* 息を切らしてメディカルセクションまで辿りついたララは、溢れそうになる涙をじっと堪え、ガラス張りのオート・ドアを潜った。 すると、そんなララの視界に飛び込んできたのは、通路の壁に凭れながら、うつむき加減で立っている、戦闘服姿の少女だったのである。 ララは、ハッとその足を止めて、驚いたようにその少女の名前を呼んだ。 「リリィ・・・・」 そこにいたのは、他でもない、ワダツミの電子戦専門オペレーター、“バグ・リリィ”こと、リリアン・カーティスだったのである。 リリアンは、ライトブランの髪から覗くへーゼルの瞳を怒りに閃かせ、ララの綺麗な顔をじろりと睨み付けた。 そして、壁から背中を離しながら、いきなり大声でこう言ったのである。 「あんたなんか大嫌い・・・っ!!特別扱いされてるくせに、いつも不満そうな顔してて・・・っ、見てるだけでムカツクんだよっ!!悲劇のヒロイン気取りっ!?馬鹿じゃないのっ!?」 その言葉で、ララは気付いた。 リリアンは、先程のあの光景を、どこからか全部見ていたのだ。 切なそうに綺麗な眉を寄せながら、ララは、こう言いかける。 「リリィ・・・違うわ・・・私は・・・っ」 だが、ララの言葉を遮るように、リリアンは、右手に持ったタブレットケースを握り締めながら、凄まじい剣幕で言うのである。 「何が違うっていうの!?あんた、一体何が不満なの!?あんたはいつだってショウゴの特別じゃない!?それの何が不満なのよ!?あんたって、育ちが良いからっ、特別じゃない人間の気持ちなんて全然わかんないんだよっ!!どんなに欲しくたって何にももらえない人間の気持ちなんてっ、あんたにはわかんないんだよっ!!いい歳して甘ったれるのも好い加減にしなよ!!あんたなんか大嫌いっ!!」 可愛らしい顔を険しく歪めながら一気にそう言い放って、リリアンは、へーゼルの瞳を潤ませながら、オート・ドアへと駆け出して行った。 「リリィ!待って!!リリィ!!」 呼び止めようとするララの声を完全に無視し、リリアンは、全力疾走でガラス張りのドアを潜ると、けたたましい足音を響かせながら、どんどん遠ざかっていってしまう。 ララは、殊更切なそうに蛾美な眉を寄せ、その視線を通路の床へと落したのだった。 リリアンの言葉に、全く腹が立たない訳でもない。 だが、怒りより寧ろ、切なさの方が大きかった。 リリアンは、何も知らないまま、だた、ララに嫉妬している。 ララもリリアンも、結局は、同じ立場であるというのに、リリアンは、まだ幼いが故、それに気付いていないのだ。 リリアンは、五年前に、偏狭惑星トリスタンで、ショウゴが拾ってきた孤児の少女だった。 リリアンの境遇に、自らの境遇を重ねたからこそ、ショウゴは、彼女をワダツミに連れ帰ったのだ。 特別というなら、寧ろそれは、リリアンの方だとララは思う。 リリアンが握っていたタブレットケースは、恐らく、鎮痛剤のケースであろう。 リリアンは、いつもショウゴのことを見ている。 きっと、手首のあの怪我に気付いていたのだろう。 気を利かせて、持っていくつもりなのかもしれない。 まだ歳若い少女であるリリアンが、一巡りほども歳の違う、実に厄介な青年を愛してしまった。 その悲哀を、同じ女性であり同じ境遇であるララが、判らないはずも無い。 いたたまれない気持ちが、ララの胸を苛む。 ララは、その心の痛みを押し殺して、頬にかかった長い髪をかきあげると、一度大きく深呼吸してから、ゆっくりと、処置室のオート・ドアへと歩き出した。 あのショウゴに、“食えない男”だと言わしめた、脳天気で頭の良い捕虜の青年が、今頃、痛みで気絶しているかもしれない。 鎮痛剤は、その人間の体質によって効かない場合がある。 それを確かめてやらないと。 それが看護士としての自分の役目だ。 ララは、溢れそうになる涙を片手で拭い、意図して凛とした表情を作ると、揺らいだ気持ちを正すように、背筋を伸ばして処置室のオート・ドアを潜った。 すると、そんなララを出迎えたのは、脳天気で頭の良い捕虜ことトーマ・ワーズロックのこんな脳天気な言葉だったのである。 「派手な声が聞こえてたぞ?君、あの電子戦オペレーターに嫌われてる訳・・・?」 ララは、きょとんと目を丸くして、ベッドの上でやけに人懐っこく笑うトーマを、まじまじと見つめすえてしまった。 鎮痛剤が効いたのか、先程の痛がりようがまるで嘘であったかのように、トーマは、すこぶるあっけらかんとして、ベッドに横になったまま頭の後ろで両手を組んだ。 