* 『マキシマム・ムジカ』の5THフロア。 特別リビングのソファに腰を下ろす美少女の前に立って、ガーディアンエンジェルに所属する少年パイロット、ハルカ・アダミアンは、買ってきたばかりの暖かいココアを差出しながら、ひどくあどけなく笑って見せたのだった。 「君が、あの有名な『アンジェリカ』だったんだね?ごめん、全然気付かなくて」 その言葉に、やっと落ち着きを取り戻した、宇宙の歌姫『アンジェリカ』ことガブリエラ・マギーは、綺麗な唇を極自然に綻ばせて、とろけるような甘い笑顔を見せたのである。 「いいの。知ってたら、逆にこっちがびっくりしちゃうよ。私の顔、メディアにはまだ殆ど公開してないから」 余りにも素直で美し過ぎるその微笑に、ハルカは思わず、象牙色の頬を上気させてしまう。 見れば見るほど、彼女はイルヴァによく似ている。 だが、彼女が醸し出すその雰囲気は、イルヴァとはまったく異質のあどけなく愛らしいものであった。 耳元で切りそろえた艶やかな黒髪に片手を突っ込んで、ハルカは彼女の蒼い瞳から、照れたようにその視線を逸らしたのだった。 今、リョータロウとナナミは、別室で警察から事情を聞かれている最中であり、歌姫『アンジェリカ』のマネージャーと思しき女性は、携帯電話を片手に怖い顔をして出て行ってしまったばかりだ。 広い特別リビングにいるのは、事実上、ハルカとガブリエラだけである。 輝くような金色の髪を秀麗な頬に垂らしたまま、ガブリエラは、自分と同じ年頃だろう勇敢な少年に聞くのだった。 「名前、聞いてなかったね?なんて言うの?」 ハルカは、片手に持っていたココアのカップに唇をつけながら答えて言う。 「ハルカだよ。ハルカ・アダミアン」 「ハルカ・・・?なんだか、不思議な響きの名前だね?でも、とっても神秘的!えと、私の名前は・・・」 そこまで言って、ガブリエラはハッと言葉を止めた。 いけない、いけない、ミリーに怒られちゃう・・・ 『神秘の歌姫』を演出するために、プロフィールや本名はスタッフ以外には絶対言うなと、日頃からミリアムに言われているのだ、ここ本名を名乗ってしまっては、そのプロモーションを崩してしまうことになる。 ガブリエラは、誤魔化すように笑って見せると、怪訝そうに小首を傾げたハルカの繊細な顔を、大きな蒼い瞳で見つめ、話題を転じるようにこう聞いたのである。 「ハルカは軍人さんなの?」 「え?うーんと・・・・・・」 突然の質問に、ハルカは、困ったように形の良い眉を寄せると、何かを思い巡らせてから、くったくない口調で答えたのである。 「そうだね、大まかに言えば軍人かも」 「あの人も?」 「あの人?」 「うん、此処に傷のある背の高い人。ハルカと一緒にいた」 ガブリエラは、ソファの上に自分の両足を抱えると、指先で自ら額をなぞってニッコリと笑うのだった。 「ああ、リョータロウのこと?」 何故か誇らしそうに唇をもたげると、ハルカは片手をパーカーのポケットに入れながら、言うのである。 「リョータロウ・マキ少佐。僕の上官だけど、兄さんみたいな人」 「マキ少佐?あんなに若いのに、もう少佐なの?」 「うん、最年少の指揮官なんだ、リョータロウは」 「そうなんだ!凄い勘だよね?あのガードマンが、私を誘拐しようとしてた事、よく気がついたと思う。マキ少佐に気付いてもらえなかったら、私、絶対あのまま誘拐されてたよ」 「リョータロウは経験豊富だからね。洞察力が違うんだよ」 「なんか、凄くカッコいい人だね?映画の俳優さんなんかより、ずっとカッコいいかも!」 実に多感期の少女らしいことを口にすると、ガブリエラは、その金色の前髪の下で、すっかり緊張のほぐれた極自然な表情で微笑んだ。 その言葉に、殊更誇らしそうな顔つきになって、ハルカは笑う。 「リョータロウはカッコいいよ。僕から見てもそう思う。だって、僕、リョータロウに憧れて、パイロットになったんだもん」 ついそう言ってしまってから、ハルカは、ハッと口元を押さえた。 