* ラレーラ星系第三惑星マルタリア。 ギャラクシアン・バート商会と、ガーディアンエンジェルの戦闘空母エステルが、アルキメデスで激しい攻防戦を始めた頃、惑星マルタリアの戦艦ドック『ドーラ』に曳航されているセラフィムに、若きエースパイロットが帰艦した。 先に帰艦しているだろうハルカ・アダミアンの顔を見に行くでもなく、ツァーデ小隊所属のパイロット、リョータロウ・マキは、渋い顔つきをしながら、艦長執務室に足を踏み入れたのである。 セラフィムの艦長レムリアス・ソロモンは、ふと、コンソールパネルを叩く手を止めて、銀色の前髪から覗く紅い瞳を、デスクの向こう側に立ったリョータロウに向けた。 そして、端整な唇で小さく微笑すると、私服姿のまま、眉間にしわを寄せて立ち尽くすリョータロウの顔を、どこか愉快そうに見つめやったのである。 大きな椅子に広い背中を委ねながら、ソロモンは、肘掛に頬杖をついた姿勢で、静かに口を開く。 「イルヴァから報告は受けた。無事で良かったよ、リョータロウ。尤も、おまえのことだ、さして心配はしていなかったが」 その言葉が終わると同時に、リョータロウは、凛とした面持ちを持つ精悍な顔を、やけに神妙な表情で満たし、茶色に染めた癖毛の下で、黒曜石の瞳を悔しそうに細めたのである。 「一つ謝らなきゃならない、ソロモン」 「何を謝るんだ?リョータロウ?」 端整な唇の角を柔和にもたげ、ソロモンは、落着き払った物腰のまま、真っ直ぐにリョータロウの瞳を凝視する。 リョータロウは、その視線を反らすでもなく、いつになく冷静な声色で言うのだった。 「俺がガーディアンエンジェルの人間だってこと、タイプΦヴァルキリーにバレた」 「それで?」 「そのヴァルキリーを・・・拘束も破壊もできなかった」 「そうか」 さして驚いた様子もなく、やけに穏やかな表情のまま、ソロモンは小首を傾げると、ゆっくりと長い足を組替えて、再び小さく微笑したのである。 「タイプΦヴァルキリーを拘束しろとも、破壊しろとも、俺は言ってないからな」 「何言ってんだよあんた!?『ドーラ』のことが、トライトニアにバレたらどうすんだよ!?」 本来なら、叱責されなくて良かったと、胸を撫で下ろすところなのに、何故か、リョータロウは、広いデスクの上に乱暴に両手を着いて、怒ったようにそんな言葉を口にしたのである。 あまりにも彼らしいその行動に、ソロモンは、殊更愉快気に唇をもたげると、相変わらず冷静な口調で言うのだった。 「その時はその時だ、今から考えることでもない。それに・・・・わざわざ報告しに来るぐらいだ、おまえ、何か理由があって、そのヴァルキリーを逃がしたんだろ?」 「・・・・・・」 結局、ソロモンには全てお見通しなのだと・・・リョータロウは、パーカーの肩を竦めて、大きくため息をついた。 うっとうしそうに前髪をかきあげると、ソロモンの紅い瞳を見つめたまま、静かに口を開いたのである。 「まったく、あんたは昔からそうだ・・・普通は怒るところだろ?」 「そう思うなら、何故そのタイプΦヴァルキリーを逃がしたのか、その理由を話してみたらどうだ?叱るか叱らないかは、それから決める」 そう言って微笑するソロモンを、どこか呆れた視線でまじまじと凝視すると、リョータロウは、黒曜石の瞳を一度デスクの上に落として、神妙な声色で答えるのだった。 「なぁ、ソロモン・・・タイプΦヴァルキリーには人間と同じ感情がある、そうだよな?」 「ああ。イルヴァを見てればわかるだろ?」 「・・・・今日会った、女のヴァルキリーは・・・仲間のヴァルキリーから俺を庇った。 俺の素性を知ってたくせに、少なくとも、俺の目の前では、一言もそれを口にしなかった・・・」 「そうか。それなら恐らく、そのヴァルキリーは、今、この星にガーディアンエンジェルがいることを、上官に報告などしないだろう。 したがって、やはりおまえを叱る必要も無い」 妙にあっけらかんとそう言ったソロモンを、またしても怒ったような顔つきで見据えると、リョータロウは、凛とした眉を吊り上げたのだった。 