* デボン・リヴァイアサンの戦艦『ワダツミ』が、ジルベルタ星系に進路を取っていた頃、宇宙戦闘空母セラフィムを離艦した、武装高速トランスポーター『バート』もまた、その進路をジルベルタ星系へと取っていた。 鮮やかなブルーの船体が、無限の宇宙で緩やかに揺れながら、漂うようにして航路を行く。 宇宙の海は、荘厳な静けさに包まれていた。 だが、『バート』の船内、第二デッキにある娯楽室、通称「子供部屋」は、リョータロウ・マキ以来の珍しい“バイト”が来たことで、なにやら、妙な騒ぎに沸いていたのだった。 「すっげーなおまえ!?うちの船長より早いスピードで、あの輸送船のプログラム組替えたんだって!?さっすが頭の作りが違うよな!!」 そんな事をいいながら、缶ビール片手に、バートの機関士、フランク・コーエンが、床の上に、いささか戸惑い気味に座り込むハルカ・アダミアンの肩を、強引に抱き寄せたのだった。 既に酔っ払っていて、吐く息が酒臭い。 「フ、フランク!ちょっと、お酒臭いよ!!や、やめてよ!!」 ハルカは、少女のような印象を受ける象牙色の頬を引きつらせて、思わず、その身を仰け反った。 とんでもない音量で掛かる派手なロックのビートと、点けっ放しの大型TVモニター。 床に散乱する、つまみの袋に缶ビールの空き缶、音楽メディアに映画メディア、あきらかにポルノだと思しきメディアまでもが、無造作にカーペットの上に転がっている。 此処は、もはや無法地帯だ。 成す術もなくフランクに絡まれるハルカの肩越しから、整備士のフウ・ジンタオが、いきなり首を出してきた。 驚いたように振り返るハルカの目の前に、音楽メディアのパッケージを突き出しながら、フウは、アルコールで澱んだ目でにんまりと笑ったのである。 「ハルカく〜ん!これきいたぁ?ねぇ、これきい〜た??すっげーいいよぉ、宇宙の歌姫『アンジェリカ』のアルバムだおぉ〜!!マジ、きぃいて、お願い、きいて〜〜〜!!」 「わ、わかったから!ちょっと、フウ・・・目、目がすわってるよ!?」 ハルカは苦笑しながら、そのパッケージに写る遠巻きの少女の横顔を、その澄んだ黒い瞳でまじまじと見やった。 アンジェリカ。 フウが差し出してきたのは、ドーヴァで出会った、あの歌姫の音楽メディアだ。 イルヴァそっくりのあの少女のとろけるような甘い微笑みが、ふと、ハルカの脳裏を過ぎっていく。 何故、ソロモンが、謹慎処分を撤回し、処分変更と称して、レイバンT−6と共にハルカを『バート』に乗せたのか、その理由を、まだ、ハルカ自身知らないでいた。 『バート』に乗船する前、この船の船長ショーイ・オルニーにそれを聞くと、彼は、なにやら意味深に微笑して「明日になったら教えるよ」と、そう言っただけだった。 もう、一体、なんのなの〜・・・!? ハルカは、セラフィムとは、全く違う船内環境にひたすら戸惑いつつ、形の良い眉を潜めてため息をついた。 この船は、戦艦じゃない。 確かに規律はあるようだが、一度仕事が終われば、船員達の気の抜けようは著しい。 ハルカの上官であるリョータロウも、以前は、時々この『バート』に乗船して、ギャラクシアン・バート商会の仕事を手伝っていたことがあった。 リョータロウも、いつもこうやって絡まれてたのかな??と、そんな疑問を抱きつつ、ひたすら困り果てて苦笑するしかないハルカである。 そんなハルカの眼前に、今度は、一際大柄な機関士クラス・オーベリが、いきなり缶ビールを差し出してきた。 「驚いたか?全然セラフィムとは違うだろ?此処は男所帯でむさ苦しいから、まぁ、一杯飲んで馬鹿騒ぎに加わっておけよ」 そんなことを言うクラスもまた、アルコールで顔が上気している。 ハルカは、慌てて首を横に振ると、戸惑い気味に言うのである。 