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作品名:NEW WORLD〜交響曲第一楽章〜 作者:月野 智

第8回   【ACTU エンジェルホリック狂想曲】3
           *
『ドーヴァ・マキシマム・ムジカ.CO』の4THフロアは、最大級の売り場面積を誇るインストフロアと呼称され、宇宙中のありとあらゆる楽器が展示販売されている、類希な規模を誇る楽器ショップであった。
だが今日、この広いインストフロアには人もまばらで、音楽メディアや映像メディア、オーディオ機器を扱う下のフロアの賑わいが、まるで嘘ででもあるかのように、やけに閑散と静まり返っていた。
ギターやベースなどの弦楽器を扱うブースには、バンドマンらしい若者達がたむろしているが、ピアノやキーボードなどを扱う鍵盤楽器のブースは、それこそ、水を打ったような静けさが立ち込めている。
しかし逆に、人気(ひとけ)の少ないそのブースには、何故か、妙に落ち着ける雰囲気でもあった。
人工惑星メルバのリビングでその音色を聞いて以来、すっかり虜になっていたグランドピアノを目の前にして、ハルカ・アダミアンは、宇宙の色にも似た澄み渡る黒い瞳を、幼い子供のようにキラキラと輝かせ、思わず、背後に立っているリョータロウ・マキを振り返ったのである。
「すっごー!本物だよこれ!?」
「偽物なんて売ってるかよ・・・・『マキシマム・ムジカ』は、ドーヴァじゃ指折りの老舗だぞ?」
リョータロウは、呆れたような顔つきでキャップを被りなおすと、それでも、相変わらず率直な気持ちを素直に口にするハルカに、妙な誇らしさを覚えるのだった。
ブラックジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、軽く小首を傾げてリョータロウは言葉を続ける。
「おまえ、弾けるのか?それ?」
「まさか〜、弾けないよ。でも、触ってみたかったんだよね・・・」
ハルカはそう答え、キラキラと瞳を輝かせたまま、そっと片手を伸ばして、白と黒の鍵盤を軽く触れたのだった。
すると、艶やかな漆黒に塗装された優雅なグランドピアノが、恥ずかしがるように微かな音を上げて、ハルカの指に答えてくれた。
「うわぁ・・・本当に音が鳴った」
「当たり前だろ、楽器なんだから」
リョータロウは、前で腕を組んだ姿勢で、ひたすら感動しているハルカの横顔を見つめやると、可笑しそうにその唇をもたげるのだった。
「何か弾いてみろよ?おまえ、一度見聞きしもんは大抵忘れないだろ?」
「いくら僕でも、それは流石に無理だよ、なんの予備知識もないし・・・誰かに教えてもらえれば、なんとかなるかもしれないけど」
ハルカは、困ったように形の良い眉を寄せて、唇だけで笑いながらそう答えるのだった。
そんなハルカの傍らに立って、リョータロウは、精悍な唇で軽く笑いながら、からかうように言うのである。
「ソロモンに頼んで一台買ってもらうか?ラウンジ辺りになら置けそうだぞ、これ」
「そんなこと、いくらなんでもレムルには頼めないよ。それに、セラフィムにピアノ弾ける人なんて・・・・」
そこまで言って、ハルカは、何かを思い出したように、ライトブルーのパーカーを羽織った肩を揺らしたのである。
「ナナミちゃん!ナナミちゃんなら弾けるかも!僕がピアノの事話したら、弾けるって言ってた!」
「ナナミ〜?あいつの弾けるは、どの程度の弾けるだかわかんねーぞ?」
「もう・・・リョータロウ!もっとナナミちゃんを認めてあげてよ、ナナミちゃんはいつも一所懸命なんだよ?」
「弾ける弾けないに『一所懸命』が関係あるかよ?おまえ、本当、ナナミびいきだよな?」
リョータロウは愉快そうに笑うと、ジャケットのポケットに入れてあったモバイルPCを取り出してコール先を設定すると、突然、襟元に着けられた小型通信機にこう呼びかけたのである。
