立て篭もり犯のである少年は、救助したシャトルに乗っていた子供達とは、まったく雰囲気の違う少年であった。 他の者たちが素直に聞き取り調査に答える中、あの少年だけは、どんな質問にも一切答えず、鮮烈な憎しみを宿す黒曜石の瞳で、じっとカウンセラーを睨み付けていた。 救助した船の艦長として、それに立ち会っていたソロモンは、子供とは思えないあの鋭い眼差しに、忘れえぬ鮮烈な印象を受けたのである。 凛とした強い瞳だった、しかし、とても哀しく、傷ついた瞳でもあった。 ボートピープルの中で、唯一、身元も本名もわからない少年。 救命シャトルに乗船していた他の者達の話では、その少年は、ジルーレ軍の少年兵らしいということだった。 どうやら、シャトルの中でも、自分の名前を名乗っていなかったらしく、皆、彼を「軍人さん」と呼んでおり、どういう経緯でシャトルに乗り込んできたのかも、誰一人として知る者はなかった。 傷ついた瞳の少年兵。 この時、さすがのソロモンも、その少年が、やがて、自らの右腕とも言うべき優秀な指揮官に成長するなどとは、考えもしなかったのである。 ソロモンは、長い前髪を片手でかきあげながら、シルバーグレイの軍服を纏った広い肩でもう一度ため息をつくと、涙に濡れたハルカの黒い瞳を見つめすえ、静かな口調で聞くのであった。 「ハルカ、あの少年は、おまえにシャトルを取ってくれたんだな?」 「うん、とってくれたの。あそんでくれたの。りぉたおう、はるかとあそんでくれたの」 ハルカは、こくこくと何度も頷いて、つたない言葉でそう言った。 「そうか・・・おまえの相手をしてくれてたんだな?」とソロモンは聞く。 「うん!りぉたおう、あそんでくれたよ。これ、とってくれたの」 先程からハルカは、どうも誰かの名前らしい単語を口にしている。 もしかしたら・・・と、ソロモンは、再び幼いハルカに聞くのである。 「なぁ、ハルカ?おまえ、あの少年の名前を知ってるのか?」 「うん」 「なんて言う名前か、俺に教えてくれないか?」 「りぉたおう」 ハルカは即答するが、なんとも理解し難い単語である。 まだ三歳のハルカには、ジルーレ人の名前をはっきり発音できるだけの言語能力がないのだ。 困ったように眉根を寄せて、ソロモンは、もう一度ハルカに聞き返す。 「ハルカ、もう一度言ってみてくれないか?」 「りょぉたおう」 「ハルカ、もう一度」 「りょぉたろう」 今度は、先程よりも幾分聞き取り易くなり、ソロモンは思わず安堵する。 ハルカは、今、確かに、『リョータロウ』と言った。 あの少年は、『リョータロウ』という名なのかもしれない。 恐らくは、ファーストネームだろう。 片手を銀色の前髪に入れたまま、ソロモンは、僅かな間で何かを思案すると、ふと、床の上に伏せるアンガス軍曹に向き直り、いつもながらの冷静な声で言うのだった。 「軍曹、ハルカを頼む。俺が説得してみよう。全員、そこから退いてくれ」 その言葉に、アンガスは、戦闘員らしい鋭い両眼を驚いたように見開いて、咄嗟にソロモンの長身を仰ぎ見る。 「か、艦長!本気ですか?あのガキ、猛犬と同じですよっ?それに、今日は銃を持ってます!このまま閃光弾でも投げ込んだ方が、安全なんじゃないですか?!」 「いや、相手はまだ子供だ。そんな手荒な真似はしたくない」 落着き払った声色でそう答えたソロモンが、その端整な唇でやけに柔和に微笑する。 その微笑に、アンガスは、困ったように眉根を寄せると、「わかりました」と返答し、部下達をその場から退去させたのだった。 ほふく前進で壁際に寄ったアンガスが、なんとも渋い顔つきをしながら立ち上がると、ソロモンは、その肩を軽く叩いてから、腕に抱いていたハルカを、アンガスの無骨な腕に委ねる。 ハルカは、旅客シャトルの玩具を手に持ったまま、未だに嗚咽しつつ、きょとんとソロモンの優美な顔を見つめ据えた。 そんなハルカに向かって、穏やかに微笑して見せると、ソロモンは、静かな口調で言うのである。 「なぁ、ハルカ。おまえのシャトル、少し俺に貸してくれないか?」 「いいよ」とハルカは即答。 左の一指し指を口にくわえながら、小さな右手に持ったシャトルを、素直にソロモンの前に差し出した。 ソロモンは、それを受け取りながら、くしゃくしゃとハルカの髪を撫でると、心配そうに見守る部下達の視線を背に、ゆっくりと、多目的ホールの入り口へと足を進めたのだった。 ソロモンが、壁際から中を覗こうとすると、案の定、中にいる少年は、驚くほどの機敏さで銃のトリガーを引く。 乾いた発砲音が響き渡り、咄嗟にソロモンが壁際に身を隠すと、そのすぐ脇を、豪速の弾丸が通り過ぎていった。 