* あれから、数十年の月日が流れた。 あの時のことは、今でも、鮮明にその脳裏に思い出せる。 そして、今日、窓辺に見えるメルバの空も、雲ひとつない快晴だった。 まるで、あの日のようだと・・・・・レムリアス・ソロモンは、窓辺に置かれたソファに腰を下ろしたまま、長い銀色の前髪から覗く美しい紅の瞳を、どこか切なそうに細めるのだった。 窓越しに差し込む柔らかな午後の日差しが、白いニットセーターの胸元で揺れる長い銀色の髪をプラチナのように輝かせていた。 組んだ膝の上にノートPCを抱えたまま、ソロモンは、その視線を傍らのベッドへと移す。 すると、先程まで安らかな寝息を立てていた女性が、その瞳を開けて、何故か、愉快そうに微笑んでいたのだった。 緩いカーブのかかる茶色の髪が、痩せた頬に音もなく零れ落ちる。 ソロモンが、エルメ・ベースのファイター部隊を指揮していた頃から、25年もの間、ずっと、その傍らで彼を見守り続けてきた女性科学者、ヒルダ・ノルドハイムは、片手で前髪を梳き上げながら、からかうように言うのだった。 「・・・・その顔は“ハデスの番人”の顔じゃないわよ?冷静沈着な母艦艦長とも違う・・・なんだか、貴方には似合わないわ」 その言葉に、ソロモンは、困ったように眉根を寄せると、端整な唇の端をもたげながら言うのである。 「ひどい言い方だな?」 「そうかしら?」と、とぼけたようにそう答え、ヒルダは、くすくすと可笑しそうに笑うと、右手をもたげてサイドテーブルを指差しながら、青い瞳を細めて言葉を続けた。 「私のPC、開いてみて。昨夜、古いデータの中から、懐かしい画像を見つけたのよ」 「懐かしい・・・画像?」 きょとんとしてそう聞き返すソロモンに、ヒルダは、ますます可笑しそうに笑うのだった。 片手を伸ばして、サイドテーブルの上のノートPCを引き寄せると、ソロモンは、ヒルダの言う通り、それを開いてみる。 ヒルダは、殊更可笑しそうにくすくすと笑った。 ソロモンの視界の中で、そのディスプレイに映し出されたもの・・・・それは、スナップ写真のような一枚の静止画像だった。 メルバの戦艦ドックに曳航された高速戦艦ケルヴィムを背景にして、仏頂面でそっぽを向く黒茶色の髪の少年と、見るからに大きすぎる軍服を小さな体に羽織り嬉しそうに笑う黒髪の幼い少年の姿。 そして、そんな二人の肩を抱いて愉快そうに微笑っているソロモン自身の姿。 それを目にした瞬間、思わず吹き出したソロモンが、片手を広い額にあてがって、肩を揺らしながら珍しく声を上げて笑った。 「よくこんな画像を残しておいたな?ヒルダ?ハルカに見せたら喜ぶだろうが・・・リョータロウに見せたら、きっと臍(へそ)を曲げる・・・・・!」 その言葉に、ヒルダは一笑する。 ベッドの上で半身を起こすと、口元に片手をあてがって、細く華奢な肩を揺らしながらヒルダは言うのだった。 「懐かしいでしょ?それ、貴方にあげるわ。それだけ見ると、本当、親子みたい・・・貴方の船で育ってきたのは、あの子たちだけだものね」 「そうだな」と答え、可笑しそうに唇をもたげると、ソロモンは、額にかかる長い前髪を片手で梳き上げる。 そんなソロモンの仕草を見やりながら、ヒルダは、どこか底意地の悪い口調で言葉を続けた。 「マキ少佐のことも、ハルカのことも、あなた、ちゃんと手放せるかしらね?溺愛してるものね、あの子たちのこと」 「どうだろうな・・・・?そう聞かれると、少し自信がないかもな」 冗談とも本気とも付かない口調で答えたソロモンが、僅かばかり困った表情をしながらヒルダの顔を見つめすえ、言葉を続けた。 「子供は、いつまでも親の手元にはいない・・・・いずれは、離れていくだろことも、ちゃんと判ってはいるんだ」 「あら・・・それ、本当に『パパ』の言い方よ?」 「ずっとそのつもりだったんだがな」 「そんなこと、知ってるわよ」 窓辺に差し込む明るい午後の日差しの中、互いの顔を見合わせて、二人は、何故か、内緒話をする子供のように肩を揺らして笑った。 それは、永遠に続くかと思うような、やけに穏やかで暖かな時間であった。 ソロモンが初めてヒルダに出会ったのは、ミウを失ってから17年が過ぎた時のことだった。 その時ヒルダは、まだ18歳の可憐な少女であった。 あれから25年。 少し離れた所からずっとソロモンを見つめてくれていたヒルダもまた、ミウと同じ病に侵されている。 もう、そう長くは生きられないだろう。 だから、せめて。 それまでの間、戦艦に乗船していては決して得ることのできない静かな時間を過ごすために、ソロモンは、ヒルダを連れてメルバに帰ってきたのだ。 この穏やかで優しい時間が、長く続くことはあり得ない。 また失うことになる・・・ 愛しい人を・・・ ヒルダの微笑みは、あの頃のまま、18歳の可憐な少女のままだった。 常にソロモンの傍らにあって、良き友であり、良き理解者であり、愛すべき特別な存在であったヒルダもまた、この手の中から消えていくことになる。 長い銀色の髪の下で、柔和に細められていた紅の瞳に、不意に、悲哀と憂いの影が落ちる。 それに気付いたヒルダが、何故か、血色の悪い唇を愉快そうにもたげてこう言った。 「そんな顔しないでって・・・・私、前も言わなかったかしら?25年・・・私、ずっと幸せだったわよ。貴方はあの頃と大して変わってないけど、私、こんなにおばさんになっちゃった」 「君は、何も変わってないよ・・・あの頃のままだよ」 優美な顔を切な気に曇らせたソロモンに向かって、痩せた両腕を伸ばしながら、ヒルダは、くすくすと笑って言うのだった。 「またそれ?好い加減にお世辞はやめたら?」 「お世辞じゃないよ。本当に、君は、あの頃のままだ」 ソロモンの広い背中を細い腕で抱き締めて、その銀色の長い髪に痩せた頬を寄せ、ヒルダは穏やかに言葉を続ける。 「嘘でも嬉しいけどね」 「嘘じゃないよ」 「絶対嘘よ」 窓辺に散った日差しが、病室の床にたゆたう雲の影を映し出している。 それは、とても静かで穏やかな午後のことだった。
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