* メディカル・セクションに向かう通路の途中で、「おまえ・・・・ほんとやめろよ、その妙な勘違い・・・」と思わずそう呟いて、リョータロウは、あきれ返ったような顔つきをして、黒茶色の癖毛に片手を突っ込んだ。 その傍らを歩きながら、ナナミは、すっかり意気消沈した様子で、まじまじとリョータロウの長身を仰ぎ見ると、やけにしょげた声でこう返答したのである。 「・・・・・す、すいません・・・・」 「まぁ・・・・おまえの勘違いはいつものことだけどさ・・・それにしたって、一体、どういう発想なんだよ?なんで俺が、イルヴァとどうこうなんなきゃなんねーんだよ?」 そう言ったリョータロウが、精悍で端整な顔をげんなりした表情に彩って、シルバーグレイの軍服の肩で大きくため息をついた。 「す、すいません・・・っ」 ナナミは、大きなへーゼルの瞳にうるうると涙を溜め、眉間に深いしわを寄せながら、その唇をガチョウのように尖らせる。 その表情が、あまりにも情けなさそうで、その上、なんとも表現しがたい妙な愛らしさを持っていたため、リョータロウは、思わず吹き出してしまった。 広い肩を愉快気に震わせながら、とからかうような口調で、リョータロウは言うのである。 「なんだよその顔?そんな顔してると、珍獣園に売られるぞ?」 「ち、珍獣!?・・・・ですか!?」 素っ頓狂なナナミの声と共に、いつの間にか眼前にあった診察室のオート・ドアがエアの抜ける音と共に開いた。 それと同時に中から、セラフィムに乗船する女性医師、ウルリカ・クレメノフの思惑有り気な声が響いてきたのである。 「熱を出してるんですって?珍しいわね?マキ中佐?」 電子カルテを表示したモニターの前に腰を下ろし、タイトのミニスカートから覗く形の良い足を組替えると、ウルリカは、まるで手薬煉でも引いているかのようなわざとらしい微笑みで、リョータロウとナナミを出迎えたのだった。 リョータロウは、なんとも嫌な予感に苛まれて凛とした眉を眉間に寄せると、渋々と言った物腰で、ウルリカの前に腰を下ろしたのである。 そんなリョータロウの後ろに立って、ナナミは、相変わらずしょげた様子で唇を尖らせると、シルバーグレイの軍服を纏う広い背中を、うるうるした瞳で見つめすえたのだった。 ウルリカは、手早くリンパの腫れと喉の腫れをチェックして、「ちょっと上着を脱いでくれる?」と声をかける。 渋い顔つきをしながら、リョータロウは軍服の釦を外してファスナー下げると、無造作にそれを脱ぐ。 ハッとしたナナミが、慌てて両手を伸ばして、指揮官職を示すシルバーグレイの軍服を、リョータロウの手から受け取った。 リョータロウは、一瞬きょとんとすると、精悍な唇の端をもたげて「有難う」と口にする。 その微笑が、どこかあどけない少年のように見えて、ナナミは、歓喜に頬を紅く染めると、照れたようにえへへと笑いながら「いいえ」と答えたのだった。 身体にフィットした耐Gシャツの広い背中にある、芸術的とも言うべき、引き締まった筋肉の流れ。 リョータロウは長身だが、その体つきはすらりとしていて、決して屈強という訳ではない。 その代わり、強靭なワイヤーを幾本も束ねたような、しなやかで柔軟な肉体を有していた。 それをこんな近くで見てしまうとは・・・・ナナミは、無意味に一人で照れまくり、顔を真っ赤にして、両手で抱えたリョータロウの軍服に思わず突っ伏してしまう。 そんなナナミの様子を、何か珍しい動物でも見るような目つきで、ウルリカが仰ぎ見た。 その視線に気付いたナナミが、ハッと肩を震わせて、誤魔化すように笑ってみせる。 