【ACTU エンジェルホリック狂想曲】
* 惑星ドーヴァの首都ミグニン。 不思議な造形をした建物が立ち並ぶ芸術の街に、極彩色の夕映えが訪れようとしていた。 夏期のミグニンには、二つの太陽が地平線に沈んでも暗い夜は来ない。 西の空の隅は淡いオレンジ色に輝いたまま、紫色の夜が空を支配するだけである。 そして、ミグニンの街角にネオンライトは存在しない。 街の芸術的な造形美を損なうという理由から、ドーヴァ政府が、派手な看板やネオンライトを厳しく規制しているからである。 「この変なビルのどこが芸術なんだか・・・俺にはさっぱりわかんねぇ・・・」 人々の雑踏が行き交う大通りを歩きながら、リョータロウ・マキは、深く被ったキャップの下から、眼前の『捻れたビル』を眺めやって、思わずそんな事を呟いた。 ミグニンには、変わった形をした建物が数多い。 遠くから見ると横に長い建物が、実は、距離をおいて建てられた複数のビルであったり、屋根が三日月型に湾曲した劇場もあれば、シャンパングラスのような形をしたショッピングモールもある。 芸術という言葉より、奇妙という言葉の方が似合う・・・と、リョータロウは、ミグニンに立ち寄る度に心底思うのだった。 そんなリョータロウの傍らを歩いているのは、今日、とんでもない失敗をやらかしたハルカ・アダミアンである。 ハルカは、宇宙の色に似た澄んだ黒い瞳で、まじまじとリョータロウの長身を仰ぎ見る、ライトブルーのパーカーを羽織った肩を小さく竦めながら、ふと、こんな言葉を口にするのだった。 「・・・・リョータロウ、まだ怒ってる?」 突然のその言葉に、リョータロウは、面食らったような顔つきをすると、黒曜石の瞳をきょとんと瞬きさせ、次の瞬間、さも愉快そうに笑ったのである。 「何言ってんだおまえ?最初から怒ってなんかないだろ?」 そう答えたリョータロウの胸元で、シルバーのボールチェーンが緩やかに揺れ、その先端に着けられた小さな円柱型のトップが、銀鈴のような音を上げた。 ミグニンの街を覆う蒸した空気に暑さを覚え、リョータロウは、カーゴジャケットのジッパーを下げると、ブラックジーンズのポケットに両手を突っ込んでから、徐に、落ち込んでいる様子のハルカを顧みたのである。 ハルカは、キャップの下で愉快そうに笑うリョータロウを、安堵したように仰ぎ見て、少女のような繊細さを持つその端整な顔を、いつも通りのあどけない笑みに満たしたのだった。 「そ、そっかぁ・・・よかったっ!隊長職のリョータロウは迫力があるからさ、物凄く怒ってるのかと思って、僕、本気で泣きそうなった」 恥ずかしげもなくそんな本音を吐露するのは、成長してもなお、ハルカが、まったくもって以前と変わらない素直な性格だからだろう。 レイバンパイロットとして戦闘訓練を受けながらも、すれていないのは、その心根が純粋なままだという証拠だ。 いいのか、悪いのか・・・とそんな事を思いつつ、リョータロウは、眼前の奇妙な建物を眺めながら、もう一度愉快そうに笑ったのである。 「例え怒ってたって、仕事とプライベートは別モンだろ?こんなとこまで引っ張るかよ」 「え!?やっぱり怒ってるの?!」 「怒ってねーよ、呆れてるだけだ」 「呆れてる?何で?」 形の良い眉を不安そうに寄せながら、そんなことを聞き返してくるハルカのあどけない表情は、本当に、子供の頃となんら変わらない。 精悍な唇をもたげたまま、リョータロウは答えて言う。 「そりゃ呆れるだろ?おまえ、ドーヴァの海を眺めるのに夢中になって、飛行経路間違えたんだろ?呆れて怒る気にもなれねーよ」 「えぇ!?なんでそんなこと知ってるの!?僕、まだ始末書上げてないよ!?」 大きな瞳を殊更大きく見開いて、ハルカは素っ頓狂な声を上げる。 