* 主砲発射体制を維持するアンノウン艦隊に、ソロモンのその言葉は確実に届いていた。 その司令戦艦『ワダツミ』のブリッジは、ガーディアンエンジェルの大型戦闘空母を目の前にしても、冷静さを保ったままだった。 25名のブリッジオペレーターを抱えた戦艦ワダツミのコントロールブリッジ。 そのワンセクション高い位置にある艦長席には、灰色の戦闘服を纏う30代前半と思しき青年の姿があった。 僅かに癖のある黒髪と、静けさの中に、その心内の激しさを伺い知ることの出来る黒曜石の瞳。 その眼差しの凛々しさと精悍で整った顔立ちは、どこか、レイバン部隊ツァーデ小隊隊長、リョータロウ・マキに面影が似ているようであった。 ワダツミの艦長であるその青年は、落着き払った静かな声で、通信オペレーター、イゴール・レメネンに言うのである。 「 “ハデスの番人”の船に、通信回線を開け」 「イエッサー」 イゴールはそう答え、手元のコンソールを叩いて、通信回線を開いた。 ブリッジの大型モニターに通信開始というロゴが表示されると、青年は、端整な唇を静かに開き、冷静な口調で言うのだった。 「こちらはデボン・リヴァイアサン親衛艦隊、戦艦ワダツミ。艦長のショウゴ・ニカイドウだ。“ハデスの番人”レムリアス・ソロモン、久しぶりだな・・・と言っても、そちらは俺の顔を知らないだろうがな」 ワダツミの艦長ショウゴ・ニカイドウからのその通信は、セラフィムのコントロールブリッジを、僅かばかり驚かせていた。 その艦隊が、対トライトニアの過激なテロリスト集団、デボン・リヴァイアサンの所属であったことが驚きの大半を占めてはいたが、ワダツミの艦長と名乗ったショウゴ・ニカイドウの面影が、余りにもリョータロウに似ていて、その驚きに更に拍車をかけたのである。 セラフィムの艦長席に腰を下ろしたまま、ソロモンは、輝くような銀色の髪の合間で紅の瞳を細め、モニターに映るショウゴの顔を真っ直ぐに見つめすえたのだった。 まるで、リョータロウの数年後の姿を見ているような、そのショウゴの面影に、ソロモンは、訝し気に形の良い眉を寄せながら、それでも冷静で鋭い口調で言うのである。 「そうだな・・・確かに俺は、君を知らない。だが、そちらは俺を良く知っているようだ」 モニターの中で軽く首を傾げながら、ショウゴは、唇の角を鋭くもたげた。 『12年前も、今日のように警告をしてきたな?惑星ジルーレの戦艦「ワダツミ」に向かって・・・あの時、おまえが指揮していた船の名は、確か、ケルヴィム。 今、俺が指揮するこのワダツミは、そのケルヴィムに墜された「ワダツミ」の・・・亡霊だ』 そう言って、ショウゴは、組んだ足の膝に片肘を付き、端整な顎を手の甲に乗せると、黒い前髪の下から覗く黒曜石の瞳を、さも愉快気に細めたのだった。 そして、彼は、鼻先でせせら笑う。 惑星ジルーレの戦艦「ワダツミ」。 それは確かに、当時ソロモンが指揮していた高速戦艦ケルヴィムが撃沈した戦艦の名だった。 この青年は、あの船に乗っていて生き残ることができた、数少ない人間のうちの一人だと・・・そういうことなのだろう。 ソロモンの優美な顔が、いつになく厳しい表情に引き締められる。 組んだ長い足の上に両肘を付いて、顎の下で手を組むとソロモンは、静かに言うのだった。 「ニカイドウ艦長。ならば君は、俺の警告に従ってくれるか?あの時、ジルーレのワダツミは、俺の警告を無視した。君は、どう判断する?警告を聞き入れるか、聞き入れないか、此処で回答してもらおう」 『犬死するつもりはない。それが回答だ』 ショウゴは、その精悍な唇に、刃のような笑みを浮かべたまま、冷静な口調でそう答えた。 「警告を受け入れると?」 『訳の判らない大砲門を使うあの民間機のお陰で、俺の艦隊は三分の二を失った。 これ以上部下を死なせるほど、俺は、馬鹿な指揮官じゃない。 今、此処で、おまえのそのデカイ船と戦ったところで、勝ち目はない。だが、負けっぱなしは癪に障る。いずれ、おまえの船は俺が墜す。覚悟しておけ』 このショウゴ・ニカイドウという男は、非常に有能で勇敢な指揮官だと・・・ソロモンは、思う。 友軍の現状と敵艦の力量を全て把握し、戦わずして負けを認める事は、決して愚かなことでも、恥ずかしいことでもない。 その判断が、生き残った部下達の命を長らえさせる手段であるからだ。 もし、自分が指揮する船が、今のワダツミと同じ現状であるなら、ソロモンもまた、彼と同じような判断をしたことだろう。 自分よりも強い相手とがむしゃらに戦うことだけが、戦略では決してないのだ。 この男、リョータロウと似ているのは、どうやら容姿だけではなさそうだ・・・と、ソロモンの端整な唇が、鋭利な面持ちを宿しながら僅かにもたげられる。 「君は非常に優秀な指揮官だな、ニカイドウ艦長。最後に、一つ聞きたい事がある・・・輸送船ユダを襲ったのは、君たちデボン・リヴァイアサンか?」 その言葉に、ショウゴは、前髪から覗く黒曜石の瞳を愉快そうに細めたのだった。 