しかし、それに対する返事はない。 気絶してしまったのだろうか。 閃光弾には殺傷能力はない。 時として怪我を負うことはあるが、直接生命に関わることは皆無に等しい。 数秒の間を置いて、ハルカの目に、僅かな視力が戻り始めた時だった。 倒れたハルカの傍らに、一つの足音がゆっくりと歩み寄ってくると、ライフルの銃口が後頭部に押し当てられ、青いつなぎを着た細身の背中が、思い切りブーツの底で踏みつけられたのである。 「!?」 背中に鈍い痛みを感じながら、ハルカは、艶やかな黒髪の下で両眼を細めた。 床の上から仰いだ虚空に、ぼんやりとした人影が浮かび上がってくる。 どうやら、男性のようだ。 その人物が、唇だけで愉快そうに笑っているのが微かに見える。 苦々しく眉間を寄せたまま、ハルカは、まだ完全に視力が回復していない黒い瞳で、気丈にもその人物の顔を睨みつけたのだった。 「デボン・リヴァイアサンなのか!?こんな事をして何か楽しいのか!?」 精一杯の勇気でそう叫んだハルカが、手元に落ちているビームガンに指を伸ばそうとするが、その人物は、ハルカの指が届かない範囲にまでそれを蹴り飛ばしてしまったのである。 銃が床を滑る鋭い金属音が響き渡ると、ハルカは、端整で繊細なその顔を更に苦々しく歪めるのだった。 「くっ・・・・!」 「随分と威勢の良いガキだな・・・?」 どこか底意地悪くそう言った低い声に、ハルカは、驚いたように肩を揺らしてしまう。 傍らで銃を突きつけていようその人物の声は、ハルカの上官であるリョータロウの声に余りにも良く似ていたのだ。 それでも、どこかトーンは違う。 恐らく、リョータロウよりは年上であろう・・・しかし、決して年配ではない張りのある男性の声。 悔しそうに奥歯を噛締めたハルカの後頭部には、未だ銃口が押し付けられている。 ゆっくりと回復していく視界の中で、僅かに癖のある黒い髪が緩やかに揺れていた。 次第にはっきりとしてくる、精悍で端整な顔の輪郭。 ハルカは、少女のような繊細さを持つその顔を、殊更厳しい表情で歪めたまま、澄み渡る大きな瞳で、真っ向からその青年を睨みすえたのだった。 そして、完全にその視力が戻った時・・・ハルカは、艶やかな髪の下から覗く両眼を、驚愕で大きく見開いたのである。 今、こちらを見つめているのは、冷静さの中に炎のような激しさを持つ、凛と強い黒曜石の瞳だった。 それは、ハルカにとって、兄とも言うべきリョータロウの瞳に、余りにも似すぎていたのだ。 似ているのは、何も眼差しだけではない。 切れ長の目元も、凛として形の良い眉も・・・均整の取れた精悍で端整なその顔立ちの全てが、本当にリョータロウとよく似ていたのである。 あと数年が過ぎたら、リョータロウもまた、この青年のような顔立ちになるのかもしれないと、そう思わせるほどの酷似であった。 ハルカは、ひたすら驚愕して言葉を失ってしまう。 そんなハルカの表情を見やりながら、その青年は、鼻先で軽くせせら笑うと、僅かに身をかがめ、冷静だが低く鋭い声で言うのだった。 「まるで・・・化け物でも見てるような顔だな?坊主、少し大人しくしていろ。抵抗はするな。抵抗したら、おまえの頭が吹っ飛ぶことになる」 この青年が、タルタロス宙域で遭遇した所属不明艦『ワダツミ』の艦長、ショウゴ・ニカイドウと言う名の青年であることを、この時、ハルカはまだ知らないでいた。 ハルカは、綺麗な眉を眉間に寄せて、思わず叫ぶのである。 「だ、誰・・・・っ!?誰なのっ!?あなたは一体誰!?どうしてそんなにリョータロウと似てるの!?」 突然、ハルカの口をついて出たその名に、冷静で落着き払っていたその青年・・・ショウゴ・ニカイドウの顔が、僅かばかり怪訝そうに歪む。 ショウゴは、広い肩越しに背後を振り返り、気絶した宇宙の歌姫が、部下の手で抱え上げられたのを確認すると、その黒曜石の瞳を、厳しい顔つきのハルカに戻したのである。 唇だけで冷たく笑って、ショウゴは言う。 「おまえ、今、“リョータロウ”と言ったか?」 「・・・・僕の上官の名前だ!あなたの顔は、リョータロウにそっくりだけど・・・リョータロウは、絶対にこんな卑劣な真似はしない!!」 その返答に、ショウゴは、長い前髪から覗く黒曜石を、ひどく愉快そうに細めたのである。 「・・・そんなに俺と顔が似ているか?おまえの上官は?」 「似てるけど、全然違う・・・・!あなた達はデボン・リヴァイアサンの一派なの!?どうしてこんなひどい事したんだ!?」 「どうして、だと?テロリストと称される人間に向かって、おまえ、随分と面白いことを聞くな?」 