「ぼ、僕!お酒飲めないから!ってか、飲んだこと無いし!」 そんなハルカに向かって、先程からその肩を抱いたままでいるフランクが、にんまりと笑ってこんなことを言ってくる。 「あ〜れ〜?そうなの?マキ少佐は一緒に飲んでくれたんだよ〜?おっかしいなぁ?」 「だ、だってリョータロウは、レムルと一緒でお酒強いし・・・っ」 「ハルカだって強いかもしれないだろ?飲んでみろよ〜!それとも、酒も女もいけない口??」 「な、何それっ!?全然関連性がわからないよ・・・っ?!」 ハルカは、何故か顔を真っ赤に上気させて、大きく首を横に振りながら、すっかり酩酊状態のフランクをまじまじと顧みる。 そんなフランクを押しのけるようにして、これまた目のすわったフウが、未だに『アンジェリカ』のメディアを握りしめたまま、ろれつの廻らない口調で言うのだった。 「ハルカくん、かのじょはかのじょ〜?いないの〜?セラフィムには、か〜わいいおんなのこ、一杯いるじゃ〜ん?いいよ〜な〜・・・せらふぃむ〜女の匂いがしてぇ?ねぇ、かのじょは〜??」 「い、いないよそんなの!!そ、そんな暇ないって・・・っ!!忙しいんだから!!」 ひどく慌てふためいた様子で、ハルカは、真っ赤な顔のまま、ひたすら首を横に振る。 「もったいね〜なぁ?マキ少佐も前そんなこと言ってたよなぁ〜?あんなに女の子一杯いるのに〜!!くっそ、うらやましい〜〜〜っ!俺も言ってみてぇ〜」 フランクはそこまで言って、突然、しまりのなかった顔を凛と引き締めると、わざとらしく前髪をかきあげて、やたらと改まった顔つきでこう言ったのである。 「『女?そんなの、相手にしてる暇ねーよ』・・・まじ、一度言ってみて〜〜〜っ!!」 誰かの真似をして、やたらカッコはつけてみたものの、言葉の語尾には、既に顔のしまりがなくなっていた。 その見覚えのある仕草に、ひどく思い当たる節のあるハルカは、引きつったように笑って、思わずこう聞き返したのだった。 「フ、フランク・・・そ、それ、誰の真似・・・??」 「マキ少佐〜〜〜・・・あれで年下って詐欺だよな〜?まじ、言ってみて〜!女の相手なんかしてる暇ねーって、言ってみて〜〜!!」 缶ビールをあおりながらそう答え、唇の端を歪めて、フランクはにんまりと笑う。 「ありゃ嘘だな」 と、なにやら確信を持ってクラスが言った。 そして、やはり、にんまりと笑って缶ビールあおり、口元を片手で拭いながら言葉を続けるのだった。 「確かに特定の女はいねーだろうが、ぜってーたまには遊んでるって。見た目も中身も男前、遊びでも関わりてーって女は山ほどいるだろーよ」 豪快に笑ったクラスを、上目遣いでまじまじと見やり、何故かハルカが赤くなる。 確かに、クラスの言うことは当っているかもしれないと、思わずそんなことを思って、ハルカには苦笑するしか手立てがない。 「あれ〜?何か知ってるのかなぁ〜?おじさん、ちょっと聞いてみたいかもぉ〜」 よからぬ想像をしていると思しきフランクが、ハルカの表情の変化を目ざとく見つけ、酒臭くしまりのない顔でじっとハルカを見つめすえる。 ハルカは、またしても慌てて首を横に振るのだった。 「し、知らないよ!!リョータロウ、僕にそんな話しないもん!!」 「ほんとかなぁ?知ってそうだけどなぁ〜??本人にはぜってー言わないから、聞かせてくれよ〜」 「ほ、本当に知らないってば!!」 そう言ったハルカの鼻先に、ぐいっと缶ビールを差し出して、クラスは愉快そうに笑って言うのだった。 「こんな馬鹿と付き会うには、やっぱ飲むしかないぞ、ほら、遠慮するなよ!!」 「え、え、え!?いや、ほんとに、僕飲めないから!!」 「まぁ〜そう言うなよ!ほら!!」 