一歩を踏み出す度に揺れる艶やかな黒髪が目尻にかかり、それをうっとうしそうに払いながら、ハルカは、凛と強いリョータロウの瞳を、ただ、ひたすら見つめすえるばかりだった。 リョータロウは言葉を続ける。 「おまえの趣味思考ぐらい、とっくの昔にお見通しなんだよ」 「・・・・さ、流石ツァーデ小隊隊長・・・・・なんか、僕が失敗するたび、その理由、リョータロウにはバレそうだね?」 「ソロモンにもな」 「・・・・だ、だよね」 困ったように眉根を寄せて、ハルカは、引きつったように笑った。 いくらNW−遺伝子の持ち主とはいえ、ハルカは、まだまだ、兄代わりのリョータロウにも、父代わりのソロモンにも敵いそうにない。 それを自覚しているせいか、彼は悪びれる様子も、反抗する様子も見せなかった。 セラフィムのレイバン部隊、ツァーデ小隊に配属されたばかりのハルカ・アダミアンは、この宇宙でたった三人の人間しか持ちえない、『NW−遺伝子』と呼ばれる、特殊なDNAの持つ少年である。 『新世界』と名付けられたその遺伝子は、ガーディアンエンジェルが三世紀にも及ぶ長い研究の末に誕生させた、“不老の完全なる遺伝子”である。 人はやがて老いては死ぬ。 だが、この遺伝子を持つ者は、老いることを知らない上に、本来、人間が誕生して死ぬまでにたった30%しか活動させることの出来ない脳細胞を、70%以上活動させることが出来るというのだ。 ハルカはこの驚異の遺伝子の持ち主であり、彼と同じ遺伝子構造を持つ人間は、この宇宙にあと二人だけ存在している。 そのうちの一人が、ハルカと、そしてリョータロウが籍を置く、戦闘空母セラフィムの艦長レムリアス・ソロモンであった。 本来、ソロモンは、ハルカより二周り以上長く生きているはずだが、28〜9歳の容姿を保ったまま、未だ老いることを知らない。 それでも、ソロモンの持つNW−遺伝子は、決して完全なる不老ではないのだ。 ソロモンの場合、細胞の老化は普通の人間より数十倍も緩やかだが、遺伝子構造に幾つかの欠陥があるため、決して老いない訳ではないのである。 この広大な宇宙にあって、完全なるNW−遺伝子を持つのは、ハルカと、そして、未だその行方を掴むことのできない“イヴ”だけである。 だが、人類の希望とも言うべき驚異の遺伝子『新世界』は、この宇宙に点在する多くの惑星国家の鋭い興味対象であり、邪な思惑を活性化させる大いなる火種でもあるのだった。 ハルカはそれを、自分自身でよく理解していた。 NW―遺伝子児であるハルカは非常に賢く、そして温厚だ。 本来なら、戦闘機パイロットより、その優秀な頭脳をより活かすことのできる科学者の方が向いていそうだが、ハルカは、あえてそれを選択肢に入れなかったのである。 幼い子供であった頃は、ずっと、守られる立場にあったが、自分の身を自分で守るため、そして、今まで自分を守ってきてくれた多くの人々を守るため、ハルカは、最前線で戦うレイバン部隊をその職として選択したのだ。 尤も、その優秀な頭脳と飲み込みの良さが功をそうし、新人パイロットでありながらも、精鋭部隊ツァーデ小隊に最年少で配属となったのだが、いくら頭脳明晰で飲み込みが良いといっても、戦闘機パイロットは、決してそれだけで勤まる仕事ではない、ハルカには、まだまだパイロットとしての経験が足がりないのである。 今日の大気圏内戦闘訓練で、それを身をもって思い知らされたハルカは、ライトブルーのパーカーを羽織った肩で、何やら、大きくため息をつくのだった。 そんなハルカを、キャップの下から訝しそうに見やって、リョータロウが聞く。 「なんだよおまえ?まだ気にしてんのか?」 「ううん・・・・違うよ。やっぱりさ、僕はまだまだ、リョータロウにもレムルにも追いつけないと思ってさ」 艶やかな黒髪を揺らしながら、軽く首を横に振ってハルカはそう答える。 「当たり前だろ?