* 「ハルカ、この階の見取り図を出せ、外に逃げられそうな場所はいくつある?」 冷静で的確なリョータロウの声に、ハルカは、ヴィンテージジーンズのポケットからモバイルPCを取り出し、銃を小脇に挟んだままタッチパネルを叩いた。 時間的に、まだ外には行っていないはずだ。 あの少女も、恐らく、異常事態に気付いているはず。 素直に着いて行くとは思えない。 小さな子供ならいざ知らず、多少なりとも抵抗しているだろう、だとすれば、自然に足は遅くなる。 展示されている楽器の合間を俊足で駆け抜けながら、ハルカは、いつになく凛とした声色で答えて言うのである。 「窓は無し、非常通路は三つ。さっきの場所から一番近い非常通路は・・・突き当たり左」 「そこだな」 「うん。犯人も、早くこの建物を抜け出したいだろうからね!」 岩を象るオブジェを軽く飛び越え、二人の俊足は、左手に見える非常通路の入り口へと躊躇いもなく駆け込んでいく。 さして広くもない通路の両脇には在庫楽器が重ねられ、視界に嫌な死角を作る。 その先にある緩やかなクランクに、ちらりとだけ人影が映った。 長い通路を俊足で走るハルカとリョータロウの足音に、別の足音が重なる。 あの少女を連れた警備員は、間違いなくこの先にいるはずだ。 キャップの下から眼前を睨むリョータロウの瞳が、ナイフの如く鋭利に細められた。 「ハルカ、撃ってくるかもしれない。気を付けろ」 「イエッサー!」 ハルカの刻みの良い返答と共に、クランクを曲がりかけたその次の瞬間。 「きゃあぁぁぁ――――っ!!」 クランクの先で、けたたましい少女の悲鳴が上がり、それと同時に、乾いた発砲音が辺りに響き渡ったのである。 クランクを曲がりきった二人の視界に飛び込んできたのは、顔面を鮮血に染め、仰向けで通路に倒れた男性従業員の姿と、あの少女が被っていた、つばの広い帽子であったのだ。 倒れている男性従業員は、眉間を数発撃ち抜かれ、既に息絶えている。 リョータロウが一瞬だけ顧みたその弾痕は、明らかに素人の腕ではない。 この先で通路は三方向に分かれる。 撃ってくるとしたら、次のカウントだ・・・リョータロウがそう思い巡らした刹那である。 不意に、左の通路の壁際から、銃を構えた腕が伸びたのだった。 だが、リョータロウの方が迅速(はや)い。 視界の隅に相手の銃口を捉えた瞬間、リョータロウの指は、銃の引き金をバーストで引いている。 「ハルカ!飛び込め!!」 「イエッサー!!」 リョータロウの銃から、正確な軌跡を描いて発射された豪速の弾丸が、あの警備員の銃を指ごと弾き飛ばし、カウント3を数えたハルカが、非常階段に抜ける通路へと転がるようにして飛び込んだ。 艶やかかな黒髪が虚空で揺れ、凛とした顔つきで銃を構えたハルカの視界に、日の光の切っ先にも似た美しい金色の髪が映り込んでくる。 通路の床の上には、一人の少女が、小刻みに肩を震わせながらうつむき加減になってしゃがみこんでいた。 透き通る白皙の頬は蒼白に染まり、金色の前髪から覗く美しい蒼の瞳が、ひどく怯えた様子でハルカを仰ぎ見る。 失われた惑星の色に似た大きな蒼い瞳と、それを縁取る長い睫毛。 繊細で清楚な面持ちを持つ、均整の取れた秀麗な顔立ちは、何故か、ハルカのナニーであったセクサノイド、イルヴァにとてもよく似ていた。 「!?」 ハルカは、一瞬、驚いたようにその黒い瞳を大きく見開いた。 その少女に、ハルカが気を取られた、次の瞬間。 壁際でうずくまっていた警備員が、にわかにその足を振り上げたのである。 しまった!! そう思った時には既に遅い。 ハルカは、思い切りみぞおちを蹴り飛ばされ、その反動で、体ごと後方へと弾かれたのだった。 「うわ・・・っ!?」 咄嗟に受身を取って床に転がったハルカの傍らに、銃を構えたままのリョータロウが駆け込んで来る。 「おい!大丈夫か!?」 「リョータロウ!?僕なら大丈夫、でもあの子が!」 ハルカが慌てて跳ね起きると同時に、あの警備員が、少女を引き摺るようにして非常階段へと駆け出していく。 警備員は、その懐からグレネードを摘み出すと、渾身の力を込めてこちらへ投げつけてきたのだった。 チッと舌打ちしたリョータロウが、その腕にハルカを抱え、先ほど走ってきた通路へと迅速で身を翻す。 