「なんでそんなことが判るんだよ!?」 実に乱暴な口調で紡がれたその質問に、ソロモンは、可笑しそうに紅い瞳を細めると、デスクの上に両肘を着いて、組んだ両手に端整な顎を乗せたのである。 銀色の前髪から覗く視線が、怖い顔をしているリョータロウを穏やかに眺め、その端整な唇が、再び、ゆっくりと開いた。 「俺がイルヴァを見ている限り、タイプΦヴァルキリーはとても愛情が深い。一度好意を抱いた人間を、裏切るような真似はしない・・・恐らくな」 「それは憶測だろ?メイヤがイルヴァと同じとは限らない!」 「メイヤ?」 不思議そうにそう聞き返してきたソロモンに、リョータロウは、バツが悪そうにぼりぼりと頭を掻くと、諦めたように肩をすくめて、無愛想に答えて言うのである。 「そうだ、メイヤだ。あいつ、自分は欠陥品で、戦闘時のメモリーは全部消されてるって言ってた。馬鹿みたいに無邪気で警戒心が薄くて、俺に、名前をつけてくれって・・・だから、適当につけてやった。つまんなそうな映画のタイトル」 その言葉に、さも愉快そうに微笑すると、ソロモンは、確信を持った様子で頷いたのだった。 「ならば尚更、そのヴァルキリーは、おまえの素性を誰にも言わないはずだ」 「なんで?」 「イルヴァもそうだった。”イルヴァ”という、人間としての名前を与えたら、彼女の態度は急激に軟化した。人間として扱ってもらえることが、恐らくは彼女達にとっての幸福なんだ。だから、彼女達を機械でなく、人として扱った人間を、裏切るはずがない・・・・ おまえ、そのヴァルキリーに、だいぶ好かれたんだな?」 「・・・・・・・」 ふと押し黙ったリョータロウが、実に複雑な表情をして、片手を髪の中に突っ込んだ。そして、僅かばかり躊躇いがち視線を泳がすと、ゆっくりと口を開いたのである。 「メイヤに、何でマルタリアに来たのか聞いてみた。ジェレミー・バークレイと一緒に来たらしい・・・・それで」 「それで?」 「その・・・・」 「なんだ?」 「どういうことだか、俺にはわかんねー・・・でも、あいつ、”人間の男とセックスしろ”って言われたらしい。”そうすれば全てが上手く運ぶ”とも・・・・タイプΦヴァルキリーには、そんなことができるのか?」 リョータロウらしからぬ、あまりにもストレートなその質問に、ソロモンは、もう一度愉快そうに笑う。 その言葉から、トライトニアの動向を察したのか、その視線を、付けっぱなしのモニターに移して、片手でコンソールパネルを叩きながら、落着き払った口調で答えるのだった。 「ヒルダが言うには、タイプΦヴァルキリーは生殖行為が可能だそうだ。 ワーズロック博士は、あのタイプのヴァルキリーに、人間と同じ愛情表現の方法を与えた・・・・つまり、そういうことだ」 「だ、だったら!なんでそんなこと!わざわざこの星にきて・・・・!?」 「恐らく、トライトニアは、アルベータ装甲のライセンスが目的なんだ」 「アルベータ装甲?それとその・・・・・・それとどんな関係があるんだよ?」 「おまえは知らないかもしれないが、マルタリアの国家主席は、優れた経済手腕を持っている反面、とんでもない好色家だ。 トライトニアは、ライセンスを優先的に貸しうける手段として、タイプΦヴァルキリーに目をつけたんだろう。トライトニアのヴァルキリーは、優れた戦闘能力を持っているだけじゃなく、容姿も秀でている。ましてやヴァルキリーは人間じゃない・・・いい好奇心の対象になりうる」 「つまり・・・・・・・交渉の道具に、されるってことか?」 「そうだな。かなり古典的ではあるがな」 ソロモンがそう答えた瞬間、リョータロウの顔が、みるみる怒気に歪んでいった。 デスクの上に着いた手が、震えるほどに強く握り締められる。 彼の生い立ちを知るソロモンは、何故、リョータロウが、この手の話に関して、これほどまでに過剰反応するのか、その理由に察しがついていた。 リョータロウの生まれ育った惑星ジルーレは、倫理的にとても退化した惑星国家だった。 保守的な考えの中で、リョータロウの母親もまた、軍人である父親の”出世の道具”として扱われていたのだ。 