『ただの通りすがりだ。ガーディアンエンジェルには恨みがある、そのガーディアンエンジェルの船から救難信号が出ていた。だから、救助に来た船と一緒に墜してやろうと思った、ただ、それだけのことだ。じゃあな、“ハデスの番人”』 ショウゴはそう言い、もう一度、その唇に鋭い笑を浮かべると、一方的に通信を切った。 セラフィムのモニターに、戦闘体制を解除し、急速にこの宙域を離脱してくワダツミの姿が映し出される。 ショウゴの返答が、果たして真実かどうかは、まだ判断できない。 ツァーデ小隊のレイバンから自動送信されてきた戦闘データでは、12隻もの艦隊が、突然この宙域にワープアウトしてきたとなっている。 ショウゴの言葉を鵜呑みにするには、それは、余りにも不自然すぎる。 デボン・リヴァイアサンは・・・あのワダツミが率いていた戦艦隊は、輸送船ユダの積荷とその行き先をあらかじめ知っていて、わざと襲ったのではないだろうか・・・? たまたま、そこを通りかかったのは、あくまでもギャラクシアン・バート商会の「バート」であり、ショウゴの艦隊は、どこかでガーディアンエンジェルの・・・いやセラフィム所属の識別コードを持つ熱源が、この宙域に来るのを待っていたのではないだろうか・・・? そんな考えがソロモンの脳裏を掠めた時、レーダー通信セクションのナナミ・トキサカが、艦長席を振り返ったのである。 「艦長、バートから通信です。モニター回します」 ふと、ブリッジの大型モニターを見上げたソロモンの紅い瞳に、白いショートローブを纏う、もう見慣れた青年の姿が映し出された。 それは、「バート」の船長、ショーイ・オルニーの姿であったのだ。 ショーイは、揺るがぬ冷静さを保ったまま、開口一声、こんなことを口にする。 『恒星風のデータをセラフィムに送信したのは、「来るな」という意味だったのに・・・それに貴方が気づかないはずはないと、そう思ったんだが?ソロモン?』 艦長席に座ったまま、肘掛に頬杖を付いて、ソロモンは、厳しかった表情を僅かに緩め、唇だけで小さく笑ったのである。 「気づいてたよ、ショーイ。だが、この宙域にはツァーデ小隊がいる。上官としては、様子を見に来ない訳にはいかない。それに、T―1機から送られてきた交信データから、リョータロウが、何をしようとしているか判ったからな。余計に来ない訳にはいかなかった」 『貴方らしいよ、そういうところ。本当に、呆れるぐらいね』 ショーイは、そう言って、白いショートローブの肩は小さく竦めて見せる。 ソロモンは、柔和に唇の角をもたげて小さく笑った。 「それは、誉め言葉だと受け取っておくよ、ショーイ」 『そうしてくれ。恒星風の到達時間までもう時間がない、あれに巻き込まれたら、セラフィムもただじゃ済まない。この分だと、クワトロから発生したフレアも此処まで来そうだ。マキ少佐を信じているなら、セラフィムも今すぐ、この宙域から離脱することだ、ソロモン』 「そのつもりだ・・・もし、余計な手出しをしたら、リョータロウは、信用してないのかって、猛犬のように怒るだろうからな」 『それが判ってるならいいんだ。尤も、一番彼を信頼してるのは、貴方だろうけどね。マキ少佐は、貴方によく似てきたよ。さすが、手をかけて貴方が育てた人間だけはある』 「いや、俺は何もしてないさ。あれは、リョータロウの本質だ」 『彼は、良い指揮官になるよ』 「知ってるよ」 その言葉に、ショーイは、片手で眼鏡を押し上げながら、愉快そうに知的な唇をもたげるのだった。 『座標軸N308SH550を越えたところで待ってるよ。うちの船員達を、回収しなくちゃならないからね。じゃ、また後で』 「ああ」 そこで、ショーイからの通信は途切れた。 ソロモンは、シルバーグレイの軍服を纏う肩で深呼吸すると、不意に、猛禽類の如き鋭利な表情で大きく言うのである。 「エナジーバルブ接続。メインエンジン点火」 ソロモンの声に呼応して、機関長ビル・マードックが大きく声を上げた。 「エナジーバルブ接続完了!メインエンジン点火」 セラフィムの巨大なタービンが重低音を上げながら回転し始める。 広大な宇宙空間で、青いダビデの星を掲げた銀色の船体が小刻みに振動し、後部のメインバーニアが青い炎を蓄え始めた。 「座標軸N308SH550を越えるまで、両舷全速出力最大!セラフィム、発進する」 凄まじい轟音と、セラフィムのメインバーニアが火を吹いた。 暗黒の闇に漂う輸送船ユダを後方に見ながら、戦闘空母セラフィムが急速にその宙域を離脱していく。 その姿をモニターで確認しながら、ソロモンは、銀色の前髪から覗く紅の瞳を静かに閉じる。 リョータロウ、そこにいる全員の命は、おまえに預けた・・・必ず、無事に戻って来い。 ゆっくりと瞳を開くと、ブリッジの風防の左舷には、灼熱の炎を上げるタルタロス太陽が、整然と佇んでいたのである。
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