「さすが香奈ちゃん、歌うまいな。ホレボレするわ。」 「おれと付き合わへんか。」 香奈ファンの20代後半の客がいった。
香奈は無言のまま苦笑いしている。 香奈のガードはかなり固い。 親しくない客に対しては勿論、親しい客に対しても自分の領域の線をしっかり引いていた。
しかし、雄太はそれを憎めなかった。“おれの若いころに似てるもんな。” “良くいえば真面目、悪くいえば不器用。でもそやから香奈と相が合うんかなぁ。”
相が合うと思っていたのは雄太だけではない。実際、香奈も雄太に対し相性がいいと思っていた。 だが、あのクリスマス前の出来事以来、雄太に対しさびしそうな表情を見せることはなかった。
「香奈ちゃん。就職のほうは決まったんか。」雄太は氷を取り出している香奈に聞いた。
「うん。1つ内定もらったけど、携帯販売会社の事務職なの。希望の食品会社はあと2つ受けて終わりにしようと思ってるの。」
「厳しいんやな。」就職の現状が厳しい事を一番分かっている雄太が答えた。 「自分が納得するまであきらめたらあかんで。」雄太は言った。
「うん。」香奈は雄太を見てうなずいた。 香奈は見かけ以上に強い女性だ。だから、店に来てグチをこぼす客の気持ちがわからない部分がある。 まだ学生で、社会人として働いていないので当然といえば当然だが。
そんな香奈に雄太は言ったことがある。 「香奈ちゃん、あと3年位経てばもっといい女性になるなあ。」
「あと3年?」香奈は少しがっかりしたように言った。 “おれの言った意味は伝わってないよな。”雄太は思った。
そんな若い香奈だから、恋人に対してもイメージが先行している。 路線で言えば雄太の路線であるが、雄太にとって決定的な痛手は香奈が20代で雄太みたいな彼氏を探していること。 そんな香奈の気持ちを雄太も薄々感じていた。
“おれの学生時代はどうだったかな。やっぱり見かけ重視だったよな。 増して10歳以上年上だったらオジサン、オバサンの世界だったよな。” 香奈が入れてくれた水割りを飲みながら雄太はそんなことを思っていた。 “25年かぁ。”雄太は香奈との年齢差を思い、心の中でつぶやいた。
“やっぱり香奈への思いは断ち切らなければ。”雄太は決心する。
そして、最後に雄太は1つ曲を入れた。チャゲ&ナスの歌。 雄太は“これから這い上がって行こう”とする時この曲を歌う。
♪誰も知らない 涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や 思い上がりと 笑われても 譲れないものがある プライド ♪
“もうこの店で歌うことはないのかな。”そう思いながら雄太は歌った。
「ママ、チェック。」 歌い終わるとすぐに雄太はいった。
香奈は何かを感じたかのように雄太のほうを見ている。
だが、雄太は香奈を見なかった。決意が変わりそうな気がした‥。
「それじゃ。」9000円を支払い、雄太が店の扉に向かう。
「また来てね!」いつもより大きな香奈の声が雄太の後ろで響いた。
「ガチャン。」
「不釣合いな恋か。」そうつぶやいて、雄太は店を後にした。
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