香奈、そして愛。つづけて恋を失った雄太。 そして新しい仕事もまだ決まっていない。
そこで雄太は決心する。 「もう失うものは何もない。 独立開業するで!! 」そう言うと、 県立図書館に行って独立開業に関する本をかったぱしから読んだ。 土壇場になるほど負けず嫌いの性格に火が付く雄太がいた。
( 2018年 3月 )
○□商事(本社)の応接室
「さっきから何度も申し上げておりますが、味を落としてコストを下げる事はできません。 折角ですが、このお話には乗ることはできません。」 大会社の営業企画部長に答える雄太がいた。
雄太は惣菜屋を始めていた。 何点かの商品を販売していたが、一番人気はあの“南城家オリジナルのクリームコロッケ”。 開業して最初の半年は鳴かず飛ばずだったが、その美味しさが評判となり今では芦屋市と神戸市に5店舗を構えていた。
そのブームに乗ろうと○□商事が全国展開する話しを持ちかけていた。 ○□商事が提示した条件は、今の販売価格を維持すること。 ○□商事の販売網を利用して販売価格を維持することは、コストダウンを意味する。 同じ価格で雄太の株式会社 誠庵と○□商事の利益を稼がないといけないからだ。 しかし、ぎりぎりの価格で勝負している雄太にとって、 コストダウンは“味を落とすこと”であった。
「残念ですな。折角のチャンスでしたのに。」営業企画部長は言った。
「申し訳ございません。」雄太は頭を下げると、応接室を後にした。
雄太は“味を落として全国展開すると、半年ほどブームがもってもすぐにブームが去り、契約を解消される姿”を想像していた。 “何がお客様第一だ。本当にお客様のことを思うと、今の味と値段でコツコツやるしかないんだ。”雄太は心の中で叫んだ。
雄太は再婚はしていない。開業以来、総菜屋のために汗を流した雄太にそんな余裕はなかった。 しかし、周りの人はそろそろ再婚したらと言う。 雄太も再婚の意志がない訳ではない。 雄太のお店に来る子供づれのお客さんの笑顔を見て、うらやましく思うこともあった。 新しい事業が順調に進み幸せそうにみえる雄太にも、そんな心の隙間があった。
それに加えて今回のこの話。 雄太はいたたまれない気持ちになり、居酒屋に立ち寄った。 そしてその後も家に帰ることなく神戸の郊外へと足を向けた。
気がつくと懐かしいビルの前だった。9年ぶりだ。 “レナはまだやってるのかな。”そう思いながらエレベータの3の数字を押した。
「チリン、チリン」
「いらっしゃい。あらァ。コロッケ屋の社長さんが来たわ!久しぶりやないの。」 店のママがかすれた声でいった。
「あんたどないしてたん。プッツリ来なくなるから心配してたんよ。 そしたら最近、雑誌やテレビに出るようになって。こんなんやったら前にサインもらってたら良かったわ。 有名人の無名のころのサイン。値打ちでるでえ。ほんま懐かしいわ。」 雄太があっけにとられるくらいにママは話した。
そして、 「懐かしいいうたらもう一人、あそこに来てるで。」 ママはそう言いながら店のカウンターの奥に座っている一人の女性に目をやった。
雄太がその方向に目をやると、30歳前後のショートヘアの女性が座っており、 雄太を見て少し微笑んだ。 その時のほほの肉が人より少し盛り上がっていた。
「香奈か?」雄太は聞いた。
その女性は静かにうなずいた。
「この子ねえ。今月末に長崎に帰るんやて。 今の仕事も充実してへんし、いい彼氏も見つからず実家に帰るらしいわ。」 ママがそういうと、
香奈は懐かしい低い声でいった。 「雄太さんぽくて若い人はいなかったわ。」
「じゃあ今日は一緒に飲もか。」 雄太が香奈にいうと「そうね。」と香奈は気を取り直すように言った。
香奈は神戸市内の携帯販売会社の事務で働いており、大学で学んだ食物学を活かせないでいた。 だが、しばらく昔の話をしていると香奈もだんだん元気を取り戻してきた。
そして、雄太はいった。 「久しぶりに、一緒に未来予想図Uを歌おうか。」
「懐かしい。」香奈はそう言って、リモコンを手に取り検索モードを使わずに曲番をペンで入力した。
「香奈すごいな。曲番覚えてるん?」雄太がいうと、
「この店で雄太さんといっぱい歌ったし、就職してからも歌ったから。 でも、気が付いたら“卒業してから8度目の春”だった?!」 香奈が雄太の眼を見ながらいたずらっぽく笑った。