ムキになって叫ぶハルカを、ひどく冷たい視線で見下ろしながら、ショウゴは、喉の奥でくくっと笑うと、その背中をブーツの底で強く踏みつけたまま、冷淡な口調で言葉を続けるのだった。 「上官と言うからには、おまえは軍人か?」 「だったらどうする!?」 厳しく輝くハルカの瞳と、リョータロウによく似たショウゴの瞳が、真っ直ぐにぶつかりあう。 リョータロウの瞳は強く優しく、そしてどこか暖かい、だが、この青年の瞳は、氷のように冷たく、背筋が寒くなるほど冷淡だった。 冷静で落着き払った物腰と、そこはかとなく漂う鋭い威厳。 この青年が持つこの独特の雰囲気は、一介の戦闘員風情が持てるものではない。 恐らく、彼は、戦闘員を統括する指揮官・・・下手をすると、幹部クラスの人間かもしれない。 冷淡に微笑する、名も知らぬ青年の端整な顔を睨みながら、ハルカは、この状況をなんとか打開しようと思案する。 その瞬間、そんなハルカの視界の隅に、ぐったりとしたガブリエラを抱えた戦闘服の男が横切っていったのだった。 「!?」 この連中、やっぱりガブリエラを狙ってたんだ!! ハルカは、背中を踏みつける足を退けようと身を捩り、どこか焦った様子で大きく叫んだのである。 「ガブリエラをどこに連れていくつもりだ!?」 「おまえには関係ない」 ショウゴはそう答え、殊更強くハルカの背中を踏みつけると、その頭に突きつけているライフルのセーフティロックを外したのだった。 「・・・っ」 ハルカは悔しそうに奥歯を噛締めて、鋭い視線でショウゴを睨みつける。 その時、戦闘員の一人が、システムダウンして倒れ伏すミハエルを乱暴に蹴り飛ばしながら、灰色の戦闘服を纏うショウゴの背中に問い掛けてきたのだった。 「艦長、このヴァルキリーの始末はどうします?」 「破壊しろ。所詮はただの機械だ。タイプΦヴァルキリーとはいえ、AIを破壊すればただの鉄くずだ」 ショウゴは冷たい声色で即答する。 余りにも冷酷なその言葉に、にわかに激しい憤りを覚え、ハルカは、少女のような綺麗な顔を憤慨で険しく歪めると、再び大きく叫んだのだった。 「ヴァルキリーはただの機械でも鉄くずでもない!!人間と同じだ!!」 思い切り身を捩ったハルカの手が、自らの頭部に突きつけられたライフルを素早く掴み上げ、その銃口を通路の壁へと向ける。 だが、何故か、ショウゴは、その引き金を引かなかった。 精悍な唇だけで冷淡に笑うと、低めた声で言う。 「本当に面白いこと言うガキだな・・・」 次の瞬間、ショウゴのアーミーブーツの爪先が、ハルカのみぞおちを思い切り蹴り上げた。 ハルカが、激痛と衝撃にうめきながら体を反転させると、艶のある象牙色の頬を、ショウゴは更にブーツの側面で蹴り飛ばす。 「うぁ・・・っ!?」 全身を薙ぐ痛みにむせ返り、背中を丸めたハルカの襟首を、素早く伸ばされたショウゴの手がとてつもない豪力で掴み上げる。 艶やかな黒髪がたゆたう広い額に、冷たい銃口を突きつけながら、ショウゴは鼻先でせせら笑うのだった。 「抵抗はするなと言ったはずだ。女のような顔をしてる割には、案外勇ましいな?おまえ?」 ハルカは、口の中に広がった血の味に悔しさを覚えながら、尚も鋭い視線で、真っ向からショウゴを睨みつけた。 この青年は、リョータロウと同じで根っからの戦闘員だ。 ハルカとは、年齢も違えば経験知も違う。 引き金を引かなかったのは、ハルカがまだ子供と言える年齢であり、さして危険はないと判断したからだろう。 明らかに、今のハルカとは手腕が違うのだ。 それでも、ハルカは完全に抵抗を諦めた訳ではない。 このままでは、ガブリエラが連れ去られてしまう、それだけは、なんとしても食い止めなければならない。 それが、任務であるのだから。 「離せ!!ガブリエラを返せ!!絶対に、連れてなんかいかせない!!」 ハルカは、赤い鮮血の滴る唇をぎりりと噛締めると、両手でショウゴの腕を掴み上げ、必死でそれを振り解こうと身を捩る。 黒曜石の瞳を僅かに細めたショウゴは、片手で器用にライフルを持ち替えると、そのストックで、ハルカの腹を思い切り殴り付けたのだった。 「くぅっ・・・!!」 鋭い衝撃に息を詰め、思わずむせたハルカに、ひどく冷たい声色でショウゴは言う。 「抵抗はするなと、言ったばかりだ・・・・・坊主」 ライフルの銃口を再びハルカの広い額に押し付けると、冷静で落着き払った表情のまま、ショウゴは引き金に指をかけて力を込める。 長い前髪の隙間から覗く黒曜石の瞳が、冷たく鋭く発光した。 