紫色の宵闇に艶やかな黒髪が棚引き、ワイヤーが伸びる鋭い音が周囲にこだまして、ハルカの体は、無重力状態で一気に下へと降下していく。 狭い扇型の動線で2NDフロアの非常階段に到達すると、ハルカは、ワイヤーにロックをかけ、その反動を利用して手すりを飛び越えて、そのまま、機敏な仕草で踊り場へと着地したのだった。 不意に、上階から降りてくるせわしい足音が、ハルカの聴覚に飛び込んでくる。 非常階段の上方にその銃口を向け、セーフティーロックを解除したハルカが、少女に間違われるほど繊細なその顔を、いつになく凛と強い表情に満たした。 徐々に足音が近づいてくる。 螺旋に連なる階段の上に、白いワンピースが翻った。 あの美しい少女を引き摺るような形でその場に姿を現した警備員が、下階の踊り場にハルカの姿を見つけ、一瞬、驚愕したようにその両眼を見開く。 ハルカは、鋭い顔つきで階段の上を睨み据えたまま、両手で銃を構えた姿勢で、短く鋭く叫んだのだった。 「止まれ!!」 そんなハルカの視界で、指を失った警備員の手が、自らの制服の懐に伸びた。 刹那。 乾いた発砲音が紫色の宵闇に響き渡ったのである。 上階の踊り場から斜めに空を切った豪速の弾丸が、鮮やかなほど正確な動線を虚空に描きだし、グレネードを取り出そうとした警備員の右肩を一瞬で撃ち抜いたのだった。 間髪入れずに、再び発砲音が響くと、今度は、その左太腿が撃ち抜かれる。 勿論、その二発の弾丸は、警備員が連れ出そうとした少女に寸分も掠ることなく、細い白煙を上げて階段にめり込んだ。 低いうめきを上げた警備員が、体の平衡を崩して前のめりに倒れると、そのまま、派手な音を共に、階段の上からハルカの足元辺りまで転げ落ちてきたのである。 ハルカは、機敏な仕草で腰を落すと、倒れ伏した警備員の左腕を捻るようにして抑えこみ、階段の上に向かって大きく叫んだのだった。 「リョータロウ!確保!!」 静かな足音と共に、片手に銃を構えたリョータロウが、上階の踊り場からゆっくりと階段を降りてくる。 その広い胸元で、シルバーのボール・チェーンに着けられた円柱型のトップが揺れ、涼しやかな音を立てた。 「上出来だ」 リョータロウは、黒茶色の髪をビル風に遊ばせながら、精悍な唇に小さな微笑を浮かべ、ハルカの素早い行動をそう賞賛したのである。 そして、階段の途中で立ちすくみ、がたがたと華奢な肩を震わせているあの少女の肩を、その大きな掌で軽く叩いたのだった。 「怖い思いをしたな?大丈夫か?」 少女はびくりと体を震わせると、金色の長い髪を揺らしながら、静かにリョータロウを振り返る。 ビル風に跳ね上がる前髪の下で、少女の美しい蒼の瞳が一杯の涙で潤んだ。 リョータロウは、驚いたように広い肩を震わせて、思わずその場で立ち止まる。 「・・・だ、大丈夫・・・です」 震える声でそう答えた少女の顔立ちは、セラフィムに乗船している美しいセクサノイド、イルヴァの顔立ちに驚くほど良く似ていた。 こんなに偶然が、世の中にはあるものなのか・・・?ふと、そんな事を思ったリョータロウの視界で、イルヴァに良く似たその少女は、遂に、大きな蒼い瞳から、ぽろぽろと大粒の涙を零し始めたのである。 彼女は、何か言おうと桜色の綺麗な唇を開きかけるが、もはや言葉にはならなかった。 リョータロウは、そんな彼女に小さく微笑って見せると、静かにその脇を通り過ぎながら、冷静で落着き払った声で言うのである。 「俺たちは敵じゃない、安心していいぞ。すぐに警察が来る、少し待ってろ」 軽い足音を響かせて階段を降り切ると、リョータロウは、機敏な物腰で腰をかがめ、ハルカが抑えつけている警備員の頭に銃口を突きつけたのだった。 ハルカは、安堵したように大きく息を吐くと、跳ね上がる艶やかな黒髪の下で、少しだけ誇らしげに笑ったのである。 凛と強い黒曜石の瞳で、そんなハルカを顧みたリョータロウは、精悍な唇を愉快そうにもたげると、軽く顎をしゃくりながら言うのだった。 