弱り果てるハルカの手に、クラスが、よく冷えた缶ビールを無理矢理握らせた、正にその時だった。 いきなり、娯楽室のオート・ドアが開き、大音響の音楽が止まると、ブーツのかかとを鳴らした誰かの気配が、クラスの背後に誰かが立ったのである。 揺れる長い黒髪と艶やかな褐色の肌。 それは、白いショートローブを纏い、丈の短いジップアップワンピースでしなやかな肢体を包んだ、バートの通信士、ルツ・エーラだった。 ルツは、クラスの襟元を、まるで猫の子でも捕まえるかのように、強力(ごうりき)で掴み上げると、綺麗な眉を怒気で吊り上げながら、凄まじい剣幕で言うのである。 「ちょっと!!何してるのよあなた達!?よくもハルカを、こんな汚ったない場所に連れ込んでくれたわね!?この子はね!ソロモン艦長から預かった大切な子なのよ!? あなた達みたいにスレた人間じゃないの!!余計なこと教え込まないでくれる!?」 艶やかな褐色の肌が彩る綺麗な顔が、さも恐ろしげな表情で鬼気として歪む。 長い睫毛に縁取られた黒い瞳が、その場にいるバートの船員達を、鋭く睨み付けたのだった。 ルツの手につままれたクラスが、思わず、ぴしっと背筋を伸ばしてしまう。 仁王立ちになって片手を腰にあて、とてつもない怒りのオーラを迸らせるルツに、フランクとフウまでもが、酔いも覚める勢いで背筋を伸ばし、その場で膝を抱えたのである。 今まで、言葉通りのグダグダだったバートの船員達が、その一瞬で、全員、それこそ主人に叱られた飼い犬のように大人しくなった。 大の男三人を黙らせたルツの後ろの方では、彼女と共に、この部屋に足を踏み入れていた操縦士、タイキ・ヨコミゾと、バートの船長ショーイの弟、トーマ・ワーズロックが、さも可笑しくてたまらないと言った様子で、必死に声を押し殺し、ガンガンと壁を叩いていたのである。 酔っ払い連中に絡まれ、すっかり弱りきっていたハルカは、突然豹変した連中の態度に、驚いたようにきょとんと目を丸くしたのだった。 まじまじと辺りを見回したハルカに、大きくため息をつきながらルツが言う。 「もう・・・目を離すとすぐこれなんだから!あ〜もぉ、ほんとに・・・ごめんねハルカ?びっくりしたでしょ?この船の連中、本当にまともじゃないから」 その言葉に、おずおずと挙手しながら、どこか切なそうな顔つきでフウが言う。 「姐(あね)さ〜ん・・・それはひどいと思いま〜す・・・一応、まともなつもりでいま〜す」 「私を姐さんって呼ばないでっ!!」 噛付くような勢いでそう言ったルツに、フウは、びくりと肩を震わせて、ハッと手を引っ込めた。 そのフウの仕草があまりも可笑しくて、ハルカは思わず、ぷっと吹き出してしまう。 先程から、ルツの背後で声を殺して笑っていたトーマとタイキは、遂に笑いのリミッターが切れたのか、大声を上げて笑い始めたのである。 「ぶっはははは!怒られてるっすぅぅ―――――――っ!!?姐さんに怒られてやがるすぅぅ―――っ!!馬鹿っす馬鹿!!」 もはやタイキの笑いは止まらない。 もう、床に転がる勢いで両膝をつき、目を涙目にしてガンガンと床を叩きまくる。 その傍らでは、トーマが、広い肩を揺すりながら、既に床に転がっており、腹を抱えて悶えている。 「ほんと、まじ、馬鹿だ馬鹿――――っ!!」 しかし、そんな二人を振り返ったルツが、綺麗な眉を眉間に寄せて、その声を荒げたのだった。 「そこ!!笑ってないで、はやくこの汚ったない部屋を片付けなさい!!何度汚すなっていったら判るのよ!?そこにあるポルノメディアは誰のなの!?さっさと仕舞いなさい!!もう!いつもいつもこんなに散らかして!ほんと馬鹿じゃないの!?一体!あなたたち幾つになるのよ!!?」 その剣幕に、タイキとトーマまでも、ハッと笑いを治め、床から起き上がってその背筋を伸ばした。 