雄太も笑いながら“香奈、関西で腕上げたな。”そう思った。
♪チャン。チャ、ラ、ラ。チャン、ラン、ラン、ラン。チャ、ラ、ラン。♪
前奏が鳴り出し、雄太と香奈はマイクを手に取った。
♪きっと何年たっても こうしてかわらぬ気持ちで 過ごしてゆけるのね あなたとだから〜♪
9年の時を超えた『同じ匂い』の2人のハーモニーが店内に響いた。
「よっ。ご両人!」の掛け声と、割れんばかりの拍手が2人を包んだ。
9年前と同じように雄太と香奈はにっこり笑いながらマイクを置いた。 ただ当時と違っていたのは、雄太のほうがより香奈の心を癒していたことだった。
香奈は嬉しそうだった。 そしてその瞳は眞鍋さおりの輝きを取り戻していた。
雄太は香奈にいった。 「香奈ちゃん、昔 食品の会社で働きたいって言ってたよな。 小さいとこやけど、うちの会社で働かへんか。」
香奈はしばらく雄太の眼を見ていた。 あのクリスマス前の出来事の時のように。
そして微笑んでうなずいた。 眞鍋さおり似の瞳からひとしずくの涙がこぼれ、ほほを伝った。
21歳と46歳。 その時に香奈と雄太が感じた25年のギャップは9年の年月が人知れず埋めていた。
( 2020年 春 )
「愛、明日また雄太がテレビにでるんやて。」 「知ってる。私も雄太からメール来てた。今度はちょっと長いらしいね。」
智美と愛が電話で話している。 愛は智美の家で一緒にテレビを見ることにする。
そして当日。
智美と愛は雄太がいう時間にテレビの前に座った。 そして、リモコンのパワーボタンを押すと、画面から司会者の元気な声が流れてきた。
「今日のイヤネ屋のグルメ情報は、関西で人気のクリームコロッケを紹介します。」
「こちらにいらっしゃるのが、南城雄太社長で、お隣りが食品開発室長の南城香奈さん。 2人はご夫婦だそうで、もともと人気のクリームコロッケに香奈さんが隠し味を追加したら 大ヒット商品になったとか。今では、ネット販売も3カ月待ちで…。」
テレビを見ながら智美がいった。 「あの2人、ほんまに仲いいよなあ。11年前はいろいろあったみたいやけど。」
それを聞いた愛は 「11年前? ひょっとして私とダブってんのとちゃう?」とポワンといった。
「ということは、愛も雄太と旦那でダブってたん?」 智美は八重歯を出しながら、気づいていたかのように言った。
「ばれてたん!?」愛はそういいながら、11年前の1度きりの冒険に想いを馳せていた。
テレビではイヤネ屋の司会者がクリームコロッケを食べながらインタビューを続けている。 「お二人の年齢差はいくつですか。 えっ。25歳! 社長、やりまんな。 でも、お二人もコロッケも、バランスが絶妙でっせ!」 「そのお二人にイヤネ屋からささやかながらプレゼントがございます。 題して、“イヤネ屋発テレビ公開 披露宴!!” 実は、雄太さんから“忙しくて結婚式は挙げたけど披露宴がまだ。”という話をお聞きしておりまして‥。 という訳でスミマセンが、香奈さんこのウエディングドレスに着替えて下さい!」
しばらくして。
「準備が整ったようです。新郎&新婦の入場です!!」
♪タ、タ、タ、ターン。タ、タ、タ、ターン。 タ、タ、タ、タッ、タ、タ、タ、タッ、タ、タ、タ‥‥‥。♪ メンデルスゾーンの結婚行進曲が流れる。
雄太と香奈が手をとりあい満面の笑みを浮かべて入場してくる。
イヤネ屋の司会者が披露宴の司会もこなしながら進めていく。
「それでは、新郎&新婦によるクリームコロッケへの入刀です‥。」
テレビを見ながら智美がいう。 「香奈さんのお腹の中には男の子がいるらしいで。」
すると愛が、 「ほんまぁ? じゃ、私もがんばってもう1人女の子産もかな。 雄太の息子と結婚させるねん!」
「あんたには負けるわ。」と智美が返すと、
二人は笑いながら雄太夫婦から届けられたクリームコロッケをパクついている。
クリームコロッケの包装には、雄太と香奈のコロッケのキャッチコピーが。 『 おじいちゃん、おばあちゃんになっても食べられるクリームコロッケ!! 』
おしまい。
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