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作品名:NEW WORLD〜交響曲第二楽章〜 作者:月野 智

第67回   【LASTACT ぬくもりを抱く優しい闇】12
「もう、戻って。あなたには、他にやることがあるはずよ。ガーディアンエンジェルの母艦艦長は、こんな所で油を売ってる暇なんてないわ。あなたにとって、私は特別じゃない。だから、そんな顔をしなくていいし、ましてや、同情なんて真っ平ごめんだわ」
「・・・・そうじゃない・・・・そうじゃない、ヒルダ・・・・」
「・・・・・・・・」
「俺がいつ、君は特別じゃないなんて言った?」
今まで、ヒルダですら見たことのないような、切な気で哀し気な表情をしながら、ソロモンは、銀色の前髪から覗く紅の瞳で、真っ直ぐにヒルダの顔を見つめすえる。
ヒルダは、ひどく怪訝そうな顔つきで、そんなソロモンをまじまじと顧みたのだった。
「・・・・・私をからかうのなら、もっとマシなことを言えば?冷静沈着な母艦艦長の言葉とは思えない言葉よ、それ?」
「君は、ずっと特別だったよ・・・ヒルダ。ずっと特別だった・・・」
そう言ったソロモンの両腕が、痩せてしまったヒルダの体をそっと抱き締める。
ヒルダは、驚いたようにその青い瞳を見開いた。
「あなた、何を言ってるの・・・・?あなたに同情されるぐらいなら、このまま死んだ方がましだわ」
「同情じゃない・・・っ」
「・・・・今更そんなこと言われたって、信じられる訳がないでしょ?」
「信じられないなら、信じなくてもいい・・・・っ」
シルバーグレイの軍服の肩が微かに震える。
「・・・・君は、特別だったんだ・・・・・っ」
今にも折れそうなほどに細くなったヒルダの体を、ぎゅっと強く抱き締めながら、その柔らかな茶色の髪に秀麗な頬を埋めるようにして、ソロモンは再び押し黙った。
「・・・・・・・」
抱き締められたままのヒルダには、今、ソロモンがどんな表情をしているのか見ることはできない。
しかし、その腕が震えていることだけはよく判る。
ヒルダは、ひどく切なそうに笑いながら、ソロモンの広い背中に両腕を回したのである。
「嫌だわソロモン・・・泣いてるの?いい歳の男が、情けないわね・・・・あなたの泣き顔は、死ぬ時に見るはずだったのに、とんだ計算違いだわ」
「・・・・・・・・」
ソロモンは何も答えない。
だた、強くその体を抱き締めるだけだった。
切ない表情のまま、それでも、どこか可笑しそうに笑って、ヒルダは言葉を続ける。
「・・・・こんな時にそんなことを言われても、私、もうすっかりおばさんになっちゃたじゃない。本気でそう思ってたなら、もっと前にそう言ってくれればよかったのに。
残念ね・・・・若くない上に病気の体なんて、抱くに抱けないでしょ?馬鹿ね・・・」
 「・・・・・君は、何も変わってないよ・・・・前にもそう言った。ずっとあの頃のまま、綺麗なままだよ・・・・ヒルダ」
 「嘘をつくなら、もう少しマシな嘘をつきなさいよ。信じないって言ってるでしょ」
「信じなくもいい・・・信じなくていいから・・・・っ、メルバで、最低限の治療だけは受けてくれ・・・っ、何もしてやれないまま、君を失うのは嫌なんだ・・・っ」
それは、まるで少年のような言葉であった。
いつもは冷静沈着な母艦艦長であるソロモンの言葉とは、とても思えない。
ヒルダはそれを、ひどく可笑しく思う。
「死ぬ時は、あなたの船で死ぬ・・・・私、そう決めてずっとあなたの船に乗ってたの。あなたのいない場所で死ぬなんて、冗談じゃないわ」
底意地悪くそう言いながら、ヒルダは、ソロモンの長い銀色の髪に、血色の悪いその頬をすり寄せたのである。