ウルリカは、可笑しそうにくすくすと笑うと、何食わぬ顔をしながら、訝しそうに眉根を寄せるリョータロウに向き直ったのだった。 「あなたの付き添いがトキサカ少尉なんて、ほんと、珍しいこともあるものね? さて、リンパも喉も腫れてないし、心拍も脈拍も正常。ウィルス性の熱ではないと思うけど・・・・マキ中佐、ちゃんと寝てる?」 リョータロウは、癖のかかった長い前髪の下で、凛と強い面持ちを持つ黒曜石の瞳で、不審そうにウルリカを顧みると、耐Gシャツの肩を竦めながら、ため息混じりにこう返答する。 「前よりは寝てるよ・・・・イルヴァが、仕事手伝ってくれてるからな」 「聞いたわよ?ソロモン艦長、遂に強硬手段に出たみたいね?流石、あなたのことをよくわかってるわ」 ウルリカは可笑しそうに笑ってそう答えると、何故か、その視線を意味深に細めて、唐突にこう切り出したのだった。 「マキ中佐、最近誰かとセックスした?」 リョータロウが反応するより早く、その言葉に反応したナナミが、「にゅぁっ!」と意味不明な奇声を上げて床の上に突っ伏してしまう。 ここで照れる必要もないのに、何故か馬鹿のように照れまくったナナミが、殊更顔を真っ赤に上気させて、涙目になりながらリョータロウの端整な横顔を仰ぎ見る。 リョータロウは、不機嫌そうな半眼でウルリカの綺麗な顔をじろりと睨むと、怒ったようにこう返答したのだった。 「してねーよ!そんな暇あるかよ!熱とそれと何か関係あんのかよ!?」 「あら、あるわよ。最近流行ってるのよ?バセット菌性感染症・・・・最初は微熱から始まって、全身に発疹ができる。そのうち節々が腫れてきて、その激痛にのたうち回った挙句心筋梗塞を引き起こす。怖い病気なのよ?身に覚えがあるなら、さっさと白状しちゃいなさい」 「だから!!そんな覚えはないって言ってるだろ!?」 凛とした眉を吊り上げて、いささかムキになってがなったリョータロウが、ますます鋭利な視線でウルリカの顔を睨み付ける。 ウルリカは、そんな視線に怯えるでもなく、実に人が良さそうに笑ってこう返答するのだった。 「まぁ、身体に発疹は出てないから、きっと違うだろうとは思ったけどね」 その言葉に、一瞬絶句したリョータロウが、げんなりとして表情をしながら片手を髪に突っ込むと、凛とした眉をぴくぴくと震わせながら、思い切りがなったのである。 「っ!?・・・・だったら!最初からそんなこと聞くんじゃねーよっ!?セクハラだろこれ!?」 「あーら?人聞きの悪いこと言わないでよ、私は、医者として必要だと思ったから聞いただけよ?短気は直したんじゃなかったの?」 「ふざけんなこの性悪医者!煽ってのはあんただろーが!?」 「そうだったかしらぁ?」 例によって例の如く、あっけらかんととぼけるウルリカを、リョータロウは、眉間に深いしわを寄せながら、ひらすら睨み付けるばかりだった。 そんなリョータロウの怒りを余所に、床に倒れ伏したままのナナミは、その手にしっかりとリョータロウの軍服を握りしめ、真っ赤な顔でぷるぷると拳を震わせていたのである。 よ、よかった・・・・ そ、そんなこと、してないんだ・・・・ マキ中佐、誰ともそんなことしてないんだ・・・・・ 涙目のまま顔を上げたナナミの視界に、ふと、耐Gシャツを纏ったリョータロウの広い胸元が映り込んでくる。 その瞬間、乙女なナナミの脳裏に浮かび上がったリョータロウは、その大きな腕の中にナナミを引き寄せて、広い胸にしっかりと抱き締めると、こう囁くのである。 『ナナミ・・・好きだよ』と。 精悍な唇が近づいてきて・・・・ そして、そして・・・・ 「・・・いやぁぁぁ―――――っ!