「マキ少佐だ、ナナミ、今どこにいる?」
きょとんと目を丸くして、ハルカは、まじまじとそんなリョータロウを見つめすえてしまう。
すると、寸分の間もおかずに、リョータロウの通信機からは、セラフィムのブリッジオペレーター、ナナミ・トキサカのやけに嬉々とした声が返ってきたのである。
『はい!ナナミです!!えと、今、ラファエルアベニューのショッピングモールにいます。どうしたんですか?急にナナミにコールしてくるなんて?』
「なんだおまえ、向かいにいたのか?別にたいしたことじゃない、でも、ちょっと確かめたいことがあってな・・・『マキシマム・ムジカ』に来られるか?」
『・・・い、行きます!行きます!すぐ行きます!!ナナミ、絶対全力疾走で行っちゃいます!!』
リョータロウの傍らでそれを聞いていたハルカが、余りにもナナミらしいその返答に、思わず吹き出した。
リョータロウは、通信機の向こうにいるナナミに向かって、相変わらず冷静な声色で言うのである。
「じゃ、コケない程度に全力疾走してこい、俺とハルカは『マキシマム・ムジカ』の4THフロアにいるから」
『了解――――――っ!!!』
不必要なほど気合の入った返答のあと、その通信は途切れ、それと同時に、堪えきれなくなったハルカが、腹を抱えて大笑いし始めたのだった。
「もう!ひどいよリョータロウ!!ナナミちゃんいつも必死なんだからさ、本気で全力疾走してくるよ!ナナミちゃんにまでそんな意地悪しないでよ!!」
そんな抗議の声を上げながらも、余りにもナナミらしい、それこそ気合の入り過ぎた返答の数々に、ハルカの笑いは収まらない。
リョータロウは、そんなハルカの様子をキャップの下から愉快そうに眺めながら、何の気無しにこう答えるのだった。
「どこか意地悪なんだよ?本人が全力疾走するって言うから、じゃぁそうしろって言っただけだろ?」
「それが意地悪だって言ってるの!」
やっと笑いが収まり始めた時だった、なにやら、ミュールのかかとが鳴るせわしい足音が背後から響いてきて、ハルカと、そしてリョータロウは、驚いたようにそちらを振り返ったのである。
すると、そこには・・・
ノースリーブのカクシュールにサブリナパンツを合わせた、21〜2歳の若い女性が、ハンドバックを引き摺るようにして、荒い息をしながら中腰で立っていたのだった。
それは紛れもなく、セラフィムのブリッジオペレーター、ナナミ・トキサカだったのである。
リョータロウは思わず唖然として、そんなナナミの姿をまじまじを見つめ据え、ハルカにいたっては、口を半開きにしたまま、信じられないと言った様子で、大きな黒い瞳をぱちぱちと瞬きさせてしまった。
「ナ、ナナミちゃん・・・?」
「いくらなんでも、おまえ、来るの早すぎだろ?どんな走り方すれば、こんな早く此処までこれるんだよ?」
そう聞いたリョータロウに向かって、やたらと気合が入った顔つきで、ナナミは、憮然と答えるのだった。
「ワ、ワープ走行です!!」
「・・・・・・」
一瞬、きょとんとしたリョータロウが、次の瞬間、思い切り吹き出した。
その傍らでは、ハルカが、急に床に座り込み、もう可笑しくてたまらないといった様子で小刻みに肩を震わながら、必死で笑いを押し殺していたのである。
「ナナミちゃん・・・っ!ほ、ほんと、一所懸命なんだから・・・・っ!」
ナナミは、そんな二人の様子をまじまじと眺めやると、後ろで結ってあった髪が解けているのも気にせずに、怒ったよう眉を吊り上げて、さも心外そうに言うのだった。
「もぉ!何で笑うんですか!?しかも、ハルカくんまで!」
「悪りぃ悪りぃ、思ってた以上に来るのが早かったから・・・驚いたんだよ」
リョータロウは、軽く片手を上げてそう答えると、喉の奥で笑いを押し殺しながら、一度、大きく深呼吸したのだった。