すると、床で膝を抱えていたフランクが、何故か挙手をして答えたのだった。 「自分、29でーす。すいませーん、馬鹿で・・・」 それに続いてフウが挙手 「25でーす・・・同じく馬鹿ですみませんっす」 更にクラス。 「・・・33になりやした〜」 そして、タイキまでもが挙手して、こう答えたのである。 「これでも30でーす。よく子供っぽいって言われまーす」 「馬鹿じゃねーの!?なんだよそれ!?自己紹介かよ――っ!!?」 船員達のその反応に、一度笑いを治めたトーマが、再び腹を抱えて大笑いし始めた。 そんなトーマをじろりと睨み、ルツは、殊更怒ったように言うのである。 「トーマ!!これはあなたの監督責任でもあるのよ!?直ぐにバキューム(掃除機)用意して!!全員でさっさと部屋を片付けなさい!!!」 その言葉に、トーマは慌てて口元を抑えると、その長身を立て直して、思わずこう返答したのだった。 「イエスマム!」 いつの間にか「バート」に馴染み、馬鹿騒ぎする船員達を、見事なまでに大人しくさせたルツを、ハルカは、驚いたような、感心したような、そんな眼差しでまじまじと仰ぎ見たのだった。 「す、すごい統率力だね・・・ルツ?」 「この船の連中は、ほんとに始末が悪いのよ!これぐらい言ってやらなきゃ、虫が湧くまでこのままなのよ!?信じられる!?まったく!どいつもこいつも良い歳して!だからこの部屋は子供部屋だって言うのよ!!」 憮然とした表情でそう言ったルツを、ハルカは、大きな瞳をぱちぱちと瞬きさせながら見つめると、ふと、引きつったように笑って聞き返したのである。 「・・・・む、虫??」 「そうよ、荷物と一緒に紛れ込んできた虫がこの部屋で大量発生して、ほんと気持ち悪かったんだから!ああもう!信じられない!!」 さも不愉快そうに声を荒げながら、ルツは、やる気なさそうに片付けをする船員達に激を飛ばした。 「ほら!ぐずぐずしないでさっさとやるのっ!!そこのポルノメディアを先に片付けなさいよ!!いやらしいわね本当に!!食べ残しもちゃんと片付けるのよ!!」 「ル、ルツ、僕も手伝うからさ・・・・・そ、そんなに怒らないで上げてよ、ね?」 ゆっくりと立ち上がりながら、ハルカは苦笑しながらそう言って、羽織っていたトレンチ風のジャケットを脱いだ。 そして、ふうっと大きくため息をつくと、Tシャツの腕をまくって足元の空き缶を拾おうとする・・・が、その目の前に、何故かポルノメディアが突き出され、その向こう側で、フランクがにんまりと笑ったのだった。 「ハルカも観る??大人の映画」 「!!?」 思わず言葉を失ったハルカの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。 次の瞬間、憤慨したルツの拳が、思いっきりフランクの頭を直撃したのだった。 「この子はソロモン艦長から預かった大切な子だって言ってるでしょ!!?そんなろくでもないもの観せないで!!余計なことしてないで!!早く掃除の続きしなさい!!! わかったわね――――――――っ!!?」 したたかに拳骨を落されたフランクが、悲痛な表情で頭を撫でながら、「イ、イエスマム」と答えて、慌てて片付けに戻っていった。 ハルカは、真っ赤な顔のまま、困ったように眉根を寄せて、尚も眉の角を吊り上げるルツを、まじまじと見やったのである。 リョータロウの言うとおり、なんだか、色んな意味で面白い船だな・・・バートって・・・ そんな事を思って、軽く前髪をかきあげると、ハルカは、ふと、可笑しそうに笑うのだった。
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