脱げたキャップが床に落ちるのと、投げつけられたグレネードが轟音を上げて爆発するのがほぼ同じ時であった。 床に伏せた二人の頭上を、凄まじい爆風が駆け抜けていく。 爆音と振動が壁を揺るがし、一瞬だけ立ち昇った赤い炎が天井辺りにまで到達すると、それを感知したセキュリティーセンサーが、けたたましい火災警報を鳴らしたのである。 天井に取り付けられたスプリンクラーが回り始め、揮発性の強い特殊な水が、白煙が立ち込める通路中に降り注いだ。 リョータロウは、床に跳ね上がる水滴の合間で、軽く頭を振って機敏に立ち上がると、凛と強い表情で銃を構え直す。 僅かに遅れてハルカが立ち上がり、ひどく申し訳なさそうな顔つきで、そんなリョータロウの凛々しい横顔をまじまじと顧みたのだった。 「ご、ごめん!リョータロウ!」 「おまえはまだまだ経験不足だな・・・・・・いいから行くぞ!」 咄嗟に謝るハルカにそう答え、リョータロウは、精悍な唇だけで小さく微笑すると、広い肩をスプリンクラーから降る雨で濡らしながら、非常階段へと続く通路へ駆け出したのである。 「イ、イエッサー!」 ハルカは、慌ててリョータロウの背中を追った。 リョータロウには、いつも守ってもらってばっかりだ・・・ なんだかひどく情けない思いにとらわれながら、頼りがいのあるリョータロウの背中を見つめ据えると、ハルカは、気を引き締め直し銃を構えたのである。 床にたまった水を跳ね上げて、ハルカと、そしてリョータロウの俊足は、降り注ぐ水滴の向こうに見える、あの警備員と少女の姿を追いかけた。 相手は利き手の指を二本も失っている、とても銃を使える状態ではない、追いつけば、間違いなく拘束できる。 水滴に霞む二人の視界の中で、少女を引きずった警備員が、オート・ドアを蹴破るようにして開け放ち非常階段へと消えていく。 リョータロウは、ブラックジーンズのポケットから小型ウィンチを取り出すと、それを、ハルカに向かって放り投げながら、冷静だが鋭い口調で言うのである。 「外に出たら、おまえはそれで下の階まで降りろ、俺は後ろからやつを追う。挟み撃ちにするぞ」 ハルカは、ウィンチを受け取って、いつなく強い表情で答えて言うのだった。 「イエッサー!今度は上手くやるから!」 力強いその返答に、リョータロウは、唇だけで愉快そうに笑った。 眼前のオート・ドアが音もなく開くと、そこには、ネオンのないミグニンの街並みが悠然と広がっている。 ハルカの艶やかな黒髪と、リョータロウの黒茶色の癖髪が、立ち並ぶビルの合間を抜ける強い風に煽られて、明るい夜のしじまに乱舞した。 一度互いの顔を見合わせて、小さく頷き合った後、リョータロウは、銃を構えた姿勢を保ちながら、その俊足で、一気に階段を駆け下りていったのである。 ハルカは、大きく深呼吸して気合を入れなおすと、小型ウィンチの先端を踊り場の床に打ち込み、細いワイヤーを片手で引いてしっかりロックされたことを確認した。 そして、ウィンチの取っ手を掴み、機敏な仕草で踊り場の手すりに飛び乗ると、もう一度深呼吸して、ゆっくりと下方を眺めやったのである。 ミグニンの建物に高層ビルは無い。 それもまた、街の美観を損ねないために、ドーヴァ政府が建物の高さを規制しているためだった。 勿論、この『マキシマム・ムジカ』も例外ではない。 それでも、此処から地上まではかなりの高さがある。 いくらウィンチで降りるといっても、恐怖を感じない訳では決してない。 ハルカは、ぎゅっと唇を噛締めて、その恐怖を必死で抑え込む。 先ほどリョータロウは、「まだまだ経験不足」だとハルカに言った。 確かにその通りだと、ハルカ自身も思う。 きっとリョータロウなら、躊躇いもせずに、このまま虚空に身を躍らせて一気に降下するのだろう。 ハルカには、その勇気がまだ少し足りない。 それでも。 いつまでも、リョータロウに助けて貰う訳には、守って貰うわけにはいかないのだ。 そう決めて、レイバンパイロットになったのだから。 吹き付ける強いビル風が、艶やかなハルカの黒髪を紫色の虚空に跳ね上げる。 宇宙の色にも似た澄んだ黒い瞳を、意を決した様子で凛と煌かせると、ハルカは、軽く手すりを蹴って、その身をミグニンの明るい夜へと投げ出したのだった。
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