「もう、戻って。あなたには、他にやることがあるはずよ。ガーディアンエンジェルの母艦艦長は、こんな所で油を売ってる暇なんてないわ。あなたにとって、私は特別じゃない。だから、そんな顔をしなくていいし、ましてや、同情なんて真っ平ごめんだわ」 「・・・・そうじゃない・・・・そうじゃない、ヒルダ・・・・」 「・・・・・・・・」 「俺がいつ、君は特別じゃないなんて言った?」 今まで、ヒルダですら見たことのないような、切な気で哀し気な表情をしながら、ソロモンは、銀色の前髪から覗く紅の瞳で、真っ直ぐにヒルダの顔を見つめすえる。 ヒルダは、ひどく怪訝そうな顔つきで、そんなソロモンをまじまじと顧みたのだった。 「・・・・・私をからかうのなら、もっとマシなことを言えば?冷静沈着な母艦艦長の言葉とは思えない言葉よ、それ?」 「君は、ずっと特別だったよ・・・ヒルダ。ずっと特別だった・・・」 そう言ったソロモンの両腕が、痩せてしまったヒルダの体をそっと抱き締める。 ヒルダは、驚いたようにその青い瞳を見開いた。 「あなた、何を言ってるの・・・・?あなたに同情されるぐらいなら、このまま死んだ方がましだわ」 「同情じゃない・・・っ」 「・・・・今更そんなこと言われたって、信じられる訳がないでしょ?」 「信じられないなら、信じなくてもいい・・・・っ」 シルバーグレイの軍服の肩が微かに震える。 「・・・・君は、特別だったんだ・・・・・っ」 今にも折れそうなほどに細くなったヒルダの体を、ぎゅっと強く抱き締めながら、その柔らかな茶色の髪に秀麗な頬を埋めるようにして、ソロモンは再び押し黙った。 「・・・・・・・」 抱き締められたままのヒルダには、今、ソロモンがどんな表情をしているのか見ることはできない。 しかし、その腕が震えていることだけはよく判る。 ヒルダは、ひどく切なそうに笑いながら、ソロモンの広い背中に両腕を回したのである。 「嫌だわソロモン・・・泣いてるの?いい歳の男が、情けないわね・・・・あなたの泣き顔は、死ぬ時に見るはずだったのに、とんだ計算違いだわ」 「・・・・・・・・」 ソロモンは何も答えない。 だた、強くその体を抱き締めるだけだった。 切ない表情のまま、それでも、どこか可笑しそうに笑って、ヒルダは言葉を続ける。 「・・・・こんな時にそんなことを言われても、私、もうすっかりおばさんになっちゃたじゃない。本気でそう思ってたなら、もっと前にそう言ってくれればよかったのに。 残念ね・・・・若くない上に病気の体なんて、抱くに抱けないでしょ?馬鹿ね・・・」 「・・・・・君は、何も変わってないよ・・・・前にもそう言った。ずっとあの頃のまま、綺麗なままだよ・・・・ヒルダ」 「嘘をつくなら、もう少しマシな嘘をつきなさいよ。信じないって言ってるでしょ」 「信じなくもいい・・・信じなくていいから・・・・っ、メルバで、最低限の治療だけは受けてくれ・・・っ、何もしてやれないまま、君を失うのは嫌なんだ・・・っ」 それは、まるで少年のような言葉であった。 いつもは冷静沈着な母艦艦長であるソロモンの言葉とは、とても思えない。 ヒルダはそれを、ひどく可笑しく思う。 「死ぬ時は、あなたの船で死ぬ・・・・私、そう決めてずっとあなたの船に乗ってたの。あなたのいない場所で死ぬなんて、冗談じゃないわ」 底意地悪くそう言いながら、ヒルダは、ソロモンの長い銀色の髪に、血色の悪いその頬をすり寄せたのである。 今まで、ソロモンが、こんな風に抱き締めてくれたことなど一度としてなかった。 それが当然だと思っていた。 だが、それでも構わないと思っていた。 傍にいられればそれでいいと・・・・ 25年にも及ぶ絶妙な距離は、切なくもあって心地よくもある距離であったからだ。 ヒルダの知る限り、ソロモンには、恋人と呼べるような特別な女性がいたことはなかった。 何故なら。 それは、彼の心の中に、未だ“一人目のイヴ”が生きているためであり、そして、彼の寿命が、通常遺伝子の人間より遥かに長いがため、彼はあえて“特別な異性”を作らなかったのだ。 ヒルダは、それをよく知っていた。 長い寿命を生きることのできるNW−遺伝子児と、たかが80数年しか生きることのできない通常遺伝子の人間。 例え心から愛したとしても、いずれは老いて、そして死に別たれる。 彼は、愛する人を失うことに、ひどく慄いていた。 “一人目のイヴ”を失った時の壮絶な苦しみを、決して忘れていないからだろう。 25年も傍にいれば、それぐらいこと、ヒルダが判らないはずもない。 「あなた、NW−遺伝子児のくせに・・・・・・本当にお馬鹿さんね。器用貧乏もいいところだわ」 ヒルダは、可笑しそうに笑って、ソロモンの広い背中に回した細い腕にぎゅっと力を込める。 それは、25年分の愛しさを凝縮した精一杯の力であった 「でも、私はそんなあなたがとても好きよ。ずっと愛してた」 「・・・・・・・・っ」 「今も・・・・・・愛してるわ」 感情を押し殺した微かな声で「俺もだよ・・・」と、ソロモンは答える。 「嘘よ」と、いつものようにそう返して、ヒルダは微笑んだ。 レムリアス・ソロモンが、この期に及んで、ただの同情で嘘をつくような男ではないことを、ヒルダはよく知っている。 だが、それを「嘘」だと言わないと、なんだか悔しくて仕方がないのだ。 ヒルダに残された時間はもう短い。 今更本音を言われたところで、25年という年月が戻る訳でも、若さが戻る訳でも、ましてや、命の時間が戻る訳でもない。 広い背中に回していた腕を離し、可笑しそうに笑うヒルダが、うつむいたままのソロモンの頬を両手で包み込む。 「もし、それが本当だったとしても・・・もう、遅いわソロモン。だから、それは嘘よ」 そう言って、ヒルダはもう一度静かに微笑んだ。 もう既に遅いことは、ソロモン自身もよく判っている。 25年と言う年月を、“絶妙な距離”で過ごしてこられたのは、そこに深い愛情があったからに他ならない。 だがそれを、ヒルダの寿命が残り僅かと知ったこの時に、今更告げたところで、「嘘」だと言われるだろうことも判っていた。 ヒルダなら、間違いなくそう言はずだ。 それでも、口にせずにはられなかった。 また、失うのだ。 大切な人を。 絶望と哀しみを、また思い知らされることになるのだ。 ソロモンは、うつむいたまま、「ヒルダ・・・」と、掠れた声でその名前を呼んだ。 「本当に馬鹿ね、泣くのが早すぎるわよ。まだ私、死んでないわ」 こんな時に、ひどく可笑しそう笑うヒルダの唇が、引き結ばれたソロモンの唇に重なる。 その接吻(くちづけ)は、涙の味がした。 それは、ずっと口に出すこともなかった愛しさ味だった。 窓辺に見える広大な宇宙の暗黒に、アメジスト色の流星が流れて行く。 螺旋の銀河が緩やかに回転する外洋宇宙は、大いなる静寂に包まれ、そして、無限に広がる闇は、その日、とても優しいぬくもりを宿しているかのようであった。
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