撃つつもりだ・・・!? ハルカは、一瞬、死の覚悟を決めて大きく両眼を見開いてしまう。 その次の瞬間だった。 通路の入口の方から、けたたましいエンジン音が響いてくると、鈍い轟音と共に発射されたロケットランチャーの弾頭が、ハルカの頭上を、白煙の帯を引きながら豪速で駆け抜けて行ったのである。 「!?」 ショウゴは、掴み上げたハルカの身体を壁際に放り投げ、素早い身のこなしで、左舷後方の通路へと転がり込んだ。 通路の側壁にしたたかに背中を打つけながらも、ハルカは、咄嗟に受身を取って床の上へと伏せる。 刹那。 通路の奥に着弾した豪速の弾頭が、凄まじい爆炎と爆音を上げて破裂したのだった。 タイプΦヴァルキリーミハエルの周りを取り囲んでいた戦闘員達が、その激しい爆風に吹き飛ばされると、天井となく側壁となくに叩き付けられ、武器を放り投げた状態で、ばたばたと通路に倒れ伏していく。 ハルカは、両腕で頭を庇いながら、頭上を吹き抜ける爆風と炎をやり過ごすと、前髪から覗く大きな黒い瞳で、ロケットランチャーが発射された方向を見やったのである。 すると、白煙と粉塵が立ち込める通路の合間に、軽くターンして停止する一台の軍用バイクがあった。 ハルカの僅か手前で停止したそのバイクの上には、二人の人影がある。 湧き上がる白煙の中に浮かび上がってきたのは、青いつなぎを着た青年達の姿。 ハルカは、ハッとその肩を震わせると、軽く頭を振りながら壁際に凭れかかり、よろけるようにして立ち上がったのである。 凄まじい爆音に晒されたせいか、ひどい耳鳴りがする。 その上、意識が朦朧としてきた。 思考を鮮明にするため、もう一度頭を振ったハルカの聴覚に、やけにのんびりとした声が響いてきたのはその時のことだった。 「ハルカく〜ん、大丈夫?あっちゃー・・・ぶん殴られた??痛そうだよ、顔?」 それは他でもない、ギャラクシアン・バート商会の従業員、フウ・ジンタオの声であったのである。 フウは、右肩にロケットランチャーを構えたまま、軽い身のこなしでバイクのリア・ショートを飛び降りると、壁際に持たれハルカの元へと小走りで駆け寄ったのだった。 「悪いハルカ、武器調達に手間取ってさ。うっは・・・大分やられたなぁ?大丈夫かおまえ?」 さも気の毒そうな顔つきをしてそんな言葉を口にしたのは、ギャラクシアン・バート商会の経営者の一人、トーマ・ワーズロックである。 襲撃してきたテロリスト集団から奪い取っただろうバイクのハンドル握ったまま、トーマは、焦茶色の髪から覗く知的な紺色の瞳で、ハルカの頬についた赤紫の痣をまじまじと見やった。 「ほんと痛そうだな?それ?」 見るからに無事そうなトーマとフウに、ハルカは、安堵して大きく息をつくと、片手で唇の血を拭いながら、ふと、焦ったように言うのだった。 「僕は大丈夫・・・っ、でも、ガブリエラが連れて行かれた!早く追わなくちゃ!!連中、きっとデボン・リヴァイアサンだ!」 「大方そんなことだろうと思ったよ。後ろに乗れハルカ、お姫様兼俺の妹を取り返しにいくぞ」 トーマは、精悍な唇で余裕有り気に笑うと、バイクのエンジンをふかしながら言葉を続ける。 「フウ、おまえはスタジアムの高いところから援護。間違っても、俺等にロケットぶつけんなよ」 「了解っす!」 小柄な身体に軽々のロケットランチャーを構えたまま、フウは、左側の通路へとその身を翻す。 ハルカは、床に落ちていたビームガンを素早く拾い上げて、ワンステップでバイクのリア・シートに飛び乗ったのだった。 それを確認したトーマが、精悍な唇だけでニヤリと笑って、片足を軸にバイクをターンさせると、急発進してフウの背中を追ったのだった。 傍らを追い抜いていくバイクに向かって、フウが軽く親指を立てて見せる。 片手でハンドルを握ったまま、トーマもまた、親指を立てて見せるとバイクを加速させたのだった。 ハルカは、疾風に激しく揺れる前髪の下で、ふと、背後を振り返る。 闇の中で、フウの姿と、未だ、通路に倒れたまま微動だにしないタイプΦヴァルキリーの姿が遠くなっていく。 ガブリエラは、『ミハエル』と名付けたあのヴァルキリーを慕っているようだった・・・あのままにしてきて良かったのかと、そんな疑問が胸の奥にもたげる。 だが、この時、ハルカは、“トラップコード”によって破損したシステムを自己修復したミハエルが、戦闘プログラムで再起動し始めていたことに、全く気付いていなかったのである。
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