* 「ほんと凄い船だね・・・この船?なんて言うか、自由っていうか、みんな楽しそうっていうか・・・」 通路に設置された掃除用具ロッカーの中から、掃除機を引っ張りだしながら、ハルカは、愉快そうに笑って、傍らでモップを手に取ったトーマにそんなことを言った。 トーマは、揺れる焦茶色の髪の下で、さも可笑しそうにその紺色の瞳を細めると、片手を腰にあてがいながら、軽く肩を竦めて答えるのである。 「いいぞ、ふざけた船だって言って?乗ってる連中は、皆馬鹿ばっかりだしな。そりゃルツに、『まともじゃない』って言われても仕方ないって」 「そんなことないよ。だって、バートは、レベル6以上の危険物運んだりする訳だし、仕事が終わったら、気が抜けて当然といえば、当然じゃない?」 ハルカはそう言って笑った。 「まぁ、それもそうんなだけどな。それにしたって、よくもまぁ、こんな船におまえを乗せたよな?ソロモン艦長?まさか、リョーの次の“バイト”がおまえだなんて、思ってもみなかったよ。ま、ルツがこの船に来てくれるなんてことも、最初は思ってもなかったけどな」 「そう言えば、ルツ、ショーイとはうまくやってるの?」 ハルカは、何の気なくそう聞いて、片手で掃除機のホースを引きながら、ゆっくりと、娯楽室に向かって踵を返す。 モップを片手にその隣に並んだトーマが、もう一度愉快そうに笑った。 「結構仲良くしてるみたいだぞ・・・って言っても、ショーイのやつ、また今日もルツを怒らせたみたいだけど」 「え、なんで?」 「ルツが、ユダに行った俺たちを物凄〜く心配してるのに、ショーイがそれを無視したから・・・って、タイキが言ってたぞ。まぁ、いつもの事と言えばいつものことだな。 ショーイは、本気で緊張してると、必要なこと以外喋らなくなるから、ルツはきっと、それを勘違いしたんだろ。ショーイもショーイで、一言何か言ってやればいいのに、あいつ、何にも言わないからな」 「確かに・・・ショーイは、そういう所あるかも」 唇だけで小さく笑って、ハルカは、Tシャツの肩をすくめると、相変わらず人懐っこいトーマの笑顔を真っ直ぐに仰ぎ見ると、どこか感心したように言葉を続けたのだった。 「ねぇ、トーマ?あのさ・・・トーマがルツに声かけたのって・・・本当はショーイのためだったんじゃないの?」 その言葉に、なにやら困ったように笑うと、トーマは、形の良い眉根を寄せ、片手を前髪に突っ込みながら小さく唸ったのである。 少しの間を置いて、ふと、精悍な唇を僅かばかり切なそうにもたげると、トーマは静かに口を開くのだった。 「んー・・・・まぁ、な。おまえも知っての通り、あいつ、よく人に勘違いされる損な性格してるだろ?」 「うん、凄く損してると思うよ、実際」 「あいつの性格が曲がったのは・・・・・ショーイがあんなに人嫌いになったのは、うちのお袋と、俺のせいなんだよ」 「え?」 その言葉に、驚いたような顔つきになって、ハルカは、トーマの横顔をまじまじと見つめてしまう。 トーマは、唇だけで切なそうに笑って言葉を続けた。 「あいつのお袋さんから、親父を横取りしたのはうちのお袋だ。そのせいであいつ、ガキの頃、自分のお袋さんから、かなり冷たくされたみたいでさ。 “子供なんて欲しくなかった、おまえなんかいらない、おまえのせいで親父は出て行った”って、言われ続けたらしい。きついよな・・・そんなこと言われて育ったらさ」 「・・・ひどいよ、そんなの・・・ショーイには、何の責任もないじゃない・・・」 ひどく哀しそうに眉を潜めながら、ハルカは、思わずそう呟いた。 「だろ?」と切な気に答えて、トーマは更に言葉を続ける。 「あいつがあんまり本音を言わないのは、きっと、そのせいなんだと思う・・・ あんなんだからよく勘違いされるけど、実際、中身は正反対だしな、あいつ。 なんか、それを勘違いされたままって、勿体無い気がしてさ」 トーマは、ため息混じりにそう言うと、その紺色の瞳をやるせなさそうに細め、ゆっくりと通路の天井を仰ぎ見たのである。 そんなトーマの精悍な横顔を、澄んだ大きくな黒い瞳でちらりと顧みると、ハルカもまた、感慨深そうな表情で天井を仰ぎ見たのだった。 「僕もそう思う。ショーイは凄く優しい。絶対にそれを、顔にも口にも出さないけどね」 「だろ?あんまり人に興味を持たない奴だけど、ルツだけは気に入ってたみたいだから・・・・・ルツが傍にいれば、少しは、あの損な性格も直るかなって、そう思ってさ」 「トーマは、ほんと、お兄さん思いだね」 そう言って、ハルカはくったくなく微笑すると、ふと、その視線を、未だに天井を仰いでいるトーマの横顔に向けたのである。 トーマは、どこか困ったように笑う。 「『お兄さん思い』ね〜・・・なんか、おまえらしい言葉だな、それ?ガキくさくて」 「ガ、ガキくさい・・・かな?」 「おまえ全然変わってねーよなぁ?ま、スレたおまえなんて想像つかないけどな」 実に愉快そうに笑いながら、トーマは、思わず心外そうに眉を潜めたハルカを振り返ると、言葉を続けるのだった。 「おまえも、もう少し歳食ったら、きっと、ソロモン艦長みたいに“見た目の時間”が止まるんだろうな・・・」 その言葉に、ハルカは、ピクリと肩を揺らした。 あまり自覚したことはなかったが、確かに、トーマの言う通りだ。 もう少し歳を重ねると、ハルカの成長は止まり、そこから、細胞レベルの老化が完全に停止する。 