そして、どこか困ったよう眉根を寄せると言葉を続けたのである。 「何で女って、あーゆー危ない男好きになんのかな?どう考えてもリスク高すぎでしょ?お陰で俺みたいなのは、いつも慰め役だってーの」 焦茶色の前髪の下から覗く知的な紺色の瞳が、なにやらげんなりした様子で天井を仰ぐ。 その仕草がわざとらしいのは、きっと、面と向かって『あんたなんか大嫌い!』と言われただろうララを、慰めようとしているためだろう。 それに気付いた瞬間、ララは、思わず胸の奥の痛みも忘れ、ぷっと吹き出したのである。 片手で口元を抑えながら、くすくすと笑いながらララは言う。 「盗み聞きなんて、悪趣味もいいとこだわ」 なにやら心外そうな顔つきをすると、トーマは、小さくため息をつきながらこう答えるのだった。 「あんだけデカイ声で怒鳴られてれば、嫌でも聞こえるって」 「あなたって・・・・・・馬鹿なふりするの、本当に得意よね?」 「いや、実際馬鹿だし・・・・普通、テロリストの船に進んで乗り込む奴なんて、馬鹿ぐらいしかいないでしょ?」 そう言ったトーマの紺色の瞳が、ベッドの傍らに歩み寄ってきたララを、静かに仰ぎ見る。 ララは、トーマの腕に打ってある鎮痛剤と抗生剤の点滴をチェックしながら、どこか愉快そうな表情で答えた。 「勝算があると思ったから乗り込んできたんでしょ?少なくとも、一人で乗り込んでも、妹さんを助ける自信はあったはずよね?」 何やら困ったように形の良い眉を潜め、しばしの間を置くと、トーマは、ため息と共に思わずぼやくのだった。 「・・・・・・・・敵に心理士がいるって、なんか遣りにくいな・・・・全部見透かされてるみたいで」 「まさか、ありえないわよそんなこと。心理分析でわかるのはほんの少しだけ、そんなに心配しないで」 そう答えたララが、トーマの手首を握ってその脈を取る。 トーマは、わざとらしくその手を握り返してみた。 その瞬間、ララは、呆れたような顔つきでトーマを振り返ると、ため息をつきながらこう言ったのである。 「ちょっと、ふざけないで。こっちは仕事中よ」 「ごめん、ただの出来心」 そう答えて、トーマは、さして申し訳ない顔もせず、何故かニッコリと笑って見せる。 ララは、蛾美な眉を軽く眉間に寄せ、片手で髪を耳にひっかけながら、呆れたように肩を竦めるのだった。 「まったく、捕虜は捕虜らしくもう少し怖がった顔してたら?あれだけの弾を食らったのに、変に元気だと、またショウゴに撃たれるわよ」 「うわ・・・・・・嫌だなそれ」 「撃たれるのが嫌なら、少しはしおらしくしてることね」 「しおらしいねぇ・・・・向いてないんだよな、そういうの。仕事が仕事だからさ」 傷が痛まない事を小さく身を捩って確かめると、トーマは、両肘で上半身を支えながら、ゆっくりとベッドの上で起き上がる。 そして、安堵したように大きく息を吐くと、恐る恐る立膝をついてから、片手で前髪をかきあげて、ベッドの傍らにいるララを、知的な紺色の瞳で仰ぎ見たのだった。 「あんまり動かない方がいいわよ」と、念を押してから、ララは、そんなトーマの脇に軽く腰を下ろして、僅かばかり困ったような表情で、その綺麗な唇を開くのである。 「戦闘員みたいな体つきしてるけど・・・あなたって、本当は軍人でも戦闘員でもないのよね?」 「そうだよ、俺はただの会社員・・・ってか、一応は会社役員。うちの会社は宇宙一物騒な運送会社だからさ。海賊やらなんやらから、運んでる積荷守らなくちゃならないし、軍人並みの体力と体がないとやってらんないんだよね。ワダツミみたいな物騒な船と交戦なんて、しょっちゅうだしさ」 その返答に、ララは、可笑しそうにくすくすと笑った。 「すごい運送会社なのね、あなたの会社?」 「交戦宙域突破もなんのその、うちの会社の輸送船は、馬鹿ばっか乗せた船だからさ」 あっけらかんとそう答え、トーマは、心なしか誇らしそうに笑うと、わざとらしく片目を閉じて見せ、おどけたようにこう言葉を続けたのだった。 「もし、この船の食えない艦長のこと、好きでいるのが辛くなったら、いつでもうちの会社に再就職していいぜ。生傷絶えないのに、うちの船には医療関係者一人もいないからさ。君みたいな美人看護士なら、尚のこと大歓迎」 そこまで言って、トーマは、ララの菫色の瞳をまっすぐに見つめながら、やけに穏やかな表情で微笑すると、落着き払った優しい声色で、更に言葉を続けたのである。 