「ハルカ、おまえ、警察がくるまであの子の傍にいてやれ。おまえと同じぐらいの歳だし、そういう役は、強面(こわおもて)の俺より、天然のおまえの方が適任だ」 「て、天然!?な、なにそれ!?」 リョータロウの言葉に、緊張感もなく素っ頓狂な声を上げたハルカが、なにやら心外そうに唇の先を尖らせる。 リョータロウは、殊更愉快そうに笑ってこう答えた。 「本当のことだろ?頭良いくせにどこかとぼけてる所が、おまえの良い味だしな」 「リョータロウ、それ、僕を誉めてるの?貶してるの?」 ますます心外そうに、形の良い眉を吊り上げたハルカの髪を、空いている片手でくしゃくしゃと撫でて、リョータロウは、さして悪びれもせず、もう一度軽く笑ったのである。 「誉めてるんだよ。いいから、早くあの子を落ち着かせてやれ、俺はこいつに、少し聞きたいことがある」 ハルカは、なにやら納得がいかない様子でまじまじとリョータロウの顔を見つめると、パーカーの肩でもう一度ため息をついて、「了解」と答えると、階段の上へと素直に足を向けたのだった。 そんなハルカを横目で見送ると、リョータロウは、端整で精悍な顔を凛と鋭く引き締めて、先ほどから、ギラギラとした眼差しでこちらを睨んでいる、あの警備員をゆっくりと顧みたのである。 冷静だが、ナイフのような鋭さを持つ黒曜石の瞳が、揺れる黒茶色の髪の下で細められた。 広い額から右目の下まで刻まれた細い刃傷が、リョータロウの精悍さを殊更威圧的に見せている。 警備員・・・正確には、この『マキシマム・ムジカ』の警備員を装った若い男は、床の上に伏したまま、苦々しい声で言うのだった。 「貴様・・・っ、私服刑事かっ?」 その言葉に、リョータロウは、唇の隅を軽く吊り上げながら、低く鋭い声色で答えた。 「ただの通りすがりだよ。そういうおまえこそ、ただの誘拐犯にしては、随分と良い訓練を受けてるみたいじゃねーか?どんな目的であの子を浚いたかったかは知らないが、見つかった相手が悪かったな」 吹き抜けたビル風にリョータロウの羽織るカーゴジャケットがふわりと広がり、肩から下げられたホルスターが明るい宵闇に露になった。 そこに刻まれたエンブレムには、青い六芒星が描かれている。 それを目にした瞬間、男は、苦痛に歪んでいた顔を驚愕に歪め、ギラギラした瞳を大きく見開いたのだった。 「ガーディアンエンジェル!?」 「だったらどうした?」 「貴様等!アルキメデスの時と同じ、また我等の計画を邪魔するつもりかっ?!」 男の口から零れたその言葉に、リョータロウの瞳が閃光の如く発光する。 「アルキメデス・・・・・?」 突きつけた銃のトリガーに指をかけたまま、リョータロウは、何かに気付いたように、その広い肩を揺らしたのである。 アルキメデス、そして、計画を邪魔されたと言う言葉から連想できる組織は、たった一つしかない。 凛と強いその眼差しが、先程以上の鋭利な煌きを宿し、真っ向から男の顔を睨みすえると、低く鋭い声色でリョータロウは言う。 「おまえ・・・・・・デボン・リヴァイアサンのメンバーか?」 その時、『マキシマム・ムジカ』の周辺にけたたましいサイレンの音が鳴り響き、ラファエルアベニューと名付けられた大通りに、数十台のパトカーが走り込んできたのだった。 リョータロウは、鼻先だけで笑うと、鋭い声色のまま言葉を続けたのである。 「おまえを拘束するのはガーディアンエンジェルじゃない、ドーヴァの警察だ」 ビルの合間を吹き渡る風が、リョータロウの髪をふわりと虚空に跳ね上げ、その広い胸元で、円柱型のペンダントトップが銀鈴のような音色を刻む。 明るい夜の『マキシマム・ムジカ』は、警察の到着により、先ほど以上に騒然となったのである。
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