの日と同じように拓也のもとへ向かった。
拓也の意識がはっきりとする時はいつも同じ質問を受ける時だ。「鈴木優さんが面会に来ている」と告げられるのだ。拓也は毎度断る。それでも、優はまた来るのだろう。もう何度も断っている。いつまでこんな事を続けるのだろうか。いつになったら自分を忘れてくれるのだろうか。そう思いながらも今だ優が面会に足を運んでくれることに喜びも感じていた。そんな自分がどうしようもなく惨めで情けなかった。早く忘れてくれと思う一方でもう一度会いたいとも思う。そんな思考すら煩わしくて、でも捨てきれずにいる自分に嫌悪した。 その日も同じ質問を受けた。もちろん断ったが、今日は初めて伝言があった。それは「あなたが守った真実を見つけました」と言った短い伝言であった。拓也は困惑した。真実のひと言が彼の心の琴線に触れた。自分が守った真実。それはあの日の出来事以外に考えられない。彼女はどんな真実を見つけたと言うのか。それがどうしても知りたくなった。そして面会を受け入れた。 久しぶりに見る優は少しふっくらした様に見える。二人とも言葉を探して沈黙を彷徨っていた。 「また夏が来たのよ」と優が呟いた。 もう一年経ったのかと拓也は驚いた。そんなにも長い間、面会を拒み続ける自分の所へ彼女は通って来てくれていたのだ。 それからまた沈黙が続いた。沈黙に耐えきれずに拓也が口を開いた。 「何を知ったんだ?」 ふいに優が微笑んだ。そして真直ぐに拓也を見つめて、「真実を見つけたの」と言った。 何をと問いたかったが、優の雰囲気がいつもと違う様な気がして、彼女の言葉を待った。 「美月が死んだの」と優が言った。
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