「・・・その気になったら、いつでも逃げてこいよ。うちの会社でよければ、居場所ぐらい提供するからさ。万が一の時の逃場所を作っておかないと、自分が辛いだけだぜ?」 その言葉に、ララは、ぴくりと細い肩を揺らして、まじまじとトーマの瞳を見つめすえてしまった。 トーマの言い方は、涙を堪えて必死に表情を引き締めているララの心情を、まるで全て知っているかのような言い方であった。 トーマには、とても優れた洞察力がある。 その上、人間の深い感情に関することには、特に敏感な青年でもあった。 そんなトーマが、ララの濡れた睫毛に気付かないはずもない。 長い睫毛が濡れているのは、明らかに、涙を拭った形跡であるのだから。 トーマは、ドアごしに聞こえてきたリリアンの言葉と、ララの濡れた睫毛で、大方のことを悟っていたのだろう。 ララは、鮮烈な驚きで呆然として、思わず言葉を失ってしまう。 端整な唇を小さくもたげて、トーマは、小さく首を傾げて見せた。 濡れた睫毛を二、三度瞬きさせたララは、ふと、困ったように蛾美な眉を寄せると、綺麗な唇で切なそうに微笑した。 「・・・・・・・・人の感情を覗き見できるあなたは、心理士よりもずっと優秀ね・・・・・本当、馬鹿なふりするの、やめればいいのに・・・・」 「さっきも言っただろ?馬鹿なふりじゃなくて、本当に馬鹿なんだって。・・・・・っ!?」 軽く肩をすくめながら、そう答えたトーマは、次の瞬間、にわかに狼狽たえてしまった。 それは他でもない、目の前に座ったララの瞳から、後から後から、宝石のような涙が零れ落ちてきたためである。 トーマは、焦ったようにきょろきょろと辺りを見回し、そんなララの細い肩に手を置くと、さも困った顔つきをしながら、狼狽した声で思わず聞くのである。 「俺、なんか悪いこと言った?ってゆーか、女泣かしたことないから、いきなり泣かれると対処に困るんですけどっ?」 うつむき加減になったララが、首を小さく横に振る。 「あなたのせいじゃないわ・・・・」と、掠れた声で返答して、ララは、膝の上に置いた自らの手をぎゅっと握り締め、涙に濡れた菫色の瞳で静かにトーマを顧みた。 「・・・・・違うの」 綺麗な頬に、幾筋も幾筋も宝石のような涙が伝い落ちていく。 「・・・・・・・・」 トーマは、片手でばりぼりと頭を掻くと、「やっぱり、あの食えない艦長と何かあった訳か。こんな美人泣かすなんて、あの男、本当にふざけた奴だな」・・・・・とは口に出さず、いつものあっけらかんとした口調でこう言ったのである。 「とりあえず、泣けるうちに泣いとくのが一番だな。ご要望なら胸貸そうか?無料貸し出し歓迎。あ、でも、あんまりぎゅっとするなよ、弾食らって穴開きで、マジ、痛いから」 不意に差し伸ばされたララの両腕が、言葉通りにぎゅっとトーマの首にしがみつく。 「・・・・変な慰め方するのね?ごめんね・・・・怪我してるのに」 小刻みに肩を震わせながら、ララは、消え入りそうな声でそう言った。 「いえいえ・・・・久しぶりに女の感触が実感できて、ちょっと嬉しいかも」 言葉は相変わらずの軽口だが、トーマの表情はひどく穏やかであり、その精悍な唇は、やけに落ち着いた微笑を刻んでいた。 焦茶色の前髪から覗く知的な紺色の瞳が、小刻みに震えるララの細い肩を、冷静で柔和な眼差しで見つめている。 人の感情を敏感に感じ取り、それを自分のことのように受け止めることが出来るトーマは、例外なく、ララの心中の苦しさを真っ向から受け止めていた。 この美しいひとは、とても辛いのだろう。 だから、放ってはおけなかったのだ。 此処にショーイがいたのなら「相変わらず、お節介だね」と、鼻先で笑ったことだろう。 そっと片手をもたげ、トーマは、ララの長く艶やかなプラチナブロンドの髪を柔らかく撫でてやる。 女を泣かせたことはないが、泣かされた女を慰めるのは得意なのだと、ついつい自負しながら、トーマは静かに言うのだった。 「そのうちなんとかなるって・・・・泣くだけ泣いとくといいぞ」 その言葉は、ひどく楽天的で無責任な言葉だ。 だが、今のララにとっては、とても暖かく感じる言葉でもあった。 ララは、何も言わずに小さく頷いて、嗚咽したまま、殊更ぎゅっとトーマの首に抱き付いたのである。 これって役得? トーマは、あっけらかんとそんなことを思って、思わず笑うのだった。
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