つまり、ハルカは、不老なのだ。 それが、NW−遺伝子の特徴であり、奇跡の遺伝子と呼ばれる所以であった。 だがそれは、ある意味、孤独との戦の始まりでもある。 自分は老いることはない。 だが、周りの人間は、やがて老い衰えて、そして死んでいく。 ハルカの愛する人間たちもまた、決して例外ではない。 命を賭けて自分を守ってくれた人々は、ハルカ一人だけを置いて、皆、先に死んでいく。 そうだ・・・確かにそうだ。 ふと、その胸の中に、締め付けられるような痛みが過ぎっていく。 今の日常は、決して平穏ではないが、それでも、いつも傍には誰かがいて、例え両親がいなくても、兄弟がいなくても、“孤独”を感じた事など一度もなかった。 それでも・・・ いつか、いつも傍にいた愛する者達は、一人、また一人と消えていき・・・やがては、一人になる。 今更ながら、そんな事に気付いてしまい、まるで少女のような繊細さを持つハルカの顔が、複雑な表情で強張った。 自分は、ガ―ディアンエンジェルの一員であり、NW−遺伝子の持ち主である。 確かに、ハルカの父代わりであるソロモンも、NW−遺伝子の持ち主であるが、ソロモンが持つNW−遺伝子は、ハルカの持つような“完全なNW−遺伝子”ではない。 ゆっくりとだが、ソロモンも、やがては老いていく。 何故、NW−遺伝子というDNAが存在し、その完全な遺伝子を持つ者が、自分だけなのか・・・ そんな事を、今まで、しみじみと考えたことなどなかった。 それほどまでに、ハルカの生活は、例え、常に危険と隣り合わせだとしても、非常に幸福なものだからだ。 だからこそ、そんなこと、頭を過ぎることもなかった。 どうして、僕は、NW−遺伝子を持ってるんだろう? どうして、NW―遺伝子が必要なんだろう? どうして、ガ―ディアンエンジェルは、NW−遺伝子を産み出したのだろう? 何も知らない。 そう、何も知らないのだ。 この奇跡の遺伝子を持ちながら、その遺伝子を持って産まれてきた意味を・・・ ハルカは、全く知らないでいたのだ。 いくつもの疑問と、胸が痛くなるほどの切なさで、ますますその表情が強張っていく。 そんなハルカの複雑な心情に気付いたのか、傍らで訝し気にこちらを覗き込んでいたトーマが、何故か、やけに明るく笑って思い切りその肩を叩いたのである。 「痛っ!」 やけに派手な音が通路に響き渡り、ハルカは、思わず眉間をしかめて、まじまじとトーマの笑顔を仰ぐ。 トーマは、いつも通りの人懐っこい微笑みで、実に彼らしいこんな言葉を口にしたのだった。 「そんなしけた面すんなよ!なんとかなるって!」 なんとかなる。 それは、とてつもなく無責任な言葉だった。 しかし、何故か、ホッと安堵するような、やけに暖かい言葉でもあった。 なんとかなる・・・ 確かにそうかもしれない。 先のことなんて、どうなるかわからない。 今、愛する人々との別れを考えたところで、どうにかなる訳でもない。 どうして、自分がNW−遺伝子を持って産まれてきたか、それを此処で考えても、答えが出る訳でもない。 ハルカは、困ったように眉根を寄せて、それでも、少しだけ嬉しそうに、唇だけで微笑したのである。 「そうだね・・・きっと、なんとかるよね」 このトーマ・ワーズロックという青年は、人を和ませるのが殊のほか得意な青年だった。 元来、明るく活発でさっぱりとしており、何より、全ておいても前向きなその性格が、彼の周りにいる人間すら、前向きにさせてしまうのかもしれない。 何故、この青年が、本来ならいがみ合ってもおかしくない異母の兄ショーイと、こうして何の問題もなく過ごしていられるのか、ハルカは、今更ながらしみじみと理解した気がした。 「トーマって、なんだか凄いよね?トーマと話してると、本当になんとかなる気がしてくるもん」 「そうか・・・・・?っーか、俺、ショーイみたいに頭複雑にできてないから、要するに、考えること全部単純で、わかり易いってだけなんじゃないのか?」 トーマはそう言って片目を閉じると、さも愉快そうに笑ったのである。 そんなトーマを、あどけない表情で見上げながら、ハルカは、くったくなく笑って言うのだった。 「そうかなぁ?トーマって、単純かなぁ?ショーイとは違う意味で、凄く頭いいんじゃないのかなぁ?」 「お!マジで?おまえ、お世辞上手いな〜!」 実に彼らしいあっけらかんとした言葉を口にすると、トーマは、ふと、思惑あり気ににんまりと笑って、モップを片手に握ったまま、空いている方の腕でいきなりハルカの首を抱え込んでしまったのである。 ハルカは、トーマの腕を慌てた様子で掴んで、焦ったようにじたばたともがいたのだった。 「ちょ、ちょっとトーマ!?な、何するの!?痛いよ!やめてよぉ!!」 「お世辞ついでにさ・・・おまえ、セラフィムの中で、一番可愛い女の子紹介してくんない?ショーイにルツを独占されちゃったから、なんか、あいつが羨ましいって言うの?」 「え、え――――っ!な、何それ!?」 実に素っ頓狂なハルカの叫びが、バートの広い通路に響き渡っていく。 ハルカにとって、重大ミスの処分と言うよりは、寧ろ、ちょっとした小旅行のようなこの航海が、にわかに波乱の幕開けを告げるのは、ジルベルタ星系惑星トライトニアに到着してからのことである。
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