そう簡単に追いつかれてたまるかよ」 さも可笑しそうにそんな事を口にして、リョータロウは、ブラックジーンズのポケットから片手を出し、大きな掌で、くしゃくしゃとハルカの髪を撫で回すのだった。 ハルカは亀のように首を竦めながら、困ったような顔つきをして言うのである。 「やめてよ〜リョータロウ、もう僕、子供じゃないんだからっ!恥ずかしいよ!」 「何言ってんだよおまえ?落ち込むと直ぐに、イルヴァの膝でそれこそガキみたいに泣くくせして、そっちの方がよっぽど恥ずかしいじゃねーか?」 底意地悪いリョータロウの言葉に、ハルカは、瞬間的にその顔を真っ赤に上気させ、尋常じゃないほどの狼狽ぶりで叫ぶのだった。 「どどど、どうしてそれ知ってるの!?」 その声が余りにも大きかったため、通りを歩いていた人々が、驚いたようにこちらを振り返る。 だが、ハルカは、そんなことにも全く気付かない様子で、端整な顔を真っ赤に染め上げたまま、何か反論しようと口をぱくぱくさせるのだった。 リョータロウの唇が、心底意地悪くニヤリと笑う。 「おまえのやることは、ガキの頃から全然変わってないんだよ・・・・・・ってか、試しに言ってみただけなのに、本当にそんなことしてた訳だ? 未だにイルヴァと一緒に寝てるなんて言ったら、それ、かなりの問題だぞ?」 イルヴァとは、ハルカが9歳の頃から現在にいたるまで、ずっと、ナニー(乳母)として彼の傍にいる、美しいセクサノイドのことである。 本来イルヴァは、惑星トライトニアの戦闘用ヴァルキリーであるが、トライトニアに拉致されていたハルカの面倒を看ているうちに、その情緒プログラムに母性愛が発生し、そのまま、トライトニアを裏切りセラフィムに乗船することとなったのだ、非常に珍しい経緯の持ち主であった。 ハルカが、『ガーディアンエンジェル』の本拠地、人工惑星メルバでパイロット訓練を受けることになったのを期に、イルヴァは、艦長秘書と第二研究室の助手を兼務するようになっていた。 母代わりとも言うべきイルヴァのたおやかな微笑みを思い起こしつつ、ハルカは、象牙色の頬を、それこそ火が出る程に赤くしたまま、やっとの思いで反論するのである。 「し、してないよそんなこと!!やめてよ!!そこまで子供じゃないよ!!それに、イルヴァは、今忙しいから、僕に付き合ってる時間なんかないよ!!」 「時間があれば、一緒に寝てもらうつもりだったのか?」 「違うってば!!僕もう16だよ!?もぉ!!リョータロウの意地悪なとこ、本当全然変わってない!!」 「変わらないのはお互い様だろ?」 ムキになったハルカの顔が余りにも可笑しすぎて、リョータロウは、喉の奥で笑いをかみ殺しながら、半ば涙目になってカーゴジャケットの肩を盛んに揺らす。 そんなリョータロウを、大きな黒い瞳でジロリと見やって、ハルカは、拗ねたように唇を尖らせるのだった。 そして、反撃とばかりに、突然、こう切り出したのである。 「あのさ、リョータロウ。最近、ナナミちゃんの機嫌が悪くて、僕、時々困るんだけど」 その言葉に、リョータロウは、キャップの下で訳がわからないと言ったような顔つきをしながら、人込みを避けるかのように、歩道の端へとその身を寄せた。 「はぁ?ナナミの機嫌なんて、別に俺には関係ないだろ?」 ハルカはそんなリョータロウを追いかけながら、何故か意味深に、わざとらしくため息を吐いて言うのである。 「ひどいな〜リョータロウは・・・ナナミちゃん、ずっとリョータロウのことが好きなのに、リョータロウ、全然ナナミちゃんに優しくないし。 その上・・・時々だけど、夜中になると誰か来てるでしょ?リョータロウの部屋に?」 「ああ・・・ルイーザのことか?面倒臭い時は追い返すけどな・・・それがどうした?」 さして驚く訳でもなく、全く隠す素振りもなく、リョータロウは、やけに冷静な声色でそう答えて言った。 