今まで、ソロモンが、こんな風に抱き締めてくれたことなど一度としてなかった。
 それが当然だと思っていた。
 だが、それでも構わないと思っていた。
 傍にいられればそれでいいと・・・・
 25年にも及ぶ絶妙な距離は、切なくもあって心地よくもある距離であったからだ。
 ヒルダの知る限り、ソロモンには、恋人と呼べるような特別な女性がいたことはなかった。
 何故なら。
それは、彼の心の中に、未だ“一人目のイヴ”が生きているためであり、そして、彼の寿命が、通常遺伝子の人間より遥かに長いがため、彼はあえて“特別な異性”を作らなかったのだ。
ヒルダは、それをよく知っていた。
長い寿命を生きることのできるNW−遺伝子児と、たかが80数年しか生きることのできない通常遺伝子の人間。
例え心から愛したとしても、いずれは老いて、そして死に別たれる。
彼は、愛する人を失うことに、ひどく慄いていた。
“一人目のイヴ”を失った時の壮絶な苦しみを、決して忘れていないからだろう。
25年も傍にいれば、それぐらいこと、ヒルダが判らないはずもない。
「あなた、NW−遺伝子児のくせに・・・・・・本当にお馬鹿さんね。器用貧乏もいいところだわ」
ヒルダは、可笑しそうに笑って、ソロモンの広い背中に回した細い腕にぎゅっと力を込める。
それは、25年分の愛しさを凝縮した精一杯の力であった
「でも、私はそんなあなたがとても好きよ。ずっと愛してた」
「・・・・・・・・っ」
「今も・・・・・・愛してるわ」
感情を押し殺した微かな声で「俺もだよ・・・」と、ソロモンは答える。
「嘘よ」と、いつものようにそう返して、ヒルダは微笑んだ。
レムリアス・ソロモンが、この期に及んで、ただの同情で嘘をつくような男ではないことを、ヒルダはよく知っている。
だが、それを「嘘」だと言わないと、なんだか悔しくて仕方がないのだ。
ヒルダに残された時間はもう短い。
今更本音を言われたところで、25年という年月が戻る訳でも、若さが戻る訳でも、ましてや、命の時間が戻る訳でもない。
広い背中に回していた腕を離し、可笑しそうに笑うヒルダが、うつむいたままのソロモンの頬を両手で包み込む。
「もし、それが本当だったとしても・・・もう、遅いわソロモン。だから、それは嘘よ」
そう言って、ヒルダはもう一度静かに微笑んだ。
もう既に遅いことは、ソロモン自身もよく判っている。
25年と言う年月を、“絶妙な距離”で過ごしてこられたのは、そこに深い愛情があったからに他ならない。
だがそれを、ヒルダの寿命が残り僅かと知ったこの時に、今更告げたところで、「嘘」だと言われるだろうことも判っていた。
ヒルダなら、間違いなくそう言はずだ。
それでも、口にせずにはられなかった。
また、失うのだ。
大切な人を。
絶望と哀しみを、また思い知らされることになるのだ。
ソロモンは、うつむいたまま、「ヒルダ・・・」と、掠れた声でその名前を呼んだ。
「本当に馬鹿ね、泣くのが早すぎるわよ。まだ私、死んでないわ」
こんな時に、ひどく可笑しそう笑うヒルダの唇が、引き結ばれたソロモンの唇に重なる。
その接吻(くちづけ)は、涙の味がした。
それは、ずっと口に出すこともなかった愛しさ味だった。
窓辺に見える広大な宇宙の暗黒に、アメジスト色の流星が流れて行く。
螺旋の銀河が緩やかに回転する外洋宇宙は、大いなる静寂に包まれ、そして、無限に広がる闇は、その日、とても優しいぬくもりを宿しているかのようであった。



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