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作品名:NEW WROLD〜Side Story〜 作者:月野 智

第12回   ローレイシアの月<2>
あの日、確かに、少年は、自らの心にそう誓ったのだ。
必ず守り抜いてみせると。
この少女のためなら、例え、自らの命を失ってもいいと。
この少女を、守れるのなら、それでもいいと。
しかし。
戸惑いと当惑と、そして、限りない愛しさの中で交わした、初めての接吻(くちづけ)からわずか二年後。
悲劇は、突然訪れた。
それは、少年が18歳、ミウが17歳の時の事である。
スクランブル発進したエレアザルが、そのまま一ヶ月間の巡航経てメルバに帰港した日のこと。
エレアザルがメルバに帰艦したのは宇宙標準時間で午前8時、メルバ標準時間は深夜11時。
エレアザルが帰艦する際には、いつも出迎えにくる筈のミウの姿は、その日、何故か、ギレアデ・セクションの戦艦発着デッキにはなかった。
緊急の仕事でも入ったのかと、少年は、そのまま、カナンの寮に戻ることにしたのだが、何故か、いたたまれない胸騒ぎがその心の中に渦を巻いたのである。
自分の部屋に戻る前にミウの部屋に立ち寄り、そのドアを開いた時・・・・少年の目に飛び込んできたのは、星月夜の窓辺に蒼白になって倒れ伏す、ミウの姿であったのだ。
メディカルセクションに担ぎ込まれたミウの身体に巣食っていたもの・・・それは、ベルケネスウィルス性悪性腫瘍。
癌だった。
ありとあらゆるウィルスや細菌に強いはずのNW−遺伝子児が、ウィルス性の癌に侵されていた・・・・
全く想定外だったその出来事に、ガーディアンエンジェルの元老院も、そして、NW−遺伝子の研究に携わった科学者達もにわかにどよめきたった。
ベルケネスウィルス性のがん細胞には、特効抗がん剤は何の役にも立たない。
例え、NW−遺伝子を持つミウであっても、それは、通常遺伝子の人間と同じであった。
ミウの体は、癌細胞に侵され急速に衰弱していく。
その進行速度は異常なほどに早く、日毎に・・・いや、それこそ時間毎に、彼女の体内を蝕んでいった。
いくら若いとはいえ、驚異的な速度で増殖するがん細胞に、医師達も科学者たちも首を傾げるほどであった。
これは、後の研究でわかったことだが、ミウの体内でがん細胞が異様な速さで増力していったのは、他でもない、彼女が、NW−遺伝子という特殊な遺伝子を持っていたがためだった。
NW−遺伝子は、通常遺伝子よりも細胞分裂が活発で、体内の古い細胞が、新しい細胞に入れ替わるまでの時間が非常に短い。
NW−遺伝子を持つ人間は病気にかからないばかりか、万が一に怪我をしても、その傷が、通常遺伝子の人間より速い速度で完治してしまう。
それは、その活発な細胞分裂のためだった。
だが、その活発な細胞分裂が癌の進行を助長し、本来なら、その命を長く保つためのDNAは、正に、文字通りの刃となってミウの命を削っていったのだ。
愛しい少女との永遠の別れは、突然、彼の元に訪れた。
あの時。
戦艦「エレアザル」には、スクランブルがかかっていた。
だが、少年は、スクランブル警報に走りだすでもなく、病室に横たわるミウの傍を離れようとはしなかった。
まだ、立ち上がる元気があったミウは、どこか怒ったような顔つきをしながら、ゆっくりと上半身を起すと、神妙な面持ちを保つ少年に向かって、強い口調でこう言ったのだ。
「レムリアス!早く行かなくちゃダメだよ!私、嫌だよ!私のために、仕事を放ったらかすなんて・・・・許さないんだから!そんなの、レムリアスらしくないよ!早く行って!」
「でも、ミウ・・・・」と、少年は、形の良い眉を潜めて、以前よりも痩せてしまったミウの綺麗な顔をじっと見つめ据えるばかりだった。
ミウは、血色の悪い唇をツンと尖らせると、何を思ったか、いきなりベッドを降り、椅子に座ったままでいる少年の腕を掴んで、無理矢理その長身を立ち上がらせたのである。
オレンジ色の前髪の下から覗く、澄んだ蒼い瞳が、少年の紅い瞳を真っ向から捉え、秀麗で清楚なその顔は、ひどく憤慨した表情に彩られていた
その眼差しは健気で、そして、とても強い眼差しだった。
少年は、言葉を口に出すことも出来ずに、ただ、そんなミウの視線を受け止めるばかりである。
ミウは、そんな彼に向かってこう言った。
「いなくなったりしないよ・・・・私、いなくなったりしないから・・・・早く行って」
「ミウ・・・」
切なそうに両眼を細める少年の頬を、痩せた掌で包み込むと、ミウは、とろけるような甘い微笑みを、その唇に刻んだのである。
「大丈夫だよ。約束したじゃない・・・『ずっと一緒だよ』って?いなくなったりしないから・・・・行って。待ってるから・・・・・・レムリアスが帰ってくるの待ってるから、早く行って」
いつものように精一杯背伸びをしたミウの唇が、少年の唇に触れた。
少年は、切なさと不安を隠し切れない表情をしながらも、その接吻に後押しされるように、ゆっくりと、ミウに背中を向けたのだった。