あまりにも落着き払ったリョータロウに、ハルカの思惑は弱冠外れたようだが、それでも、形の良い眉の隅を吊り上げて、ハルカは、負けじとこう言うのである。 「ルイーザって、メディカルセクションの看護士さんでしょ?」 「まぁな」 「リョータロウは、ルイーザと付き合ってるの?」 「いや、そんなんじゃない。」 「それって、僕はひどいと思う!」 「なんで?」 「だって、ナナミちゃんの気持ち知ってて、付き合ってもない女の人を部屋に入れてる訳でしょ?ナナミちゃんが可哀想だよ!」 「はぁ?別に俺は、ナナミと付き合ってる訳でもないんでもないぞ?なんでそうなるんだよ?」 「少しはナナミちゃんの気持ち考えてあげなよ!女性には優しくしなくちゃ駄目だって、レムルも言ってたし!リョータロウには少し配慮が足りないよ!」 そやたらと気合の入ったその言葉に、リョータロウは、やけに冷静な顔つきで微笑(わら)うと、キャップの下から覗いていた黒曜石の瞳を、ハルカの真っ直ぐな眼差しからふと逸らしたのである。 ブラックジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、僅かばかり先を歩きながら、いつになく沈着な声色で、リョータロウは言う。 「本気でかかってくるやつの相手はしない、でも、興味本位でかかってくるやつの相手なら、多少はする・・・それだけのことだろ?」 「なにそれ!?」 ハルカは、さっさと先に歩いていってしまうリョータロウの傍らに小走りで追いついて、その端整で精悍な横顔を、訳がわからないといった視線でまじまじと仰ぎ見たのである。 リョータロウは、そんなハルカに振り返らないまま、ひどく大人びた冷静な表情で、軽く両眼を細めるのだった。 広い胸元に下げられたシルバーのボールチェーンが微かに揺れ、小さな円柱型のトップが、まるで銀鈴のような涼しい音を上げる。 端整で精悍な横顔から、そこはかとなく漂う微かな憂いと、彼特有の凛とした落ち着き。 それは、ツァーデ小隊隊長としての顔とも、プライベートでハルカに見せる『兄貴』の顔とも違う、全く異質の・・・ハルカですら見た事のなかった、全てを完全に割り切っている、大人の男の顔であったのだ。 勘の良いハルカは、それで全てを悟ってしまい、再び、象牙色の頬を上気させたのである。 「・・・・なんか今、僕、ウルリカの言ってたこと、凄く理解しちゃった・・・そ、そういう事だったんだ・・・」 「何言ってんだおまえ?あの性悪医者に、また妙なこと吹き込まれたのか?」 怪訝そうに眉間を寄せながら、そんなことを口にしたリョータロウの顔は、いつもの『兄貴』の顔に戻っている。 その表情の変化に、何故か奇妙な安堵感を覚えながら、ハルカは、艶やかな髪に片手を突っ込んで、足元にその視線を落すと、おずおずと答えて言うのだった。 「違うよ。なんか、ウルリカが、リョータロウのこと妙な言い方で誉めてたから・・・・・っ!?」 そこまで言った時、リョータロウが急に立ち止まり、ハルカは、その広い背中に、顔から思い切り衝突してしまう。 カーゴジャケットの下に隠されていた、ホルスターのバックルに額を打ち付け、ハルカは、悲痛な表情で自らの額を撫でると、思わず抗議の声を上げるのだった。 「痛って〜・・・何で急に止まるのリョータロウっ!?」 「おまえは注意力が散漫だって、オフィスで言ったばっかりだろ?ほら、ついたぞ、おまえの行きたかった店」 リョータロウは、涙目になって額をさするハルカを、あきれ返ったような眼差しで見つめすえると、片手で、眼前に発つ大きなショップを指差したのだった。 広いエントランスの上には、『ドーヴァ・マキシマム・ムジカ.CO』という、立体映像看板が掛かっていたのである。
*
|
|