それに疲れ果てた母親は、父親とリョータロウの目の前で、自らの頭を銃で打ち抜いて死んだ。 ケルヴィムに乗船したての頃、リョータロウは、その時の光景を、淡々と、涙を流すこともなく、ソロモンに語ったことがある。 あの時の痛々しさは、今思い出しても、じりじりと心が締め付けられるほどだ。 そんな哀しい幼少時代の思い出を持つリョータロウは、人間が道具として扱われることに対して・・・・特に女性が、利害の道具として扱われることに対して、激しい嫌悪感を抱いている。 恐らく、そのヴァルキリーが置かれている状況にも、同じような嫌悪と憤りと感じているのだろう。 感慨深げに瞼を閉じたソロモンの耳に、苦々しいリョータロウの声が響いてくる。 「あいつ・・・・・・そんなことは嫌だって、そう言ってた。あいつは、敵で、いくらメモリーが無いって言ったって、仲間を殺したことには変わりない。だけど・・・・」 「・・・・・・・」 「あいつは、人間の女と同じだ」 ゆっくりと瞼を開いたソロモンの紅の瞳が、厳しい表情で眉間を寄せ、黒曜石の瞳を爛と閃かせたリョータロウを、真っ直ぐ揺るぎない視線で見つめる。 ソロモンは、優美な頬にかかった銀色の髪を片手で梳き上げて、徐に口をひらくのだった。 「それで、おまえはどうしたいんだ?」 「どうしたい・・・って」 「そんなことを俺に言うぐらいだ、どうにか救ってやりたいと、そう思っているんじゃないのか?」 「それは・・・・・・・・でも、あいつは、敵だ」 「そうだな、確かに、ガーディアンエンジェルにとっては、敵かもしれない。 だが、少なくとも、おまえ個人とは、敵じゃないかもしれない・・・」 「だけど!俺がガーディアンエンジェルの人間であることは変わらないだろ!?」 「ガーディアンエンジェルのマキ少尉と、一個人のリョータロウ・マキとは、また少し違うんじゃないのか?」 「なんだよそれ?訳わかんねーよ!」 なにやら困惑したような顔つきをして、片手でくしゃくしゃと前髪をかき回すと、リョータロウは、苛立ったようにスニーカーの爪先で床を蹴った。 さして子供の頃と変わらないその仕草に、ソロモンは、可笑しそうに紅の瞳を細めると、再び、肘掛に頬杖を付いた姿勢で静かに口を開いたのである。 「まぁ・・・トライトニアにアルベータ装甲を持っていかれると言うなら、いささか癪にも障る。だが・・・ジェレミー・バークレイが、そんな手土産を持っていったとしても、イズミル国家主席が、ライセンスをトライトニアに渡すとも限らない。 今、交渉に横槍を入れたところで、それは何の意味も持たない。 それに、無駄な交戦も避けたい。セラフィムの艦長としては、”その会談をぶち壊して来い”と、いう命令は出せない・・・だが、会談の流れが気にならないという訳でもない」 「・・・・・・・」 「ノバーナには、イズミル国家主席の別荘がある。会談が行われるとしたら、恐らくはそこだろう。トライトニアの動向調査も兼ねて、少し国家主席の周辺に探りを入れる。 会談の流れを全て把握するために、できれば、その内容を傍受したい。 これは本来、ツァーデ小隊の仕事ではないが・・・特別命令だ、行って来てくれないか?リョータロウ?」 何の気なくそんな命令を下したソロモンの顔を、ひどく神妙な表情で見つめすえて、リョータロウは、ぎゅっと両手の拳を握り締めた。 「どうしてあんたは・・・いつもそうなんだよ・・・何でも知ってるような顔しやがって・・・」 「何でも、と言う訳じゃないが、少なくとも、おまえの性格はよく把握してるつもりだぞ?どうする、行くのか?」 ソロモンは、リョータロウの瞳を凝視したまま、端整な唇を柔和にもたげて軽く笑って見せる。 リョータロウは、凛とした眉を吊り上げると、怒ったように言うのだった。 「行くよ!」 「その代わり、あまり大きな騒ぎは起さないでくれよ。ガーディアンエンジェルにも、マルタリアとの外交があるからな」 「判ってるよ、そんなこと・・・・っ」 「インフォメーションデスクで、パクに詳しい情報を貰ってから行け。