そして、なにやら困ったように眉間を寄せると、思わず、ソファの上のガブリエラに、まじまじとその視線を向けたのである。 案の定、ガブリエラは、きょとんと不思議そうな顔つきをして、小さく首を傾げながら、そんなハルカを凝視していた。 ハルカは、誤魔化すように笑って見せるが、時は既に遅い。 蒼い瞳をキラキラと輝かせながら、ひどく感心した様子でガブリエラは、何故か嬉々としてその綺麗な唇を開く。 「ハルカ、パイロットだったの?」 そう聞かれては、もう、頷くしかないではないか・・・ライトブルーのパーカーを羽織る肩を竦めて、ハルカは、バツの悪い顔つきで小さく首を縦に振るのである。 「・・・う、うん・・・まぁ」 「じゃあ、マキ少佐も?」 「う、うん・・・そ、そうだね」 ガブリエラの質問に、言葉を濁しながらそう答えると、ハルカは、思わずため息をつく。 リョータロウには、余計なことは言うなと念を押されていたのに・・・ こんなだから、天然だの、とぼけてるだのと言われてしまうのだ・・・と、ハルカしみじみそう思う。 だが、そんなハルカの複雑な心中に気付くでもなく、ガブリエラは、ますますその蒼い瞳を輝かせて、歓喜したような声で言うのだった。 「凄い!パイロットなんだ!ねぇ、もしかして、戦闘機(ファイター)パイロット!?」 「ま、まぁね・・・・・・」 「私、今日の昼間、とっても近くで黒い戦闘機を見たばっかりなの!頭の上を凄いスピードで飛んでいったんだよ。お星様のマークが翼に描いてあって、キラキラしてて、本当に、昼間のお星様みたいだった!」 「・・・・・・っ!?」 全く予想だにしていなかったガブリエラの言葉に、ハルカは、手に持っていたココアのカップを危うく落しそうになってしまう。 彼女の口から出た特徴を持つ戦闘機に、やたらと覚えがあるのは、決して気のせいではない。 黒い機体に翼に描かれた星。 どう考えても、レイバンのことではないか・・・ という事は、彼女は、今日、ハルカが誤って侵入してしまった飛行禁止区域のどこかに、いたという事になる。 住宅街のど真ん中を音速で、しかも低空で横切ったのだ、相当な轟音と爆風が巻き起こっていた違いない。 住人にしてみれば、かなり迷惑だっただろう。 急にひどい罪悪感に苛まれて、ハルカはすっかり弱り果てると、右手にココアのカップを握ったまま、左手で自らの額を抑えて、思わず、床の上にしゃがみ込むのだった。 そして、唸るような声で謝罪の言葉を口にしたのである。 「ごめん・・・それ僕だ・・・っ!ほんとごめん!びっくりしたでしょ? ああ、もう・・・ほんとに、反省してるから!凄い音だったよね!? 思いっきり飛行経路外れちゃって、全部僕が悪いんだけど・・・ほんとにごめん!」 その言葉に、ガブリエラは、大きな蒼い瞳を更に大きく見開くと、長い睫毛を揺らしながら盛んに瞬きし、実に申し訳なさそうな顔つきをするハルカを、まじまじと見つめすえたのである。 「やだ、あれに乗ってたの、ハルカだったの?ハルカ、ドーヴァ軍の軍人さんじゃなかったんだ!?私、てっきり、ドーヴァ軍のパイロットなのかと思ってた!」 何故か、やけに嬉々としてそんなことを口にすると、ガブリエラは、手に持っていたココアのカップをテーブルの上に置き、跳ねるようにして床の上に降り立ったのだった。 繊細で秀麗な顔を満面の笑みに満たしながら、もはや、何の弁解もできなくなったハルカの前にしゃがみ込む。 黒い前髪の隙間から、上目遣いでそんなガブリエラを見やり、ハルカは、諦めたように大きくため息をついた。 「うん・・・僕、この惑星(ほし)の軍人じゃないんだ」 「ハルカ、どこの惑星(ほし)の人なの?私、あんな近くで、飛んでる戦闘機見たことなかったから、なんだか感激しちゃったの!凄くカッコよかったよ!あの戦闘機!」 「・・・・・・」 額同士が触れそうなほど近くにしゃがんだまま、ガブリエラは、金色の前髪から覗く、澄んだ蒼い瞳で、困り果てたハルカの顔を真っ直ぐに見つめている。 