病室のオート・ドアが開いた時、少年は、後ろ髪を引かれるように、ふと、肩越しにミウを振り返る。
するとミウは、少年に背中を向けて、窓辺に広がる午後の晴れた空を、ただ、じっと見つめていたのである。
オレンジ色の長い髪が揺れる、パジャマの背中。
その背中は、とても華奢で、目を離したら消えてしまいそうな程頼りない背中だった。
心を切り裂かれるような切なさと、体まで押し潰されそうな重い不安が、ぎりぎりと少年を締め付ける。
だが、少年は、端整な唇を噛締めて、その不安を押し殺すように、早足で病室を後にしたのだった。
ミウは、行けと言った。
いなくなったりしないと言った。
今、ミウの傍を離れたくない。
だが、行かなければ、ミウは、きっと、怒涛のように怒ることだろう。
職務は、果たさなければならない。
それが、ミウが望んでいることなのだから・・・
胸を苛む不安と切なさをかみ殺して、その日、少年はエレアザルに乗船した。
エレアザルがメルバに帰港したのは、それから、丸一日経った時の事だった。
下船するや否や、ミウの病室に駆け込んだ少年は、酸素マスクと複数の点滴を装着させられたミウの姿を見て呆然となった。
たった一日で・・・・ミウの病状は、劇的に悪化していたのだ。
その時、既にミウには、意識はなかった。
薄く開いた蒼い瞳からは、その美しい命の光が消えかけていた。
少年は、今にも泣き出しそうな顔になって、ベッドに横たわるミウの痩せた体にすがりつくと、「ミウ!」と呼びかける。
だが、ミウは、何も答えなかった。
ミウのベッドを囲む医師と看護士たちが、その体を抱き締める少年の背中を、悲哀の眼差しで見つめている。
それでも、少年は、必死で彼女の名を呼んだ。
元から小柄で華奢であったミウの体は、痩せ細って殊更小さくなっていた。
木の枝であるかのように細く軽くなったミウの身体を、大きな両腕に抱き締めたまま、少年は、繰り返しその名前を呼んだのである。
「いなくなったりしないって・・・・・・・君はそう言った・・・・そう言ったじゃないか!?
ミウ!ちゃんと目を開けて!ミウ!ミウ!ミウ―――――・・・・・」
揺れる銀色の前髪の下で悲壮に見開かれた紅の瞳から、大粒の涙が溢れ始める。
恥ずかしいとか情けないとか、もはや、そんな感情などなかった。
ただ、この愛しい少女を失いたくないと・・・
この少女がいなくなるとは考えたくはないと・・・
死なないで欲しいと・・・
生きて欲しいと・・・
それだけが、少年の心を駆け巡っていた。
「ずっと一緒にいるって・・・っ、そう約束した!ずっと一緒にいるから!いなくなったりしないから!ちゃんと目を・・・開けて!ミウ!いなくならないって・・・・君もそう言った!
ミウ!ミウ!ミウ・・・・・っ!」
今、自分が、泣いているのか叫んでいるのか、それすらも少年には判らなくなっていた。
後から後から零れ落ちる涙が、哀しみの分だけブロンズ色の優美な頬に熱い帯を刻んでいく。
銀色の髪がそこに貼りつくことさえ気にせずに、少年は、掠れた声で少女の名を呼んだ。
「ミウ!いなくならないで・・・・・・っ!死なないで・・・ミウ!ずっと一緒にいるって・・・君はそう言った・・・っ!ミウ!ミウ―――――・・・・っ!」
慟哭する少年の声が広い病室に響き渡った時、涙でかすんだ少年の視界の中で、ふと、光を失いかけていたミウの蒼い瞳が動いた。
少年は、ハッと軍服の肩を揺らすと「ミウ!」と再び呼びかける。
酸素マスクが装着された口元が、何故か、小さく微笑すると、青白くなった唇が微かに動き、消え入りそうな声で、確かにこう言ったのだ。
「・・・・・泣か・・・・ないで・・・・・・・・ずっと・・・・・・一緒・・・・・だよ・・・」
それが、少年が聞いた、ミウの最期の声だった。
痩せた瞼を縁取る長い睫毛が、ゆっくりと閉じられていく。
苦しそうだった呼吸が、徐々に浅くなっていく。
少年は、涙に濡れた両眼を見開くと、声すら失ってただ、命の炎を消していく愛しい少女の白い顔を見つめることしか出来なかった。
頼りなく不規則に鳴っていた鼓動が、少年の腕の中で、今、止まった。
少年の端整な唇はがたがたと震え出し、大粒の涙は、止まることを知らずに後から後から流れ落ちてくる。
「ミウ・・・・駄目だ・・・・・・・っ」
その呼びかけに答える声はなく、まだ、微かなぬくもり宿す体にも、もはや、その鼓動が戻ることはない。
息を詰めて、少年は、慟哭に震える声でもう一度彼女の名を呼んだ、「ミウ・・・・・・・」と。
見かねた医師が、そんな少年の肩に手を置いて、静かに首を横に振る。
「嫌だ・・・・・ミウ・・・・ミウ―――――――・・・・・・っ!」
唯一無二の存在であった愛しい少女(ひと)を失った少年は、絶望と哀しみの縁で、ひたすら慟哭し、絶叫とも言うべき声でその名前を呼び続けたのだった。
それは、とても暖かな午後の日のこと・・・・メルバの空には、雲のない水色の空が広がっていた。



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