必要なら、インフォメーションから誰か連れて行ってもいい」 「大丈夫だ、一人でいける」 「そうか・・・あまり派手に暴れてもらっては困るが、最低限の武器は携帯していけよ」 「そんな細かいことまで言われなくても、ちゃんと判ってるよ!いつまでもガキ扱いすんな!」 実に心外そうな顔つきでジロリとソロモンを睨みつけると、リョータロウは、機敏な仕草で背中を向け、オート・ドアに向かってさっさと歩いて行ってしまう。 以前よりも、随分と大人びたその背中を眺めながら、ソロモンは、さも愉快そうに微笑するのだった。 その視界の中で、リョータロウは、開いたドアの前でふと立ち止まると、こちらを振り返ることもなく、どこか照れたような、怒ったような、そんな声色でこう言ったのである。 「なんかムカつくけど、あんたのそういうとこ・・・・嫌いじゃないから、俺」 そんな言葉と共にリョータロウの姿は、ドアの向こう側に消えていってしまった。 一見ぶっきらぼうで無作法にも見えるリョータロウの背中には、深い感謝の気持ちが滲んでいたことを、ソロモンは知っている。 「有難う」と、素直に言えないリョータロウの性格は、よく把握しているつもりだ。 長い足を組替えて、もう一度唇だけで微笑すると、ソロモンは、小さく首を傾げながら思わずこう呟くのである。 「相変わらず、背中で物を言う男だな・・・おまえは」 愉快そうに唇をもたげ、シルバーグレイの軍服を纏う肩で大きく息を吐くと、ソロモンは、ゆっくりとデスクのモニターに振り返った。 仕事に戻ったその長い指先が、コンソールパネルを軽快に叩くと、そこに、ガーディアンエンジェルの本部から送信されてくる、各惑星国家とその動向に関する膨大なデータが表示されてくる。 ソロモンの紅の瞳は、滝のように流れてくるデータを見落とすでもなく、メモを取るでもなく、確実にその一つ一つを記憶して、次の航海の判断材料にしていくのだ。 NW−遺伝子を持つソロモンであるからこそ、そんな神業のような事が可能なのだ。 普通の人間であれば、これを全て把握して整理し、その情報を的確に応用するまでに少なくとも丸一日はかかる。 その上、一字一句間違うこともなく、その情報の全てを脳裏に刻んでいくなどと、まず不可能である。 だが、ソロモンは、ほんの一時間ほどの短い時間で、その全てをこなしてしまうのだった。 ひっきりなしに画面に流れてくる、様々な惑星国家の情報と動向。 その時、ふと、ソロモンの瞳が、ある一項目に視線を止めたのだった。 精悍だが優美なその顔が、不意に、研ぎ澄まされたナイフのように鋭利に歪む。 その項目は、惑星国家に関するものではなく、『デボン・リヴァイアサン』と名乗る、正真正銘のテロリストに関するものであった。 『デボン・リヴァイアサン』は、元はトライトニアの軍部で実権を握っていたマルティン・デボンという人物が組織した、過激な武装グループの名称である。 トライトニアに、バークレイ体制が敷かれるまで、政府を牛耳っていたマルティン・デボンは、初代バークレイ大統領が誕生すると同時に失脚し、そのまま、惑星アルキメデスに逃げ延びたと、まことしやかに囁かれていた。 ガーディアンエンジェルの調査では、確かに、ここ最近まで、そのマルティン・デボンがアルキメデスに潜伏していたことが確認されている。 今回のアルキメデスの軍事クーデターも、マルティン・デボンが少なからず絡んでいると、このデータには記載されていた。 『デボン・リヴァイアサン』は、トライトニアのバークレイ一族に報復することを、その主な目的としている。 ソロモンは、片手を繊細で端整な顎にあてがうと、何か考えを巡らせた後、銀色の前髪から覗く紅の瞳を僅かに細め、ツァーデ小隊隊長、アーサー・マクガバンへの通信回線を開いたのだった。 戦艦ドック『ドーラ』を囲む海に、夕凪が迫ろうとしている。 二つの月を抱くマルタリアに、騒がしい夕べが訪れるのは、もうまもなくである。
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