余りにも真っ直ぐで純粋な彼女の眼差しに、それでなくても素直な性格のハルカは、もはや正直に答えずにはいられなかった。 額に片手を置いたまま、もう一度大きくため息をつくと、ハルカは答えて言う。 「実は僕、ガーディアンエンジェルのパイロットなんだ・・・僕も、リョータロウも、ナナミちゃんも、ガーディアンエンジェルの空母に乗ってる」 「ガーディアンエンジェル!?ガーディアンエンジェルって、どこの惑星(ほし)の組織でもないって言う、あのガーディアンエンジェル!?」 驚いたように声を上げたガブリエラを、前髪の隙間から仰ぎなから、ハルカは小さく頷いた。 「そう、あのガーディアンエンジェル・・・」 「・・・・・・」 綺麗な桜色の唇を半開きにして、きょとんとしたガブリエラであったが、次の瞬間、先ほど以上に歓喜した顔つきになると、両手を白いワンピースの胸元で握り合わせ、なにやら、ひどくはしゃいだ様子でこう言ったのである。 「凄い凄い!ガーディアンエンジェルの人には、滅多に会えないって誰かが言ってたの!!私、そんな人達に助けてもらったんだね!?すごい得した気分!嬉しい!」 「・・・そ、そんなに嬉しいの?」 「うん!だって、ガーディアンエンジェルの船を見ると幸せになれるって、友達が言ってたもん!その船に乗ってる人に会えたら、きっと、もっと幸せになれるよね!?」 どこか的を外したガブリエラの返答に、ハルカは思わず閉口する。 彼女の言っている事は、まさしく都市伝説に他ならない。 まさか、そんな噂がこのドーヴァにあるなんて知りもしなかったが、何故かハルカは、少しだけホッとするのである。 惑星国家によっては、ガーディアンエンジェルを極端に嫌う傾向があるのだが、流石に、協定を結んでいるドーヴァでは、そんなことは無いらしい。 額にあてがっていた手で、そのまま前髪を梳き上げると、ハルカは、困ったような、しかしどこか安堵したような複雑な表情で、小さく笑うのだった。 「し、幸せになれるかどうかは知らないけど、確かに、ガーディアンエンジェルの人間に会える機会は、少ないかも・・・ガーディアンエンジェルの船は、ずっと宇宙を航行してるから、補給の時ぐらいしか惑星には降りないし・・・」 ハルカがそう言った時だった。 不意に、ドアが開く音がして、床にしゃがみこんだままのハルカと、そして、ガブリエラが、ハッとしてそちらを振り返ったのである。 すると。 そこに立っていたのは、黒茶色の癖毛と、凛とした輝きを宿す黒曜石の瞳も持つ、すらりとした長身の青年だった。 広く精悍な額から眉間を抜け、右目の下まで残る斜めの細い傷痕。 その傷痕が、彼の端整な顔を、殊更な威厳ある鋭利なものに見せていた。 それは、他でもない、ハルカの上官にして兄代わりでもある、リョータロウ・マキであったのだ。 リョータロウは、凛とした眉を実に怪訝そうに眉間に寄せ、子供が内緒話でもしているかのような年少者の二人を、まじまじと見つめやるのだった。 「何やってんだ?そんなとこに座りこんで?」 「リョータロウ!お帰り!何でもないよ、ただ話してただけ」 ハルカは、慌ててその場で立ち上がると、何かを誤魔化すような笑を浮かべながら、リョータロウの傍らに歩み寄ったのである。 同時に、金色の長い髪を白いワンピースの肩で揺らして、ガブリエラが立ち上がった。 イルヴァに良く似た繊細で秀麗なその顔に、日が差すような満面の笑みを湛えると、彼女は、綺麗な桜色の唇を嬉々として開いたのである。 「今夜はありがとうございました。お陰で助かりました。マキ少佐に気付いてもらえなかったら、私、本当に誘拐されるところでした」 何故か、階級付きで自分の名を呼んだガブリエラに、一瞬、不思議そうに首を傾げたリョータロウだったが、次の瞬間、何かに気付いて、あきれ返ったように傍らのハルカを顧みたのだった。 「・・・おまえ、喋ったな?」 「ご、ごめん、遂・・・」 ハルカは、誤魔化すように笑って首を竦めると、艶やかな前髪の下から、まじまじとリョータロウの顔を仰ぎ見た。 