ナナミ!結婚するまでそんなことしないって、ママに約束したんですぅぅぅっ!!いくらマキ中佐でも!それ以上はだめなんですぅぅぅ!!!」 「!!??」 まったくもって意味不明なナナミの絶叫が診察室にこだまし響き、ぎょっと目を剥いたリョータロウが、床の上で突っ伏したナナミの背中をまじまじと顧みる。 その向かいに座っていたウルリカが、きょとんと不思議そうに長い睫毛をしばたかせながら、ぷるぷると震えるナナミをひたすら見つめ据えたのだった。 「あらやだ・・・・マキ中佐、トキサカ少尉に何かしようとしたの?」 「するかそんなこと!!人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ!!」 ムキになってがなったリョータロウが、再びじろりとウルリカを睨み付ける。 その声を頭の上に聞きながら、余りにも刺激的な想像をしてしまったせいなのか、ナナミの思考が、まるで湯当りでも起したかのようにぼうっと霞んできてしまったのである。 そんな、そんな・・・・ ナナミどうしようぉぉぉ!!? 今、ナナミ、ナナミ・・・・ とってもはしたないこと考えちゃったよぉぉぉ――――っ! ママに怒られるぅぅぅ!! パパにも怒られるぅぅぅぅ!! そんなことを思った時、急に足元がふわふわとしてきて、まるで、床が回転しているかのようにぐるぐると目が回り始めたのだった。 あれれ・・・・? 何? 何で? 顔が熱いよぉ? 体が熱いよぉ? いやん! ナナミ・・・ナナミ・・・妄想が暴走しちゃったから!!? 突然、ころんとその場に横になったナナミが、ぼうっと霞んだ視界で頭上を見上げる。 それの様子を目にした瞬間、ウルリカは、ハッと白衣の肩を揺らして慌てて椅子を立つと、その掌をナナミの額にあてがいながら、真っ赤になったその顔をまじまじと覗きこんだのだった。 「トキサカ少尉、大丈夫?眼震が出てるわよ、それに、これ熱があるわ・・・・相当高そう」 「ふにょ・・・・」と、意味不明な言葉で妙な返事を返して、ナナミは、ぼうっと霞んだ視線を、リョータロウに向ける。 リョータロウは、驚いたように椅子から立ち上がると、床の上に片膝を付いて、「おい?どうした?」と声をかけながら、ウルリカ共々、真っ赤に上気するナナミの顔を覗き込んだのだった。 ウルリカは、ナナミの顔色を看ながら、その耳元に視線をずらして、「あらこれ」と小さく声を上げる。 倒れているナナミの耳朶が、さくらんぼのように腫れている。 突然の眩暈と高熱、そして、耳朶の腫れ・・・・医師であるウルリカの診断はこうだった。 「アデラナ・インフルエンザだわ・・・・・・まずいわね、全乗員に至急ワクチン投与しなくちゃ、このままじゃ、船内感染を起すわ」 「ほんとにまずいな、アデラナ・ウィルスか・・・・・直ぐにソロモンにコールをかける」 そう言ったリョータロウの声が、ナナミの耳の置くで幾重にも共鳴していく。 やだ、ナナミ・・・インフルエンザ!? そ、そんなぁ・・・・・・! ナナミ、まだ、マキ中佐に秘書にしくださいって頼んでないよぉ・・・! 頼んでないぉ・・・・!! 頼んでないよぉ・・・・!!! うわ――――――ん・・・・!! そんなことを思ったナナミの意識は、そこで、鮮明さを失った。 だが、その時、なんだかとても暖かで、そしてひどく頼りがいのある大きな腕に抱き上げられたような気がして、そのあまりの心地よさに酔いしれたまま、ナナミは、完全に意識を手放したのだった。
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