キュインという歪んだ音ともに、通路の壁に白煙を上げた弾丸がめり込む。 子供ながらも、相手は、大分銃の扱いに慣れている。 素早く標的を捉えて、かなりの正確さで撃ってくるのだ。 さすが、ジルーレの少年兵だけはある。 それに、複数の大人を相手に、よくも此処までやってのけたと、ソロモンは、その無謀とも言うべき勇気に、妙に感心してしまうのだった。 「危害を加えるつもりはない。少し、話をしないか?」 ソロモンは、壁際に背中を押し付けたまま、多目的ホールに立て篭もる少年に向かって、穏やかで冷静な声でそう言った。 返答はない。 軍服の下のホルスターから、自らの銃を抜き取って、ソロモンはそれを部屋の中へと放り投げる。 細い金属音を上げて床を滑る銃が、回転しながら倒れた椅子にぶつかった。 「俺の銃だ。武器は他に何も持ってない」 そんな言葉を口にしながら、ソロモンは、ハルカのシャトルを入り口でかざすと、相手に見えるように軽く掲げて、落着き払った口調で言葉を続けたのである。 「これを、ハルカに取ってくれたんだってな?有難う。これは、ハルカの宝物なんだ」 やはり返答はない。 だが、ソロモンの耳には、銃のセフティロックを掛ける小さな金属音が、確かに聞こえていたのだった。 通路で待機する戦闘員達が、固唾を飲んでその様子を見守る。 ソロモンは、一歩だけ足を踏み出して、多目的ルームの入り口へと立った。 相手は発砲してこない。 広い肩で小さく息を吐き、しみじみ多目的ホールの内部を見回すと、机と椅子が乱雑に転がる最中、室内を仕切るパネルカーテンの隙間に、ちらりと人影が見えた。 銀色の前髪から覗く美しい紅の瞳で、ソロモンは、真っ直ぐにその人影を見つめすえる。 カーテンの隙間で、銃口がこちらに向けられるのが判った。 しかし、ソロモンは怯まない。 端整なその唇を小さくもたげると、冷静な声色で更に言葉を続ける。 「リョータロウ・・・・おまえ、リョータロウっていうんだろう?ハルカには、名前を教えてくれたんだな?」 「・・・・・・・」 少年は答えない。 パネルの後ろで銃を構えたまま、無言でそこに立ち尽くしている。 ソロモンは、バリケードの横から、多目的ホールの中に足を踏み入れると、ゆっくりとパネルカーテンに近づきながら、諦めずに少年に語りかけるのだった。 「ハルカのことを可愛がってくれてるんだな?今日も、一緒に遊んでくれてたのか? この部屋は、ハルカのお気に入りでな。このシャトルを飛ばすには絶好の場所なんだ」 片手に持ったシャトルを軽く振って見せながら、ソロモンは、更に足を進めていく。 「また遊んでやってくれないか?ハルカには、兄弟がいないんだ。ずっとこの船で育ってるから、周りは皆大人ばかりだ。だから、少し心配してたんだ・・・・・有難う、リョータロウ、ハルカと遊んでくれて。ハルカも、おまえのことが好きみたいだ。おまえのこと、必死で庇ってたよ」 その瞬間、パネルの隙間から見えていた銃口が静かに下ろされた。 だが、それでも少年は無言のままだ。 しかし、やっと銃を下げたぐらいだ、何か、思うところがあったのかもしれない。 ソロモンは、カーテン越しに少年の前へと立つと、そのまま、パネルの隙間を覗きこんで、柔和に微笑してみせたのだった。 少年は、うつむいたまま、顔を上げようとしない、だが、銃を構えようともしなかった。 肩まで伸びた黒茶色の癖毛、年齢は、11〜2歳といったところだ。 年齢の割には長身で、すらりと伸びた手足は、ジルーレで受けていた戦闘訓練のせいか、幾本も束ねたワイヤーのように引き締まっている。 大の大人を殴り倒すぐらいだ、子供ながらに相当腕っ節は強い。 そんな少年に向かって、ソロモンは、落着き払った声で言う。 「リョータロウ・・・おまえの名前は、リョータロウでいいんだな?」 少年は、長い前髪の隙間から、ちらりとだけソロモンを仰ぐ、しかし、何も答えない。 「・・・・・・」 それでも、ソロモンは聞くのである。 「よかったら、フルネームを教えてくれないか?」 しばしの間を置いて、少年は、その視線を自らの足元に戻すと、呟くように答えるのだった。 「・・・・・・真木 稜太郎・・・・・」 猛犬と渾名されたジルーレの少年兵は、その時初めて、素直に自分の名前を名乗ったのである。 ソロモンは、どこか安堵したように唇をほころばせると、うつむいたままのリョータロウ・マキを、穏やかな眼差しで見つめすえたのだった。
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