そして、キャップの下から覗く黒曜石の瞳で、ゆっくりとナナミを顧みると、いまだ可笑しそうに歪む唇を徐に開くのである。
「悪かったな、急に呼びつけて」
その言葉に、宣言通り此処まで絶対全力疾走してきたナナミの顔が、鮮烈な歓喜でぱぁっと明るくなった。
ナナミは、綺麗な頬をほんのりと赤らめて、息を整えながら、さも嬉しそうに答えて言うのである。
「いえ!別に、ナナミも、ただ、ぶらぶらしてただけなんで!」
そんなことを言いつつも、実は、数人の同僚達と、買い漁りとも言うべきショッピングに勤しんでいたことは明白だ。
ナナミは、解けてしまった長い黒髪を後ろ手に結いなおしながら、嬉々とした微笑でゆっくりとリョータロウの前に立ったのである。
だいたい、プライベートな時間にリョータロウからコールされるなんて、殆ど皆無に近いのだ、同僚もショッピングもそっちのけにして、此処まで走ってきた涙ぐましいナナミの努力を知るのは、この時点では、リョータロウ本人ではなくハルカだけであった。
ハルカは、深呼吸しながらやっとの思いで立ち上がると、あどけなく笑ってナナミに言うのである。
「ごめんナナミちゃん、走らせちゃって。ほんと、全然たいしたことじゃなかったんだけど」
ハルカの言葉の語尾を、相変わらず冷静な声でリョータロウが続けた。
「おまえ、ピアノ弾けるんだってな?ちょっと実演してくれよ」
その言葉に、更に気合が入ったナナミは、愛らしい顔を何故かやたらと強く引き締め、て「はい!」と大きく答えたのである。
このフロアに展示されている楽器は、店員に断らなくても、全て自由に演奏することが出来る。
ナナミは、持っていたハンドバックを床の上に置くと、グランドピアノの椅子に腰を下ろして、やけに改まった真剣な顔つきをすると、そのしなやかな両手を白と黒の鍵盤の上に置いたのである。
これは、ある意味見せ場だと、ナナミは、斜め後ろに立っているリョータロウをちらりと見やると、軽いタッチで、ここ最近、音楽チャートで有名なあの曲を弾き始めたのだった。
今や誰もが知っているだろう優しく繊細で美しいその旋律が、ピアノの音色として閑散としたフロアに響き渡る。
ナナミが指を動かす度に、結い上げ髪の送り毛が、細いうなじでふわふわと揺れた。
随分と練習を重ねたのか、流れるような動きで鍵盤を叩く指先が、止まることも迷うこともなく、宇宙一有名な美しい曲を奏でていく。
どうやら、ナナミの頭の中には、この曲、『エデンの森』のスコアが全部入っているらしい。
流石にこれには感心して、ハルカと、そしてリョータロウは、思わず互いの顔を見合わせてしまった。
大きな黒い瞳をキラキラと輝かせて、ハルカは言うのである。
「ほら、言った通りでしょリョータロウ?ナナミちゃんはちゃんとピアノ弾けるんだよ」
「わかったよ、おまえの言うことは正しかった」
リョータロウはそう答え、カーゴジャケットの肩を軽く竦めて見せると、困ったように眉間を寄せて苦笑する。
同時に、見事に一曲弾き終えたナナミは、ふうっと息を吐きながら、何故か、にんまりと笑って、ゆっくりとこちらを振り返るのだった。
その時である。
インストフロアの一角から、手を叩く音が響いてきて、その場にいた三人は、驚いたようにそちらを振り返ったのである。
すると、グランドピアノから少し離れた店の奥に、つばの広い帽子を被った白いワンピース姿の少女と、この『マキシマム・ムジカ』専属警備員の制服を纏う、若い青年が立っていたのだった。
つばの広い帽子のせいで、少女の顔はよく見えないが、綺麗な桜色の唇が、感心したよう笑っているのがよくわかる。
この時点では、まだ誰も、その少女が宇宙の歌姫であることなど気付いてはいない。
静かに椅子を立ったナナミは、思わず、傍らのハルカとその顔を見合わせてしまった。


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