リョータロウは、カーゴジャケットの肩で大きくため息をつくと、片手で長い前髪を梳き上げながら、諦めきった眼差しで虚空を仰ぐ。 「おまえは昔から隠し事の出来ない性格だからな・・・・・・まぁ、いい」 「リョータロウ・・・呆れてるでしょ?」 「聞かれなくても呆れてるよ」 「そ、そんなにはっきり、言わなくても・・・」 拗ねたような視線でこちらを見やるハルカに、リョータロウは、精悍な唇だけで愉快そうに微笑った。 そんな二人のやり取りを、やけに興味津々といった様子で眺めていたガブリエラが、突然、ぷっと吹き出すと、片手で口元を抑えながら、くすくすと笑ったのである。 「なんだか、上官と部下っていうよりは、本当に兄弟みたいだね?」 その言葉に、ふとガブリエラに振り返ったリョータロウが、軽く前髪を梳き上げながら答えて言うのだった。 「似たようなもんだよ。こいつ、頭の出来は良いくせに、変にとぼけてるからどうしようもなくてな」 不満そうに唇を尖らすハルカの背中を軽く叩くと、リョータロウは、相変わらずの口調で言葉を続ける。 「帰るぞハルカ、ナナミが待ってる。あんまり遅くなると、もう一枚始末書を書くはめになるからな」 「イエッサー」 リョータロウは、広い胸元でシルバーのペンダントを揺らしながら、ゆっくりとカブリエラに背中を向けた。 それに倣うように、ハルカもまた、彼女に背中を向けようとする。 「あ、ちょっと待って!」 その時、満面の笑みを浮かべるガブリエラが、そんな二人を呼び止めたのだった。 きょとんとして振り返ったハルカの前に、ふわふわとした金色の髪が、たゆたいながら跳ね上がった。 ハルカは、艶やかなストレートの髪の下で、きょとんと目を丸くする。 立ち止まった二人の眼前に、なにやら改まったような顔つきをして、後ろに手を組んだガブリエラが立った。 そして、とろけるような甘い微笑みを浮かべると、軽く背伸びをし、驚くハルカと、さして表情も変えず、相変わらず落ち着いているリョータロウの頬に、小さく接吻(キス)したのである。 「今夜はありがとうごいざいました」 それは、宇宙の歌姫からのほんのささいな謝礼であった。 リョータロウは、唇だけで微笑して「いや」と答えると、火が出るほど顔を真っ赤にしているハルカの肩を叩きながら、ガブリエラに向かって言うのだった。 「歌、頑張れよ」 その言葉に、ガブリエラは、ひどく嬉しそうに笑うと、秀麗な頬をほんのりと赤らめて、少しだけ照れながら答えたのである。 「はい!またどこかで・・・会えたら嬉しいです」 それには何も答えずに、リョータロウは軽く片手を上げ、リビングのドアを押し開けた。 「あ!リョータロウ待って!」 ハルカは、真っ赤な顔のまま慌ててリョータロウを追いかけると、肩越しにガブリエラを振り返り、咄嗟にこう言ったのである。 「君、有名人だから、またこんなことあるかもしれないし・・・ほんと、気を付けてね!」 すっかり照れて、まともにガブリエラの顔を見れなかったハルカが、リョータロウと共にドアの向こうへと姿を消していく。 ガブリエラは、その桜色の唇を綻ばせ、とろけるような甘い微笑みを刻みながら、広大な宇宙を行く大組織のパイロット達を、どこか誇らしげに見送ったのである。 「ガーディアンエンジェル(守護天使)・・・・・宇宙(そら)飛ぶ天使さん達、か・・・」 そう呟いて、もう一度ニッコリ笑ったガブリエラが、嬉しそうに小首を傾げた。 惑星ドーヴァの首都ミグニンが、明るい夜に染まっている。 彼女が、惑星トライトニアに旅立つまで、あと、ほんの一時間あまりに迫っていた。 だが、この時、美しい宇宙の歌姫は、まだ知らないでいたのだ。 やがて、大宇宙を揺るがす激しい騒乱の渦に巻き込まれることになることも、そして、彼女自身がまだ知りえない秘密が、その渦の中核を成すだろうことも。
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